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国語の新研究で(2)みたいな問題が沢山出てくるんですがいつも間違えてしまいます。どうやったら解けるようになりますか?

/100点 脱しているコラムを意識的に 「用語力」 を身につけることも大切です。 社会におけるさまざまな領域の事柄が できる人はこう読んでいる」より) 要点 「インターネットの存在は、日々の生活や仕事の中で不 可欠なものです」とあるが、筆者がこう述べる根拠となる一文を 段落中から抜き出し、初めの五字を書きなさい <20点〉 ✓ 1 要点 2 この文章の段落構成として最も適切なものを次から一つ 選び、記号で答えなさい。 <20点〉 ア 3. イ 1111 エウィ |3| 5 H 5 ルー して最も切なものをから 【論説文】 次の文章を読んで、下の問いに答えなさい。 (1~5は段落番号) (R2山口改) 情報といえば、まずテレビでしょうか。 それから、もちろんの こと、インターネットの存在は、日々の生活や仕事の中で不可欠な ものです。インターネットの普及は、情報の概念を大きく変えたと いっても過言ではないでしょう。インターネットの力によって、 世 界中のさまざまな情報が瞬時にして地球上のあらゆるところまで伝 わるようになりました。その他、ラジオ、新聞、雑誌等を含めた、 各種のメディアの力による情報収集の方法を、わたしたちは無視す るわけにはいきません。しかも、こうしたメディアが、あなた自身 の自覚・無自覚にかかわらず、いつの間にかわたしたちの仕事や生 活のための情報源になっているということはもはや否定できない事 実でしょう。 2 しかし、よく考えてみてください。それらの情報の速さと量は、 決して情報の質そのものを高めるわけではないのです。たとえば、 インターネットが一般化するようになってから、世界のどこかで起 きた一つの事件について、地球上のすべての人々がほぼ同時に知る ことが可能になりました。 しかし、その情報の質は実にさまざまで あり、決して同じではないのです。しかも、その情報をもとにした それぞれの人の立場・考え方は、これまた千差万別です。 3 こう考えると、一つの現象をめぐり、さまざまな情報が蝶のよ うにあなたの周囲を飛び回っていることがわかるはずです。大切な ことは、そうした諸情報をどのようにあなたが自分の目と耳で切り 取り、それについて、どのように自分のことばで語ることができる か、ということではないでしょうか。 もし、自分の固有の立場を持たなかったら、さまざまな情報を 追い求めることによって、あなたの思考はいつの間にか停止を余儀 なくされるでしょう。言説資料による、さまざまな情報に振り回さ れて右往左往する群衆の一人になってしまうということです。 だからこそ、情報あっての自分であり、同時に、自分あっての 情報なのです。 ほそかわひでお (細川英雄「対話をデザインする―伝わるとはどういうことか」より) 第2章1 3 要点 3 自分あっての情報」ということについて説明した次の 文を読んで、あとの問いに答えなさい。 現代社会は多くの情報であふれているが、情報の質や Aはさまざまであるため、自分の固有の立場でB とで、情報を活用することができるということ。 [Aに入る適切な言葉を文章中から二十一字で抜き出し、 初めと終わりの五字を書きなさい。 <20点〉 ]Bに入る内容を「選択」「自分のことば」という二つの 言葉を使って二十字以上、三十字以内で書きなさい。 <4点〉 キーワード 3Ⅱ キーワードを並べかえてつなげよう。 情報 語る キーワードは文章中にあるよ。 自分のことば こ 77 書き 44 こうえん 会のテーマ。 ⑩45 こうえん な理想。

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この文章の問題で 下線部②「いくつになっても」が直接修飾する文節を 本文中から1文節で書き抜いて答えなさい。 という問題なのですが 修飾するという意味がわからず、どこがどのように 修飾されているのか教えていただきたいです。

れつ 2 確認問題 小説 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 《「父」は苦学の末、満州国で医師免状を手にしたが、日本の敗戦に より帰国。国内では、満州での免状が認められなかったため、医師と して開業するためには国家試験に合格することが必要だった。 「父」 は既に三十を越える年齢だったが、合格を目指してひたすら勉強に励 んだ。 その間、家計は、妻子たちが内職によって支えていた。> 父は毎朝山へ出掛け、夕刻家へ帰ってくる。 山といっても、家を借りたり、 お寺の一室にこもったりしているのではなかった。近くの山に壊れかけたお 堂がある。その軒先に腰を掛けて、声を出して本を読むのである。若いうち、 二十代の半ばまでなら、目で通読しただけで記憶できる。だが年をとると、 音読しなければ意味がつかめなくなるのである。 記憶するとなると、 何度も 5 何度も唱えなければならぬ。 一番苦しかったのは父であったろう。息子たちを働かせ、しかも自分は金 苦 を使って勉強している。世間の常識とはまったく逆である。 その 痛は想像にあまりある。普通なら、「ついに俺には達成できなかった。だか ら、息子たちよ、お前たちが存分に勉強してくれ。」と言うはずである。こ れが現在の教育ママや教育パパの発想である。が、 これほど自堕落な、愚 劣な発想があろうか。私は、 いくつになっても、ひたむきに生きる人を尊 敬する。一ミリでも一センチでもいい、じりじりと夢へと這っていく人を。 息子に夢を託すというのは、生活の放棄であり甘えである。そういう心根で 息子や娘に楽をさせても、ロクな結果が生まれるものか。現状にふさわしい じだらく いもほ 所で、常に前を向いて歩くことこそ大切なのである。私は、自分の父が、 家 庭を一切顧みずに勉強したことを誇りたいくらいだ。 かせ その生活にも、やがて終止符をうつ時がきた。父は、私たちが稼いだ金 を根こそぎ持って、東京へと試験を受けに行ったのである。試験から帰った * あかもん 父は、「赤門から入ってなあ、偉い教授の口頭試問を受けた。もう何と答 3 えたか、あがっちまってわからなかったから、どうも今年は駄目だろうが、 とうだい みやげばなし さすがに天下の東大だった。すごい建物がこうずらりと並んでいた。それで 帰る時、わざと遠回りして赤門から出てやった。 な、 これからバカにするな よ、 これでも赤門出なのだから。」 と土産話をして、しばらくぼうっとし 日を過ごした。それから私は赤門とやらを夢に見るようになった。――よ25 その大学へ行こう。私はそう決心したが、後で実際に通うようになった ら、古びてしょぼくれた奇妙な門に過ぎなかった。馬車馬のごとく突進しか 知らなかった父は、 ②と呼ばれるものに弱いところがあった。 合格の通知は山の畑で受け取った。 両親と私は、弟を連れ、祖父の畑で山 芋掘りをしていたのである。そこへ、留守番をしていた兄が、電報をひらひ 3 らさせながら駆けてきた。 「ゴウカク、オメデトウ。」 「このヤロウ。」 「さあこい。」 私たちは芋畑を転げ回った。 母はへたへたと座りこんでしまったが、私 は父とすもうをとった。 たた 6 私は何度も父を投げ飛ばし、大地に叩きつけた。 その年、満州出身の医師は八十数名が受験したというが、国家試験に合格 したのはたったの三名だった。 (注)赤門=東京大学の、朱塗りの門。 〈畑正憲 「ムツゴロウの青春記」より〉 答えなさ . 2 に入る適切なことばを、つ 10

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