N次の文章を読んで、あとの間いに答えなさい。 〈山梨県改》
すべて、あはれみの深き事、母の思ひにすぎたるはなし。愚かな
る鳥獣までも、その慈悲をば具したり。田舎の者の語り侍りしは、
「の子を生みて暖むる時、野火にあひぬれば、一たびは驚きて立
ちぬれど、「なほ捨てがたさの余りにや、概の中に 。かへり入りて、
つひに焼け死ぬるためし多かり」とぞ。
又、鶏の子を暖むる様は、誰も見る事ぞかし。毛のへだたりたる
をあかず思ふにや、みづから胸の毛をくひ抜きて、膚につけて、終
日これを暖む。物はまむ為に、おのづから立ち去りても
さめぬ程に、と急ぎ帰り来るは、おぼろけの志とは見えず。
又、そのかみ、古郷わたりに、思ひの外に 。世を遁れたる人あり
き。「事のおこりは、鷹を好み飼ひける時、その餌に飼はむとて、犬
を殺しけるに、胎みたる犬の腹の皮を射切りたるより、子の一つ二
つこほれ落ちけるを、走りて逃ぐる犬の忽ちに立ち帰りて、その子
をくはへて行かんとして、やがて倒れて死にたりけるを見て、発心
はだ
ため
。かれが
V
のが
はら
せり」とぞ語り侍りし。
鳥獣の情なきだに、子の為には、かく身にもかへてあはれみ深し。
いはんや、人の親の腹の内にやどるより、人となるまで、念々にあ
はれぶ志、たとひ命を捨てて孝すとも、報ひつくさん事、かたくこ
ほっしんしゅう
「発心集」より〉
(注) あはれみ=愛情。
具したり=備えている。
子=子ども、卵。
あかず=満足できなく。
おのづから=たまに。
かたくこそ=むずかしいのだ。
ためし=例。
はまむ=食べる。
おぼろけの=並の。