✨ ベストアンサー ✨
水戸藩は参勤交代の無い超絶暇な藩でした。なので朱子学的な観点から歴史を見てみようという学問である、水戸学というものが始まります。そして朱子学的な視点で歴史を見ていくと、天皇の方が将軍より上じゃね?江戸幕府による支配は間違いなのでは?という考えが生まれ、これが尊皇論へと繋がっていきます。
そして江戸時代後期〜末期になるとこの水戸学がさらに発展し(後期水戸学)、外国勢力の排斥を含んだ尊皇攘夷論へと進化することになります。
そしてこれが全国に広まるようになるきっかけが1858年の修好通商条約であり、長州藩でも尊皇攘夷論が高まりを見せるのはその後ということになります。何故薩長が中心となるのかというと、単純に藩としてパワーがあったからですね。
江戸後期の藩政改革により力を持っていたが故に、京都朝廷で大きな発言力を有するようになります。
とても詳しく教えて頂き、ありがとうございます✨