学年

教科

質問の種類

国語 中学生

論説文・説明文の問題です。空白のところを教えて欲しいです。よろしくお願いします

0 -7 国ス 中3 1 第六銀座 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 価値観の相対化した現代社会においても、「一般的に認められるような価 がまったくないわけではないし、価値観や信条の異なる人々が共通して 「価値がある」と認めるような対象や行為はやはり存在する。それは「客観 的に正しい価値」とは言えないが、多様な立場の人々が共通して認める価値 ふへんせい であり、そこに私たちは価値の普遍性を確信することができる。そして、こ5 のような意味での「価値の普遍性」を「一般的他者の視点」から導き出すこ とは、決して不可能な試みとは言えない。 では、価値観や信条、関心の異なる人々が共通して「価値がある」と認め るような対象や行為とは、一体どのようなものであろうか? A 関心や価値観が異なる人間であっても、一生懸命にがんばって10 その道に精進していれば、その「努力」は承認してくれるだろう。陸上部 で毎日練習を積み重ねている人間に対しては、誰もが「陸上に関心はないが、 あの練習量は大したものだ」と思うだろうし、仕事や勉強に励んでいる人間 に対しては、どのような価値観や立場の人であっても、普通はその努力を認 めるはずである。それは、当人が目指していた表現や結果への評価ではない5 が、その人自身のあり方に対する承認という意味で、自己価値の確信に深く 関わっている。 実際、何らかの努力をしている多くの人が、価値観や感性の異なる人々で も、自分の努力は認めてくれるだろう、と心のどこかで思っている。私たち は多くの場面で「一般的他者の視点」を想定し、一般的承認の可能性を暗々20 裏に確信しつつ行動しているのである。「努力」の他にも、「やさしさ」や 「勇気」「忍耐力」「ユーモア」など、関心や価値観が異なっていても共通し て認められる可能性を持つ価値は存在する。そして私たちはこのような価値 に関わる行為をしているとき、普通は誰でもこの「努力」(あるいは「やさし (E) (4) (3)

未解決 回答数: 1
国語 中学生

ここの文章の客の立場にある当事者であって、その場の作用から自由であることは難しいってよく意味がわかんないです!教えてください‼️

04 いご 東京 ほんやりものを考えていて、客観ということ、客観ということばに 疑問をいだくようになった。客観は本当に客観的でありうるのか、 「一般的ないし普遍的なもの」(『大辞林』)ではないような気がするの である。 もともと、主観に対しての客観である。完全に独立して存在するよ うに考えるのがおかしい。 主と客とは、いくら自立しようとしてもな まぬが お、相対的で、互いに交流、影響し合うことを免れない。 囲碁での対局者はともに主、客の立場にある当事者であって、その 場の作用から自由であることは難しい。そばで見ている人間には、対 局者の見えないところが労せずして見えるから、岡目八目というよう なことになる。さほど棋力のない人が高段者の対局の観戦記を書ける わけである。 アメリカの事件のニュースをアメリカのメディアで知るより、イギ リスの報道の方がわかりやすく、正しいことがある。 客観的であるよ り傍観的だからであろう。味方の情報より敵の情報の方が正確だとい う不思議なことがありうるのも、やはりいわゆる客観の限界を暗示す るといってよい。 第三者的立場の傍観が客観よりも客観的であることははっきりして いる。しかし一般には、傍観は客観より信頼できない無責任なものと して軽んじてきたのは、どうして生じたのかわからないが、偏見であ 20 る。 けんか 喧嘩両成敗という。 喧嘩は主観と客観のぶつかり合いで、話し合い で解決するわけがないから、傍観の仲裁、 判定が必要になる。 裁判は原告、被告の当事者から独立した裁判官によって行われる。 普通、それで公正が保たれるが、なお裁判官でさえ当事者に近すぎる 25 PRI N* 10 15

未解決 回答数: 0
1/5