✨ ベストアンサー ✨
こんばんは。
後鳥羽上皇は朝廷の人間なので、幕府が政治を行なっていることが後鳥羽上皇にとっては嫌な出来事でした。 というのは、もともと政治を行なっていたのが朝廷だったからです。 だから、政権を幕府から朝廷に奪い戻したくて、後鳥羽上皇が京都で院政をやっていたんです。
そんな時、北条政子の夫である頼朝が亡くなります。それまで幕府のトップが頼朝だったため、後鳥羽上皇は「今なら政権を朝廷に戻せるかもしれない」と考え、乱を起こします。 これが承久の乱です。
まとめると、社会の中心となる政治は幕府が行なっていましたが、その裏では後鳥羽上皇が政権を朝廷に戻そうと企んで規模の小さな政治を京都で行なっていました。これが院政です。
ポイントは、政権を朝廷に戻したかった ということ。だから、頼朝が亡くなったタイミングが 政権を幕府から奪い戻せるチャンスだと思い、乱を起こすんです。
こんな感じの説明で大丈夫でしょうか?
あまり意味はないかもしれませんが、一応その頃のノートの写真も貼っておきます!
この時代は特にごちゃごちゃしててわわかりにくいですよね!
お役に立てて良かったです! こちらこそありがとうございました😊

こんばんは。
詳しくありがとうございます…!!
ここに質問していなかったわからないことも全部わかりました笑
ノートまで貼っていただきほんとうにありがとうございます😸