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国語 中学生

文章を読んで頂き答える問題です。1〜6があっているかと、7の答えを教えてください。

ピー8 導日 読む力をのばそう 思·判表句読点や記号も一字と数えなさい。 難以ん割せ入 出蘭 S 字数指定のあるものは、 1この言葉」が指す言」 葉を書き抜きなさい。 次の文章を読んで、下の問いに答えなさい。 「先生はどこかお悪いんですか。ちっとも召し上 がりませんね。」 「少し疲れたのでしょう。これから仙台の修道院 でゆっくり休みます。カナダへたつ頃は、前のよ うな大食らいに戻っていますよ。」 だったらいいのですが……。」 仕事はうまくいっていますか。」 まあまあといったところです。」 よろしい。」 ルロイ修道士は右の親指を立てた。 「仕事がうまくいかないときは、この言葉を思い 出してください。「困難は分割せよ。」焦ってはな りません。問題を細かく割って一つ一つ地道に片一 づけていくのです。ルロイのこの言葉を忘れない 2「遺言」とあるが、どの言葉から、「遺言」だと感じ た>は たのか。書き抜きなさい。 へさり 3ルロイ修道士が病人であると感じたのは、2のこと 以外ではどんなことからか。二つ書きなさい。 4「これ」は、どんなことを指しているか。文章中の 言葉を使って、十字以上二十字以内で書きなさい。 でください。」 冗談じゃないぞ、と思った。これでは遺言を聞一 くために会ったようなものではないか。そういえ ばさっきの握手もなんだか変だった。「それは実に 穏やかな握手だった。ルロイ修道士は病人の手で も握るようにそっと握手をした。」というように感」 じたが、実はルロイ修道士が病人なのではないか。 元園長はなにかの病にかかりこの世のいとま乞い にこうやってかつての園一 児を訪ねて歩いているの一 ではないか。 日本でお暮らしになっ N 5「さすがにそれははばかられ……してしまっ た。」のは、なぜか。次から一つ選びなさい。 ァ 言うと、先生が怒り出すに違いないと思ったから。 ィ軽々しく口にできないほど、重大な事柄だから 本当かどうか、自分でも自信がもてなかったから ェ 言わなくても先生はわかっていると知ったから。 「こうやっているときに決まっています。」とあるが、 e どんな質問に対する答えか。質問の文の初めの三字一 を書き抜きなさい。(記号は字数に 含めない。) こうやっているとき」とは、どんなときか。初め と終わりの四字を書き抜きなさい。 ていて、楽しかったこと一 があったとすれば、それ」 はどんなことでしたか。」 天律 先生は重い病気にかか に、 っているのでしょう、そ一 してこれはお別れの儀式」 なのですね、ときこうとしたが、さすがにそれは はばかられ、結局は平凡な質問をしてしまった。 Tそれはもうこうやっているときに決まっていま す。天使園で育った子供が世の中へ出て、一人前 の働きをしているのを見るときがい、 記述式トレーニング( なことか。四十字以内で書きなさい。 「私」がルロイ修道士の言動から推測したのは、ど~ なによりもうれしい。」 :いっとう楽しい。 (井上ひさし『握手」より) 10 配点 10 10 10

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国語 中学生

中2なんですけど、国語で大岡信さんの言葉の力の約100字で要約の宿題が出されました。 私は本当に国語が苦手なので要約した文章を書いてくださる方はいませんか? 本当にお願いします🙇‍♀️🙏💦

言葉の力 大岡 信 人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれを とってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、 正しいと決まっている言葉 はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用 いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけの もの、語葉だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背 負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映し てしまうからである。 京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、 志村さんがなんと も美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、 しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。 その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。 「この色は何から取り出したんですか」 「桜からです」 と志村さんは答えた。 素人の気安さで、 私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出した ものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいご つごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。 志村さんは続いてこう 教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前の ころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取 り出せるのだ、と。 私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もな く花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になっ て最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びら のピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、 樹液のピンクであった。桜は全身で 春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出し たものにすぎなかった。 考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄 が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれ われの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。 たまたま志村 さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。 このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気が する。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別 の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、そ れを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におき ながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言 葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの 大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、 そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。

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