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歴史 中学生

中学生の勉強なんですけど、習っていなくて全然分かりません

次の文を読んで,あとの各問いに答えなさい。 つちょう こせき ねんれい 死ぬと国に返させる制度が定められた。また、朝廷は開墾を進めるため,743年に、 律令にもとづき, 6年ごとに戸籍をつくり, 一定の年齢以上の男女に口分田を与え,その人が くぶんでん あた した土地の永久私有を認める法を出した。 次の各問いに答えなさい。 ① 下線部aの制度を何といいますか。 ② 下線部bの法の名称を答えなさい。 ( (2) 資料 Ⅰ は奈良時代の戸籍の例を示したものです。 資料Ⅰで 間できた! わからなかったらすぐに確認しよう! 〈答えと解説〉はP.73~74 示された家族で, 口分田を与えられる人は何人ですか。 その 数を算用数字で答えなさい。 ( ② 次の各問いに答えなさい。 しょうそういん (1) 資料ⅡIは正倉院の宝物の1つ、資料 とうだいじ は東大寺の大仏をそれぞれ示してい ます。 2つの資料を参考にして, 奈良 時代の文化について述べた文として もっとも適するものを、次のア~エか ら1つ選び,記号で答えなさい。 ア仏教と唐などの外国の文化の影響を 強く受けた国際的な文化が、都を中 心に栄えた。 チ えいきょう イ貴族を中心として, 日本の風土や日 資料Ⅱ 人] ミス (2) 次の文のA~Cにあてはまる書物の名をそれぞれ 答えなさい。 奈良時代には、資料 ⅣV の和歌などがおさめられ た ( A )のほかに、国ごとに自然などを記した (B), 神話や伝承などをまとめた古事記や (C)がつくられた。 A ( 〕 B〔 正倉院宝物 資料 Ⅰ 資料IV FE OOOO OOOO 母妻妹男女 妹 OOOO OOOO OOOO 女 資料 [b] 新しく開墾 ] C [ JAL 法〕 年37歲 年67歳 年30歳 年23歳 年5歳 年3歳 本人の感情に合った文化が生み出された。 ごうぞく ふん ちょうせん ウ王や豪族をほうむるために古墳がつくられ, 朝鮮半島からの渡来人が大陸の文化を伝えた。 しょうとくたいし うまやどのおうじ エ仏教を広めようとした蘇我氏や聖徳太子 厩戸皇子) などを中心とした, 日本で最初の仏教 文化だった。 0003 東大寺 提供 [ 〕 ころも から衣 すそに取りつき 泣く子らを 置きてぞ来ぬや苺なしにして

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国語 中学生

国語の「盆土産」という物語の質問です。 写真が「盆土産」の物語の一部です。 Bで「んだ。うめえ。」と同調したのはなぜか?『しっぽ』という言葉を用い、15文字以上20字以内で答えなさい。 という質問なんですがこの時どのように書いたらいいか教えてください! お願いします🙏

■二次の文章を読み、あとの問いに答えなさい。 【二十五点】 盆土産 三浦哲郎 (前略東京に出稼ぎに出ている父親が、 えびフライを土産に、盆に戻ってきた…....。) 揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。 か むと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯応えで、この辺りでくるみ 味といっているえもいわれないうまさが口の中に広がった。 二尾も一度に食ってしまうのは惜しいような気がしたが、明日からは盆で、精進しな ければならない。 最初は、自分のだけ先になくならないように、横目で姉を見ながら調 子を合わせて食っていたが、二尾目になると、それも忘れてしまった。 不意に、祖母がむせてせき込んだ。 姉が背中をたたいてやると、小皿にえびのしっぽを き出した。 「歯がねえのに、しっぽは無理だえなあ、婆っちゃ。 えびは、しっぽを残すのせ。」 と、父親が苦笑いして言った。 そんなら、食う前にそう教えてく かった。姉の皿を見ると、やはりしっぽは見 を見合わせて、首をすくめた。 当たらなかった。姉もこちらの皿を見ていた。 「歯があれば、しっぽもうめえや。」 姉が誰にともなくそう言うので、 「んだ。うめえ。」 と同調して、その勢いで二尾目のしっぽも口の中に入れた。 父親の皿には、さすがにしっぽは残っていたが、案の定、焼いた雑魚はもうあらかたな くなっていた。 翌朝、目を覚ましたときも、まだ舌の根にゆうべのうまさが残っていた。あんなにうま い土産をもらったのだから、今朝もまた川へ出かけて、そばのだしを釣り直してこなけれ ばなるまいと思っていたのだが、その必要はなかった。 父親が、一日半しか休暇をもらえ なかったので、今夜の夜行で東京へ戻ると言いだしたからである。どうりで、ゆうべは雑 魚の食い方が尋常ではないと思ったのだ。 午後から、みんなで、死んだ母親が好きだったコスモスとききょうの花を摘みながら、 共同墓地墓参りに出かけた。盛り土の上に、ただ丸い石を載せただけの小さすぎる墓 せいぜい色とりどりの花で埋めて、 供え物をし、細く裂いた松の根で迎え火をたい } た 祖母は、墓地へ登る坂道の途中から絶え間なく念仏を唱えていたが、祖母の南無阿 陀仏は、いつも『なまん、だあうち』というふうに聞こえる。 ところが、墓の前にしゃが で迎え火に松の根をくべ足していたとき、祖母の『なまん、だあうち』の合間に、ふと、 「えんびフライ....…。」 という言葉が混じるのを聞いた。 祖母は歯がないから、言葉はたいがい不明瞭だが、そのときは確かに、えびフライ はなくえんびフライという言葉を漏らしたのだ。 祖母は昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして) 祖父と母 親に報告しているのだろうかと思った。そういえば、祖父や母親は生きているうちに、そ びのフライなど食ったことがあったろうか。 祖父のことは知らないが、まだ田畑を作って いる頃に早死にした母親は、あんなにうまいものは一度も食わずに死んだのではなかろ うか ―そんなことを考えているうちに、なんとなく墓を上目でしか見られなくなっ た。父親は、少し離れた崖っぷちに腰を下ろして、黙ってたばこをふかしていた。 父親が夕方の終バスで町へ出るので、独りで停留所まで送っていった。谷間はすでに日 がかげって、雑魚を釣った川原では早くも河鹿が鳴き始めていた。 村外れのつり橋を渡 り終えると、父親はとって付けたように、 「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」 と言った。すると、なぜだか不意にしゃくり上げそうになって、とっさに、 「冬だら、ドライアイスもいらねべな。」 と言った。 「いや、そうでもなかべおん。」と、父親は首を横に振りながら言った。「冬は汽車のスチ ームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。 ドライアイスだら、夏どこでなくいるべお ん。」 それからまた、停留所まで黙って歩いた。 バスが来ると、父親は右手でこちらの頭をわしづかみにして、 「んだら、ちゃんと留守してれな。」 と揺さぶった。それが、いつもより少し手荒くて、それで頭が混乱した。 んだら、さいな ら、と言うつもりで、うっかり、 「えんびフライ。」 と言ってしまった。 バスの乗り口の方へ歩きかけていた父親は、ちょっと驚いたように立ち止まって、苦笑い した。 「わかってらぁに。 また買ってくるすけ......。」

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地理 中学生

この二つの問題がわかる方いますか?

心の国家づくりを進めた。 [問4] (4)江戸幕府が鎖国を行ったため海外 との交流は限定的となり,そのことが 国内での産業や文化の独自の発展を後 押しすることとなった。 とあるが, 右 の略年表は、鎌倉時代から江戸時代に かけての、我が国の文化に関する主な 出来事をまとめたものである。 略年表 中のBの時期に当てはまるのは, 次 のア~エのうちではどれか。 ア元大阪町奉行所の与力で陽明学者 おおしおへいはちろう ごうのう の大塩平八郎が,門弟や近隣の豪農を 西暦 1260 1495 1833 我が国の文化に関する主な出来事 1852 にちれん りっしょうあんこく 日蓮が「立正安国論」 を著して他宗や いず 幕府を攻撃し、翌年伊豆に流された。 せっしゅう すみ ●雪舟が墨一色で自然の景観を描いた かんもんめ 163656万両, 銀百貫匁, 米千石を しゅうとうさんすい 「秋冬山水図」を完成させた。 にっこうとうしょうぐう かけ, 日光東照宮が建造された。 うたがわ あんどう ひろしげ しゅくば ●歌川 (安藤) 広重が宿場町の様子を描 とうかいどうごじゅうさんつぎ いた「東海道五十三次」を完成させた。 ●小林一条の俳句・俳文に挿絵をまじ えた「おらが春」が刊行された。 B C D こうのいけ きゅうみん いて決起し、 鴻池家などの豪商の蔵を打ち壊して、金や米をききんに苦しむ窮民に与えた。 まさしげ にったよしさだ 正成・新田義貞軍が戦い、戦いに敗れた楠木正成が自害に追い込まれた。 とよとみひでよし とくがわいえやす 豊臣秀吉の死後、政権内部での対立に端を発し、 各地の大名が徳川家康の率いる東軍と石田三 いしだみつ 成を中心とする西軍に分かれ、美濃国(現在の岐阜県) 関ヶ原で激しく戦った。 こうべ けんむ ウ摂津国川(現在の兵庫県神戸市)で、建武の新政に反旗を翻した足利尊氏・直義軍と楠木 しまばら はん エ九州の島原半島南部と天草諸島のキリシタンの農民が中心となり、藩の厳しいキリスト教弾圧 と重税に抗議して武力蜂起したが, 鎮圧された。

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