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国語 中学生

この文章の問題で 下線部②「いくつになっても」が直接修飾する文節を 本文中から1文節で書き抜いて答えなさい。 という問題なのですが 修飾するという意味がわからず、どこがどのように 修飾されているのか教えていただきたいです。

れつ 2 確認問題 小説 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 《「父」は苦学の末、満州国で医師免状を手にしたが、日本の敗戦に より帰国。国内では、満州での免状が認められなかったため、医師と して開業するためには国家試験に合格することが必要だった。 「父」 は既に三十を越える年齢だったが、合格を目指してひたすら勉強に励 んだ。 その間、家計は、妻子たちが内職によって支えていた。> 父は毎朝山へ出掛け、夕刻家へ帰ってくる。 山といっても、家を借りたり、 お寺の一室にこもったりしているのではなかった。近くの山に壊れかけたお 堂がある。その軒先に腰を掛けて、声を出して本を読むのである。若いうち、 二十代の半ばまでなら、目で通読しただけで記憶できる。だが年をとると、 音読しなければ意味がつかめなくなるのである。 記憶するとなると、 何度も 5 何度も唱えなければならぬ。 一番苦しかったのは父であったろう。息子たちを働かせ、しかも自分は金 苦 を使って勉強している。世間の常識とはまったく逆である。 その 痛は想像にあまりある。普通なら、「ついに俺には達成できなかった。だか ら、息子たちよ、お前たちが存分に勉強してくれ。」と言うはずである。こ れが現在の教育ママや教育パパの発想である。が、 これほど自堕落な、愚 劣な発想があろうか。私は、 いくつになっても、ひたむきに生きる人を尊 敬する。一ミリでも一センチでもいい、じりじりと夢へと這っていく人を。 息子に夢を託すというのは、生活の放棄であり甘えである。そういう心根で 息子や娘に楽をさせても、ロクな結果が生まれるものか。現状にふさわしい じだらく いもほ 所で、常に前を向いて歩くことこそ大切なのである。私は、自分の父が、 家 庭を一切顧みずに勉強したことを誇りたいくらいだ。 かせ その生活にも、やがて終止符をうつ時がきた。父は、私たちが稼いだ金 を根こそぎ持って、東京へと試験を受けに行ったのである。試験から帰った * あかもん 父は、「赤門から入ってなあ、偉い教授の口頭試問を受けた。もう何と答 3 えたか、あがっちまってわからなかったから、どうも今年は駄目だろうが、 とうだい みやげばなし さすがに天下の東大だった。すごい建物がこうずらりと並んでいた。それで 帰る時、わざと遠回りして赤門から出てやった。 な、 これからバカにするな よ、 これでも赤門出なのだから。」 と土産話をして、しばらくぼうっとし 日を過ごした。それから私は赤門とやらを夢に見るようになった。――よ25 その大学へ行こう。私はそう決心したが、後で実際に通うようになった ら、古びてしょぼくれた奇妙な門に過ぎなかった。馬車馬のごとく突進しか 知らなかった父は、 ②と呼ばれるものに弱いところがあった。 合格の通知は山の畑で受け取った。 両親と私は、弟を連れ、祖父の畑で山 芋掘りをしていたのである。そこへ、留守番をしていた兄が、電報をひらひ 3 らさせながら駆けてきた。 「ゴウカク、オメデトウ。」 「このヤロウ。」 「さあこい。」 私たちは芋畑を転げ回った。 母はへたへたと座りこんでしまったが、私 は父とすもうをとった。 たた 6 私は何度も父を投げ飛ばし、大地に叩きつけた。 その年、満州出身の医師は八十数名が受験したというが、国家試験に合格 したのはたったの三名だった。 (注)赤門=東京大学の、朱塗りの門。 〈畑正憲 「ムツゴロウの青春記」より〉 答えなさ . 2 に入る適切なことばを、つ 10

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歴史 中学生

教えて欲しいです(;;)🙏🙏🙏

実戦テスト p.12 80点 1 飛鳥~平安時代 右の年表を見て、次の問いに答えなさい。 年代 604 00点 10点×7(70点) <奈良・長野・滋賀・埼玉改) できごと ア 農民 (1) 年表中のAは, 聖徳太子によって定められまし た。これは、だれの心がまえを示したものですか。 ( 次から選び 記号で答えなさい。 ウ 役人 十七条の憲法が制定される・・・A ) 701 大宝律令が制定される… ........ B エ 天皇 (2) 年表中のBでは,成人男子の農民に兵役の義務 が課せられました。 兵士のうち, 九州北部の守り にあたった者は何とよばれましたか。 その名称を 答えなさい。 710 平城京に都を移す・・ 794 平安京に都を移す・ 1016 藤原道長が摂政となる ....... E (3)年表中のCについて,次の文は、平城京に都がおかれていた時代の社会のようすについ てまとめたものです。 あとの問いに答えなさい。 のが この時代、重い税や兵役の負担から逃れるため,口分田を捨てて逃亡する農民が現れ ちょうてい かいこん しょうれい |た。 また, 人口が増え, 口分田が不足してきたこともあり, 朝廷は開墾を奨励し、 ① 新 しく開墾した土地を永久に所有することを認めた。 そのため, ②私有地を広げる者など が現れるようになった。 ① よく出る 下線部 ①を認めた法令を何といいますか。 ②やや下線部②にあてはまるものを、次から選び, 記号で答えなさい。 そう さかや ア 土倉や酒屋 しゅご じとう 貴族や寺院 ウ守護や地頭 (4) 年表中のDについて, 次の問いに答えなさい。 エ商人や手工業者 ① 平安京に都を移した天皇を, 次から選び, 記号で答えなさい。 すいこ てんじ てん む ア 推古天皇 イ 天智天皇 ウ 天武天皇 えみし かん む 武天皇 ②2 このころ朝廷は,朝廷の支配に抵抗する蝦夷をうつために,坂上田村麻呂をある官 に任命しました。 その官職を何といいますか。 (5)年表中のEのころ, 「枕草子」 や 「源氏物語」といった,すぐれた文学作品が生まれました。 この時代の文化のようすについて述べた文として正しいものを、次から選び、記号で答え なさい。 ア 東アジアの国際的な交流がさかんになるなかで, 日本の国家のおこりや神話などに対 する関心が高まり, はじめてそれらをまとめようとする気運がおこった。 イ有力な武士団である源氏と平氏の戦いが数年間にわたりくりひろげられ,武士たちの かつやく はなばなしい活躍ぶりを表現しようとする動きがおこった。 ウ漢字を変形して日本語の発音を表す「仮名文字」ができ,これを用いて人々の感情をよ り細やかに表現できるようになった。 一般の地方武士や都市の有力者は,子どもに寺で教育を受けさせるようになり、 りの物語がつくられて広く読まれるようになった。 古代までの日本と東アジア 絵入

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