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理科 中学生

DはBと同じ標高なのになぜ地層が違うんですか?

O3) ープレートの境界 O4) 下の図1はある地域の地形を、 図2はA~D地点のうち、 A~C地点のポー 地点を選べ。 海溝 3 入試につながる。実践トレーニング b リング試料のみを柱状図で表したものである。 あとの問いに答えなさい。 中生代。 2 図1 84m 80m 76m B れき岩 3 数料書p.242~249 [10点×2, 5点×4) ゅうすい 0- 4 A 40 B 2- 例流水などによっ。 て運ばれる間に角 が削られたから。 b -X 4- かど| 6 D 収岩 10点 8 石灰岩 10 一古生代 ぎょうかいがん。 述(1) れき岩の粒は, 凝灰岩の粒と比べて丸みを帯びいた。この理由を簡潔に書け。 Bのア~ウの層のうち、 中生代に堆積したと考えられるものをすべベて選べ。 (3) Cの凝灰岩と泥岩の境目Xは、 標高何mの地点か。 図(4) D地点の地下のようすを、 A~C地点と同じように図2にかけ。 (5) この地域の地層は東、西、南北のどの方位が低くなるように領いているか。 通(6) 図のa~cの層が堆積する間に、この地域の地形はどのように変化したと考え られるか。「海岸からの距離」 という語句を用いて簡潔に書け。 ア,イ 72m 図2にかく。 たむ きょ (2はすべてできて得点。 かいがん きょり ちか X 例しだいに海岸からの距離が近くなっていった。 10点 Kコ+6 N 660

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数学 中学生

なぜDはBと標高が同じなのに地下の様子は違うのですか?

きい地震が発生しやすい地点を選べ。 かいこう 3 O(3) ープレートの境界 海溝 入試につながる。実践トレーニング 下の図1はある地域の地形を,図2はA~D地点のうち, A~C地点のポー x[4) b リング試料のみを柱状図で表したものである。あとの問いに答えなさい。 図1 84m 中生代。 80m 76m 図2 A 4 A。 D a れき岩 3の教科書p.242~249 [10点×2,5点×4] B 2- -X 4- 40 砂岩 b: りゅうすい 例流水などによっ て運ばれる間に角 が削られたから。 X(2) ア 泥岩 6- 8- D おいだ かど 凝灰岩 10点 ウ 10 ょうかいがん 一古生代 石灰岩 10- 記述(1) れき岩の粒は,凝灰岩の粒と比べて丸みを帯びていた。この理由を簡潔に書け。 (2) Bのア~ウの層のうち,中生代に堆積したと考えられるものをすべて選べ。 (3) Cの凝灰岩と泥岩の境目Xは,標高何mの地点か。 作図(4) D地点の地下のようすを,A~C地点と同じように図2にかけ。 (5) この地域の地層は東·西·南·北のどの方位が低くなるように傾いているか。 記(6) 図のa~cの層が堆積する間に,この地域の地形はどのように変化したと考え5) られるか。「海岸からの距離」という語句を用いて簡潔に書け。 ア,イ でいがん 72m 図2にかく。 かたむ みなみ 南 きょり (2)はすべてできて得点。 かいがん X (6)例しだいに海岸からの距離が近くなっていった。 きょり ちか 10 3 m教科書p.242~249 (1)記述を流水 れき岩,砂岩,泥岩は流水で運ばれ るときに角がとれて丸みを帯びるが、 凝灰岩などの粒位は角ばっている。 (2) アンモナイトは中生代の地層から発 見される示準化石,フズリナは古生代 の地層から発見される示準化石であ る。アの層は中生代にできた層にはさ まれているので, 中生代にできたと考 えられる。 図解を標高と地層 A 84丁 B C D さがん でいがん ★は 鍵層 Cの方が★が低い →南に低く傾いている o0 82 80 ぎょうかいがん 78 標 76- しじゅんかせ き [m)74- 72- 70- 東西方向の ×X× 68- 傾きはない 66- XX× 000 かぎそう 4)5) A~Dの層の標高をそろえて整理すると上の図のようになる。 鍵層である源 灰岩の層をBとCで比べると, この地層は南に向かって低くなっていることがれ かいがん かる。 プズリナの化石 6「「よ 地表からの深さm

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国語 中学生

お話の最後の◻️には何が入りますか?教えてください。

鉄筋コンクリート三階建ての校舎は、そのころモダンで明るく健康的といわれていたが、像にとってはそれは、いつも暗く、重一 苦しく、陰気な感じのする建物であった 僕の行っていた中学校は九段の第国神社の隣にある。 僕は、全くとりえのない生徒であった。成績は悪いが絵や作文にはずば抜けたところがあるとか、模型飛行機や電気機関車の作 り方に長じているとか、ラッパかハーモニカがうまく吹けるとか、そんな特技らしいものは何一つなく、なかでも運動ときたら学 業以上の苦手だった。野球、テニス、水泳、鉄棒、などもだが、マラソンのように不器用でも誠実に頑張りさえすればなんとかな る競技でも、中途で休んで落伍してしまう。体操の時間にバスケットボールの試合でもあると、僕は最初からチームの外の四人の 邪魔にならぬよう、飛んでくる球をよけながら、両手をむやみに振り回して、「ドンマイ、ドンマイ。」などと、訳も分からず叫ん で、どかどかコートの周りを駆け回っていた。おまけに僕は、全く人好きのしないやつであった。地下室の食堂で、全校生徒が黒 い長いテーブルについて食事するとき、僕は独りでだれよりも先に、お汁の実のいちばんいいところをさらってしまう、そんなと きだけはだれよりもすばしこくなる性質だった。そのくせ食べ方は遅くてきたなく、ソースのついたキャベツの切れ端や飯粒など を担任の先生に調べられるのだが、他の連中は、たばこの粉や、喫茶店のマッチや、けんかの武器になる竹刀のつばを削った道具」 や、そんなもののか見つかりはしないかと心配するのに、僕ときたら同じびくびくするのでも、全く種が違うのだ。僕のポケット からは、折れた鉛筆や零点の数学の答案に交じって、チョークのでよごれた古靴下、パンの食いかけ、鼻くそだらけのハンカチ、 そういった種類の思いがけないものばかりが、ひょいひょいととび出して、担任の清川先生や僕自身を驚かせるのだ そんなとき、清川先生はもう怒りもせず、分厚い眼鏡の奥から冷たい目つきでじっと僕の顔を見る。すると僕は、悔しい気持ち にも、 悲しい気持ちにも、なることができず、ただ心の中をからっぽにしたくなって、目をそらせながら、(まあいいや、どうだっ て。)と、つぶやいてみるのである。 教室でも僕は、他の予習をしてこなかった生徒のようにそわそわと不安がりはしなかった。どうせ僕に当てたってできっこない と思っているので、先生は、めったに僕に指名したりはしない。しかし、たまに当てられると僕は必ず立たされた。教室にいては 邪魔だというわけか、しばしば廊下に出されて立たされることもあった。けれども僕は、教室の中にいるよりは、かえってだれも いない廊下に一人で出ているほうが好きだった。たまたまドアの内側で、先生がおもしろい冗談でも言っているのか、級友たちの一 「わっ」という笑い声の上がったりするのが気になることはあったけれど……。そんなとき、僕は窓の外に目をやって、やっぱり、 (まあいいや、どうだって。)と、つぶやいていた。 校庭は、一周四百メートルのトラックでいっぱいになって。樹木は一本も生えていなかったが、「小路」を一つ隔てた靖国神社の一 木立が見えた。朝、遅刻しそうになりながら人通りのないその「小路」を、急ぎ足に横切ろうとすると不意に、冷たい、甘いにお いがして、足下に黄色い粒々のくりの花が散っていた。 春と秋、靖国神社のお祭りがくると、辺りの様子は一変する。どこからともなく丸太の材木が運び込まれて、あちらこちら積み 上げてあるが、それが一日のうちに組み上げられて境内全体が大小さまざまの天幕の布に覆われてしまう。それは僕らにとって「休 み」のやってくる前ぶれだ。やがて、オートパイの曲乗りゃ、楽隊の音や、少女の合唱や、客を呼ぶ声が、参詣人の雑踏に交じっ て毎日、絶え間なく響き、それらの物音が、土ぼこりにまじった食べ物のにおいの漂う風に送られてくると、校庭で叫ぶ教官の号 令の声さえ闘き取れなくなってしまうのだ。そして、教室の校庭に面するすべての窓からは、そうしたテントの街の裏側をすっか り見渡すことができたのである。 いつか僕は、目立って大きいサーカス団のテントの陰に、一匹の赤茶色い馬がつながれているのを目に止めた。それは肋骨が透一 けて見えるほどやせた馬だった。年取っていれらしく、毛並みにもつやがなかった。けれどもその馬の一層大きな特徴は、背骨の一 ちょうどくらの当たる部分がたいそう湾曲してへこんでいることだった。一体、どうしてそんなに背骨がヘこんでしまうことにな ったのか、僕には見当もつかなかったが、それはみるからに、痛々しかった。 自分一人、廊下に立たされている僕に、その馬について、いろいろに考えることが好きになった。彼はたぶん、僕のように怠けて 何もできないものだから、曲馬団の親方にひどく殴られたのだろうか。殴った後で親方はきっと、死にそうになった自分の馬を見一 てびっくりしたに違いない。それで、ああやっと殺しもできないで毎年連れてきては、御客の目につかない裏の方へないでおくの一 0う。……そんなことを考えていると僕は黙ってときどき自分のつながれたくりの木のこずえの葉を、首を上げて食いちぎった」 りしているその馬が、やっぱり、(まあいいや、どうだって。)と、つぶやいているような気がした。 僕はまた、あの不良少年というものでさえなかった。朝礼の後などに、ときどき服装検査というものが行われ、ポケットの中身 が僕の立った跡にはいちばん多く残っていた。

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