回答

✨ ベストアンサー ✨

鎌倉幕府は東国が主で、西国は平家から奪った所だけに影響力をもっていました。
地頭も鎌倉幕府の関係があるところだけに置かれていたので、地頭とのもめごとは起こりにくいものでした。

承久の乱の結果、鎌倉幕府は西国の他の部分にも地頭を置くようになりました。
そこには鎌倉幕府と関係の薄い領主がいました。
東国とも違うルールだったりして、地頭とのもめごとが増えるようになりました。

そこで、鎌倉幕府はそれらのもめごとに対応できる新しいルールをつくることにしました。
それが御成敗式目です。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?