歴史
中学生

長篠の戦い、関ヶ原の戦いってそれぞれなんのための争いだったのですか?

回答

●長篠の戦い(1575年)……織田・徳川連合軍 vs 武田軍

🔵「織田信長による天下統一の足がかり」と「武田家の領土拡大」の衝突。

武田側の目的:
亡き武田信玄の跡を継いだ武田勝頼が、徳川家康の領土(三河国)を奪って勢力を広げるため。

織田・徳川側の目的:
同盟を組む織田信長と徳川家康が、武田軍の侵攻を食い止め、自分たちの領土と権力を守るため。

結果と意義:
信長が大量の鉄砲を用いた最新戦術で武田の騎馬隊を破った。これにより織田家は天下統一へ大きく前進し、武田家は衰退へ向かった。

●関ヶ原の戦い(1600年)……東軍(徳川家康) vs 西軍(石田三成)

🔵豊臣秀吉が死んだ後の、次の日本のトップ(主導権)を決める争い。

徳川家康(東軍)の目的:
圧倒的な実力と影響力を背景に、豊臣家に代わって自分が新しい日本の支配者(天下人)になるため。

石田三成(西軍)の目的:
幼い豊臣秀頼(秀吉の息子)を守り、豊臣家の政権を維持するために、勝手な行動を強める家康を排除するため。

結果と意義:
わずか1日で家康の東軍が勝利。
これにより豊臣家の時代が事実上終わり、徳川家康が江戸幕府を開く決定打となった。

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長篠の戦い(1575年)
→ 織田・徳川連合軍 と 武田軍 の戦い。
目的は▶︎勢力争い。
武田勝頼は勢力を広げるために徳川領へ攻め込み、織田信長・徳川家康側がそれを止めようとした戦い。

関ヶ原の戦い(1600年)
→ 徳川家康率いる「東軍」と、石田三成中心の「西軍」の戦い。
目的は▶︎ 「天下争い』
秀吉が亡くなった後だれが天下を治めるかの争い

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