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この(1)の問題の答、私は「つぐみの見ている世界を知ろうとしたから」と答えました。 間違っているのでしょうか?もしそうでしたらなぜこの例のような答えになるのか教えてほしいです。 正直私はこの模範解答が納得できません。どうしても寄り添おうというよりは知ろうとしたという... 続きを読む

[##<46 [W] に東京から山梨の 移住した。一家は最初、その地になじめず、中学生の 「も東京の高校に進学しようかと悩んでいた。しかし、次第に人々との交流 が始まり、「つぐみ」の健康も回復に向かっていた。次は、夏の夜明け前、「越」 「何やってんだ?」 つぶやいて、ガラス越しによく見ると、つぐみの前にアサガオの がある。ぼくはガラス戸を つぐみは濡れ縁 引いて、外に出た。 にじっと座ったまま動かなかった。ピコが少しシッポをふったけど、 つぐみを気づかうように、すぐに伏せをした。 「おい。 何してんだ」 ぼくが、小声でつぐみの耳元にささやきかけると、つぐみはぼくの ほうをむかず、アサガオのつぼみをただじっと見つめている。 「アサガオが咲くの。どんなふうに咲くのか、見てるんだよ」 ぼくは黙りこんだ。 つぐみは、息もころしているみたいに、微動だ が「つぐみ」に話しかける場面である。 にせず、アサガオのつぼみを見つめている。 ぼくはそのつぐみの横顔をじっと見つめた。それは、ぼくにとっ ては長い長い時間だったけど、本当の時間にすれば、たったの三十秒 そしてそれからもじっと動かずに、つぐみはひたすらアサガオのつ ぼみを見つめつづけた。 ぼくは、そっと、つぐみの横に座りなおした。 盆地のむこう側に鎮座する大きな黒い富士山の頂の左側が、きらり と光り、その光がゆっくりと時間をかけて少しずつふくらんだ。 16 やがて光はいくつもの筋に分かれ、山肌を遣いながら人間たちの 住む町へと下りていった。 空は朱色と紫色のグラデーションに染ま (森島いずみ「ずっと見つめていた」(成社刊)より) ピコー犬の名前。 ①① 「ぼくは、そっと、つぐみの横に座りなおした」とあるが、そ れはなぜか。 文章の内容に即して説明しなさい。 (84) じゃまをしないように、アサガオの花 を見ているつぐみに寄りそおうと考え たから。 アサガオが咲くのを集中して見ているつぐみ。そのじゃまをしないように、「そっと」 横に座っています。 ② 「空は未色と色のグラデーションに染まり、その色はしだい にあざやかに光をふくんでかがやきだす。」とあるが、ここで表現 されている色は、空以外のものを描いている部分でも表現を変え て用いられている。その空以外のものが描かれている部分を、文章 中から六字で書き抜きなさい。 All ナ (108)

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それが示す内容を10字以内で書かなきゃいけないのですが、わからないので教えてください。

練習問題 1 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 創造性ということが、最近では特に高く評価されるようである。せっ かく、この世に生まれてきたのだから、何か新しいことを創り出したい。 大人になるということも、何かそのような新しい何ものかを、人間の世 界にもたらそうとすることだと言えるかも知れない。しかし、「創造する」 といっても発明や発見をしたりとか、偉大な芸術作品をつくり出すこと 5 のみをいっているのではない。現代人にとってモデルは無いといったが、 モデルの無いところで、自分なりの生き方を探ることは、すなわち、創 造ではないだろうか。つまり、われわれの人生そのものが、ひとつの創 造過程である、というわけである。 おもえが じゅうそく 創造するためにはイマジネーションが必要である。 あれかこれかと心 に想い描くことによって、われわれは新しくできあがってくるものの可 能性を探ることができる。 しかし、それは単なる願望充足の空想であっ ては駄目である。創造につながるイマジネーションと、すぐに消えさっ てしまう空想の差は、そこに費やされる心的エネルギー量の差によって 示される。前者の場合は、相当な心的エネルギーを必要とするのである。 15 もっとも、この両者は判然とは区別し難く、後者のはかない空想が前者 の方へと創造的に高められてゆくときもある。 つい B かつ 県青年期は特にイマジネーションに満ちている時期である。これはいっ 思いどうしてだろうか。イマジネーションの枯渇が多くの青年を「しら け」に追いやっている。しかし、実際には、青年のイマジネーションは、2 はなかろうか。しかも、モデルが無い時 代なのだから、自分のイマジネーションをはたらかすのには、まったく おあつらえむきの時代といえる。 ひんこん むしろ貧困であるというべきで 大人というものは、そのなかに子どもっぽさを残している人だ、とい りにはいえないだろうか。 ジネーション=想像力。 (河合隼雄「大人になることのむずかしさ」) 問五 がんぐ あた 青年のイマジネーションを枯渇させる、ひとつの原因として物質的な 豊かさがあげられるのではなかろうか。 親が子どもに与える玩具を見る 2 と、それがよく解るだろう。(中略) せん 親の与える高価な玩具の多さは、一種の公害のようなものである。子 どものこころの内部に自然に存在しているイマジネーションの宝庫をそ れは汚染してゆくのである。 玩具だけではなく、外部から与えられる情 報量の多さも、イマジネーションのはたらきを鈍くさせるのに役立って 30 いるように思う。それに、子どもたちは何と多くのおきまりの知識を覚 えねばならないことか。 子どもは外から与えられ、外からつめこまれる ものが多すぎて、彼の内からの としてのイマジネーションをキャ ッチする力を失ってしまうのである。このことを、物質的に豊かな時代 に生きる親たちは、よく心得ておかねばならない。 ていたい イマジネーションは創造の源泉であるが、それは子どもっぽいことと して価値をおかない人もある。しかし、その「子どもっぽいこと」こそ が創造の源泉となるのである。ここで、大人と子どもを対比してもう一 度考え直してみると、子どもの不安定さに対して、大人の安定性をあま りにも強調するとき、その安定は停滞にもつながるといえるだろう。つ まり、毎日毎日きまりきったことを繰り返すだけになってしまって、そ れを大人と考えるならば、それはまったくつまらないことになってしま う。 大人をそのようにとらえる人は、「大人にはなりたくない」と考える こともあろう。確かに、大人と子どもをそのように単純に分類してしま えば、大人になりたくない子どもがあっても当然である。 145 しかしながら、今まで述べてきたように、創造過程を歩むものとして の大人を考えるときは、事態はそれほど単純ではない。このことは、真 下にあてはまる言葉として最も適当なものを 記号で答えなさい。 芸術 安定 ら選 情報 w 問四 わか 中 にぶ

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答えと解説お願いします!

月 〈随筆〉 (1.5.10… は行番号です。) 中学一年生の夏休み、生れて初めて高山を間近に眺めた。 父親の仕事 の手伝いで上高地に行ったのである。 車酔いでふらふらになった私の頭 上へ、穂高連峰がいきなりおおいかぶさってきた。 私は突然自分が蟻み たいに小さくなるのを感じた。 そして山は美しさと荘厳さにおいて、ま さに神に近かった。 山に人が太刀打ちできるとは、とうてい思えなかっ た。その印象はいまだに体に彫りこまれていて、消すことはできない。 北の山を中心にあちこちの峰をめぐり歩いていたときも、私は偉大なる 山に遊んでもらっていたにすぎない。 父は双翅目が専門の昆虫学者であった。上高地には妖精のような高山 もふわふわ舞っていたのだが、私が捕るように命じられたのはハエと アブだけだった。たぶん父は研究対象の双翅目の許可だけをもらってい たのであろう。私は笹やぶを補虫紙で引っかき回すのに退屈して、手伝 いを放棄すると、魂のけし飛ぶ思いでいつまでも山々を眺めつづけた。 そうかいかん 翌年、焼岳と西穂に登った。頂上に立って四方を見わたす爽快感を知っ 156た。その次の年は館が岳。下山後、雲海の夢につきまとわれた。〈中略〉 五歳まで札幌で暮らしていた私は、ふるさとの山や雪に特別の思い入 れを持っていた。北大に進学したのも、北の自然が私を呼んだのである。 〈中略〉 しょかん ていね あしべつ そらぬま 四年間に登った山々は、 空沼・朝里・十勝・大雪・手稲・芦別・暑寒 えにわ らうす ゆうばり たてやま 20別・ニペソツ・石狩・余市・羊蹄・恵庭・羅臼・ニセコ・夕張・立山・ 穂高・白馬など。 夏も冬も道内も道外もひたすら登りつづけた日々であった。 それぞれ の山には、それぞれの思い出が焼きついていて、今となってはどれかを 選びだすことは不可能に近い。 25 ガラスの粉のようにきらめくザラメ雪、羽毛のように軽やかに舞いあ れっぷう ほお がる新雪 烈風を頬にたたきつけて凍傷を残して去った猛吹雪、ヒグマ 2を気にしながらやぶこぎしたハイマツ帯、色とりどりの敷物のように展 基本の確認 問 3行めの足を洗って に関連して、「足を洗う」の意味を辞書など を使って調べてみましょう。 アドバイス 慣用表現には体の一部を使ったものがたくさんあります。 「足を洗 う」と同じように「足」を使ったものには「足が重い」 「足が地に つかない」 「足をのばす」などもあります。 これらの意味だけでなく、 ほかにどのような表現があるかも辞書などで調べてみましょう。 問一 筆者の山に対する印象〉7~8行めの私は偉大なる山に遊ん でもらっていたにすぎない について、筆者が山を偉大だと感じてい る理由を次のように書きました。 後の1~③に答えなさい。 筆者が生まれて初めて見た高山は、筆者に「A(六字)」るほど大 きく、あまりにも美しく荘厳だったので、 人間などとてもかなわない 神様のように感じられたから。 ①Aに入る最も適当な言葉を、 六字で本文中からそのまま抜き出 しなさい。 ② とてもかなわない について、本文中で筆者が山に「とてもかなわ ない」と述べている部分(同じ意味の部分)を二か所探し、それぞれ 一文でそのまま抜き出しなさい。 (注)そうしく ほかほぼ & けだけにしほ ここんちゅう ♦ ようてい ♦ ♦ ♦ ・ ・ ・ • ぞうしょく 2開するお花畑。映像は消えることなく重なりあい、増殖してふたたび山 への慕情をかきたてていった。 30 卒業後も、仕事の間をぬってせっせと山へ行った。五月の尾瀬では丸 し ぶっさん 三日間一人歩きして、出会ったのは至仏山のふもとで春スキーをしてい た数人のスキーヤーのみである。七、八年後には交通整理をするほど有 名になる場所とも知らず、思えばぜいたくな山旅であった。 頂上が目的の登山から足を洗って、十年以上にもなる。 幼い娘たちの 956 体力に合わせて、ゆっくりした山歩きを選んでいるうちに、いつかその ほうが自分の性にも合っていることを発見したのである。 のんびり野山 を歩いていると、それまでは気にとめなかった様々の生命のしるしが現 われてきた。野鳥の鳴き声、茂みを走っていく小動物の足音、ひっそり と咲く野花の群れ、樹木のささやき、昆虫たちのふしぎな生活。自然の 中にはこれら生き物の気配が満ち満ちていた。 そうがんきょう いつのまにか私は双眼鏡を首からさげ、リュックに数種類の図鑑を入 れ、片手にノートを持った自然観察者の姿になっていた。人生の幾つ目 の角を曲がって、山がたて方向にのみではなく、水平の方向にも深い 広がりを持つことを見いだした私は、いわば最初に山を見た中学生の地 145点に戻ったのかもしれない。 彼女が穂高の に人智を超えたものを見たように、私も今、自然を形 づくる生命たちの精巧さに限りなく引かれているからだ。 せいこう (注) 双眼….二枚の翅を持つ昆虫の仲間。 北大・・・北海道大学。 やぶこぎ… 低木の密生する藪を地面に足がつかない状態でかき分けて進む こと。 ハイマツ帯… マツ(ハイマツ)が広がる地帯。 尾瀬・・・福島県・新潟県・群馬県に広がる盆地状の高原。 (③) 筆者が、いろいろな山に登れるようになった後も、「偉大なる山に んでもらっていた」と述べていることを次のように書きました。 に入る言葉を本文中から探して書きなさい。 筆者は を知った後でも、初めて高山を見たときに抱いた、山に対する尊敬の 気持ちは変わらなかった。 問二山歩きを楽しむ筆者〉 4行めの自然観察者の姿について、 山歩きを楽しむ筆者の姿を想像しましょう。 このときの持ち物を、筆 者がどのように使うか、 本文を参考にして考えてみましょう。 そうがんきょう 双眼鏡 問三昔のことを振り返る 〉 4行めの彼女は誰のことをさしますか。 次の1~4から一つ選び、その番号を書きなさい。 筆者の父 2 上高地で見た山 3 筆者の娘 4 中学生の頃の筆者 T ・・・ 長野県にあるんかくけいお こんちゅう (とうゆきこ 山と私」による。

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