学年

教科

質問の種類

国語 中学生

(1)の問題にある「而」という字についてです。 "書き下し文になおす時、この文字は無視して良い"と習ったのですが、訓点をつける場合も無視してしまって良いのですか?

★故事成語<読解問題〉 ちいん 問3 次の「知音」という文章を読んで、後の問いに答えなさい。 琴を弾き、 それを立派に聴き分け はくが (注1) 琴を鼓し、(注1)鍾子期を聴 (伯牙が)琴を弾くちょうどそのとき、その気持ち た。 こと たいざん 琴を鼓するに方たりて、志 (注2)、 太山 が泰山にある場合には、 「すばらしいなあ(君 しょうしきい に在れば、鍾子期日はく、「善いかな 琴 が琴を弾くことは、高くけわしくて泰山のようだ。」と。 を鼓すること、 魏巍乎として太山のごと しばらくして、その気持ちが流水にある場合には、 し。」と。少選の間にして、志流水に在れば、 「すばらしいなあ、(君が琴を弾くことは、勢いよく流れて流水のようだ。」と。 しょうしき またい こと しゅうしゅう こ 鍾子期又曰はく、「善いかな、琴を鼓すること、 湯湯乎として流水のごとし。」と。 「こ たいざん 13 こと 春秋時代の中国 P.36呉越同舟 CO (越) ①傍線部①の書き下し文を参考にして、次の白文に訓点 を施しなさい。 方 「鼓」琴 琴而志在太山 ②傍線部③を現代語訳しなさい。 「不復〜」は「もう二度とは~しない」という意 味である。 ③傍線部③を書き下し文に改めなさい。 9 <「 。」と。〉の形になる。 ヒント

解決済み 回答数: 1
国語 中学生

②AとB解説お願いします😭

呉の国の季札は、使者として晋の国へ行く途中で、徐君(徐の国の君主) に会った。 徐君、季札の剣を好めども、あへて言はず。 季札心に之を知る ロには決して出さなかった ため けん も、上国に使ひするが為にいまだ献ぜず。 まだ差し上げなかった かへ 還りて徐に至れば、徐君すでに死す。すなはち其の宝剣を解き、 そこで はずし 戻ってきて ちょう じゅ 徐君の家樹に懸けて去る。 従者いはく、「徐君すでに死す。なほ誰 墓の木に掛けて そのうえ あた しか われ に予ふるや。」と。 季子いはく、「然らず。 始め吾心にすでに之を 与えようとなさるのか 許す。 あに死をもつて吾が心に倍かんや。」と。 どうして そおくことができようか えんりょう 徐人嘉して之を歌ひていはく、「延陵の季子故を忘れず、千金の の国の人々がほめて 心に決めたこと 剣を脱きて丘墓に帯ばしむ。」と。 掛けた (「蒙求」 石川県-改) 呉 晋徐古代中国の国名。 *上国 ・・・・・・ここでは、昔の国のこと。 *従者….… 主人の供の者。 季子 季札のこと。 後に、延陵の季子と呼ばれた。 らず… 「そうではない」という意味。ここでは、従者の問いに対し、他の誰でもないと答 えている。 *延陵…… 呉の国の地名。 *千金…… 非常に価値が高いこと。 丘墓丘のように土を盛って築いた墓。 よみ しん そむ 「心に之を知るも」は、漢文では「心知之」と書く。 この漢 文に返り点を付けなさい。 (50点) 心知之」 レ点は、すぐ下の一字から上に返って読む。 (一・二点は、二字以上を隔てて、上に返って読む。 次の会話は、本文について話し合った内容の一部である。 に、それぞれ当てはまる言葉を現代語で十二 字以内で書きなさい。 (25点x2=50点) こういち 光一 季札は、晋の国への使いの途中で、徐君に会った時、 季 札の剣を気に入ったという徐君の気持ちに気づいたんだね。 健二 でも、晋の国から戻ってきた時には、徐君は亡くなって ということはしなくてもよかった いたのだから、 のではないかなあ。 光一 いや、季札という人は、事態が変わっても、 かれ だったんだよ。それで、徐の国の人々も彼をほめて歌を作っ たんだね。 MAは「なほ誰に予ふるや」に着目する。 一解き方 A B 0

解決済み 回答数: 1
歴史 中学生

回答はウです。 しかし南北朝時代というのは14世紀半ばのことを言うので❌ではないのでしょうか。 解説お願いします。

4 次の文章を読み, あとの各問に答えよ。 馬は,我が国の歴史と深く関係しており, 現代の生活文化にも大きく影響を与えている。 我が国に大陸から馬が伝えられたのは古墳時代とされ,当初は軍事目的に主に使われた。 また, (1) ごうぞく はにわ ふくそう 馬は豪族の権力を示すための道具でもあり, 古墳には馬をかたどった埴輪が置かれ馬具が副葬さ (2) れるなど,馬は重要な文化的意義を有していた。 その後律令制度が整備されると駅路に伝馬が置 りつりょう てん ま かれ,馬は公的な交通手段ともなった。 きゅうば 中世になると, 日頃から弓馬の道を鍛錬することが武士の日課となった。 一方, 馬は農耕馬と (3) して使われるようになり, 農業生産の向上に貢献した。 馬の背に物資を乗せ運ぶ運送業者が活躍す るようになったのもこの頃である。 かっきょ きばたい 戦国時代になると, 各地に割拠した大名たちは戦闘に馬を積極的に活用し, 中には騎馬隊を組織 (4) して勢力を強める者も現れた。 こふん [問1] 我が国に大陸から馬が伝えられたのは古墳時代とされ,当初は軍事目的に主に使われた。 と (1) あるが, 古墳時代における我が国の外交について述べているのは,次のア~エのうちではどれ か。 けんとうし ごげんびわ この ア 朝廷は中国の進んだ文化や制度を取り入れるためたびたび遣唐使を派遣し、 五絃琵琶や紺瑠璃 杯などシルクロードを通って伝わった西アジアの宝物が日本にもたらされた。 しらぎ とう くだら イ 新羅が唐と結んで百済をほろぼすと, 日本は百済救援のための大軍を組織して朝鮮半島に派兵 シルラ ペクチェ やまじろ みずき したものの敗れ, 新羅・唐の侵攻に備えて九州北部に山城と水城をつくった。 なんぼくちょう ウ 朝鮮半島の支配権を強めて鉄資源を確保しようとして, 南北朝時代の中国に使節を派遣し わ 倭の王としての地位と朝鮮半島南部の指揮権を認めてもらおうとした。 やまたいこく しょく エ邪馬台国の女王卑弥呼が治めていた国が魏・呉・蜀に分裂して争っていた三国時代の中国 しんぎわおう 使節を派遣し、 魏の皇帝から親魏倭王の称号と金印を授けられた。

解決済み 回答数: 1