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理科 中学生

理科の質問です! 写真の問題の、(4)の解き方が分かりません💦(横でごめんなさい🙇) 教えて頂けると有り難いです!

類 【イルカ】 1000000 4 メンデルはエンドウの種子の形などの形質に注目して, 形質が異なる純系の親をかけ合わせ、子の形質 を調べた。さらに,子を自家受粉させて、孫の形質の現れ方を調べた。 表は, メンデルが行った実験の結果 の一部である。 あとの問いに答えなさい。 (富山) 形質 親の形質の組み合わせ 子の形質 種子の形 丸形× しわ形 すべて丸形 丸形 孫に現れた個体数 5474 しわ形 1850 子葉の色 黄色× 緑色 すべて黄色 草たけ 高い×低い すべて高い 黄色 ( X ) 高い 787 緑色 2001 低い 277 2 X つくりに共 (1) 遺伝子の本体である物質を何というか。 (2)種子の形を決める遺伝子を,丸形はA, しわ形はaと表すことにすると, 丸形の純系のエンドウがつく る生殖細胞にある, 種子の形を決める遺伝子はどう表されるか。 (3) 表の(X)にあてはまる個体数はおおよそどれだけか。 次のア~エから1つ選び, 記号で答えよ。 な お,子葉の色についても,表のほかの形質と同じ規則性で遺伝するものとする。 ア 1000 イ 2000 ウ 4000 I 6000 入 (4)種子の形に丸形の形質が現れた孫の個体5474のうち, 丸形の純系のエンドウと種子の形について同じ試 遺伝子をもつ個体数はおおよそどれだけか。 次のア~エから1つ選び、記号で答えよ。 ア 1300 イ 1800 ウ 2700 I 3600 (5)草たけを決める遺伝子の組み合わせがわからないエンドウの個体Yがある。 この個体Yに草たけが低い エンドウの個体Zをかけ合わせたところ, 草たけが高い個体と、低い個体がほぼ同数できた。 個体Yと個 体Zの草たけを決める遺伝子の組み合わせを,それぞれ書け。 ただし, 草たけを高くする遺伝子をB,低 くする遺伝子をする

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理科 中学生

⑵の問題の答えがBCDなんですが!なぜこうなるのか教えてください🤲🏻🤲🏻🤲🏻

2 中和 (1) 図1のように, BTB溶液を加えたうすい水酸 図1 化ナトリウム水溶液10cmにうすい塩酸を2cm ずつ加えていき, 水溶液の色の変化を観察したと かき (2) うすい 塩酸 混ぜる (3) ころ、下の表のようになった。 A B CDE 塩酸の体積 [cm²〕 0 2 4 6 8 1012 水溶液の色 青 青 青 緑 黄 黄 a 恩 (4) 水素イオン FL G1 塩化物イオン (1) 表のaに当てはまる色は何か。 BTB溶液を加えた うすい水酸化ナト リウム水溶液 (2) 中和が起こったものを, A~Gから全て選びなさい。 (3) Cの水溶液を加熱して水を蒸発させると,後に固体の物質が残っ た。この物質を次のア~ウから選びなさい。 ア 塩化ナトリウム イ塩化ナトリウムと水酸化ナトリウム ウ 水酸化ナトリウム ナトリウム オイオン イオンの数 6 12 加えたうすい塩酸の体積 [cm〕 水酸化物イオン 塩化物イオン イナトリウム イオンの数 イオン (4) 図2は、この実験において加えたう すい塩酸の体積と,水溶液中のイオン の数の関係をグラフに表したものであ る。このときの水素イオンと水酸化物 イオンの数の変化を, それぞれ解答欄 の図にかきなさい。 図 2 塩化物イオン イナトリウム オイオン 0 6 12 加えたうすい塩酸の体積 [cm] 0 本誌 p.16~17 0 6 12 加えたうすい塩酸の体積 [cm] 教科書 p.41~45

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理科 中学生

(4)の問題で6:5がどこからきたのかわかりません。 教えてください🙇‍♀️🙇‍♀️

((1) (2) 理由 OH Bの色が変化したのは、水酸化物イオンによるものです り、陰イオンである水酸化物イオンは陽極側に移 するから。 2 濃度の異なる塩酸と水酸化ナトリウム水溶液の中和について調べるために, 次の①~ 皿の手順で実験 行った。この実験に関して、 あとの問いに答えなさい。 I ビーカーA, B, Cを用意し, ビーカーAにはうすい塩酸を, ビーカーBにはうすい水酸化ナトリウム 水溶液を, それぞれ60cmずつ入れた。 ビーカーCに, ビーカーAのうすい塩酸10cmを注ぎ、ある Ⅱ で黄色になったビーカーCの水溶液に, ビーカーBのうすい水酸化ナトリウム水溶液10cmを加 品を数滴加えたところ, ビーカーCの水溶液は黄色になった。 よく混ぜたところ, ビーカーCの水溶液は青色になった。 Ⅲ で青色になったビーカーCの水溶液に, ビーカーAのうすい塩酸2cm を加え, よく混ぜたとこ ビーカーCの水溶液は緑色になった。 (1)について,ビーカーCに数滴加えた薬品は何か。 最も適当なものを,次のア~エから1つ選び、 で答えよ。 アベネジクト液イヨウ素液 ウ酢酸カーミン エ BTB溶液 (2)について,青色になったビーカーCの水溶液中で最も数が多いイオンは何か。 そのイオンを表す他 式を書け。 (3)皿について,次の との 電 ア カ (n 4 塩酸と水酸化ナトリウム水溶液が中和したとき にあてはまる化学式を書き, 化学変化を表す化学反応式を完成させよ。 HCI NaOH + ← + 皿のあとに,ビーカーAに残っているうすい塩酸48cmを中性にするためには,ビーカーBのうす 水酸化ナトリウム水溶液が何cm必要か。 最も適当なものを,次のア~オから1つ選び、記号で答えよ ア 16cm イ 24cm ウ 32cm エ 40cm 3 オ 48cm (1) (2) (3) (3) If Not HCV + NaOH - H₂O + NaCl 14 = (4) I

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国語 中学生

なぜこの答えだとダメなのか教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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国語 中学生

なぜこのような答えになるのか教えて欲しいです

丑、次の文章を読 「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。 かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に、細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 で片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。 小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 訟はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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国語 中学生

なぜ△なのか理由と正しい回答を教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。 かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に、細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 で片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 訟はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。 梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として 「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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