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国語 中学生

この問題が分からないので教えて下さい。 お願いします🤲

の 2 3 の 6 3次の文章は、活用形について説明した文章です。空欄○~6にあて はまる言葉を、あとの[ ] から選び、記号で答えなさい 活用形の未然形の「未然」というのは、まだその状態が起こっていな いという意味ですが、助動詞の〔 O や「うよう」また、「れる られる」「せる·させる」などに連なります。連用形は、「図書館へ行き、 勉強する」のように、[@]として用いられることがあります。また、 助動詞「ます」「た」や助詞「て」などに連なります。五段活用では、 助動詞「た(だ)」や助詞「て(で)」「たり(だり)」などに連なって ( ®]をとります。終止形は、文字通り文がそこで終始することを 意味し、連体形は、[©]に連なるという意味ですから、下に名詞 を伴うことが多いのですが、助動詞「ようだ」や助詞「の」「ので」な どにも連なります。仮定形は、助詞「ば」に連なり、仮定を表します。 命令形は「……よ」など、命令する形です 現代語の文法で仮定形となっているところは、古典文法では〔@ ] となり、既にあることが起こったというような意味で、その出来事の原 因などを表す場合に用います。仮定の形は、古典文法では、[ © ] に助詞「ば」を伴って表します。 「ア 日然形 イ 中止法 ウ 音便形 カ未然形 」品定 、あe H ない * 体言 H (5

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この問題分かる人いたら答え書いてほしいです🙏🙏 問題用紙に色々書いちゃってるんですが気にしないでください!

リ22r ごん やや 三次の文章は、容貌も教養もこの人の右に出る者がいない主人公·権 中納言が恋焦がれる姫宮(皇女)がいるが、彼女はつれなく、さまざま口説 くも、結局結ばれることはなかったという物語の冒頭部分である。古文とその現代語訳を読んで、あとの各問いに答えなさい。 4 五月待ちつけたる花 橘 の香も、昔の人恋しう、秋の夕べにも劣らぬ風に、うち。匂ひたるは、をかしうもあはれにも思ひ知らるるを、山ほとと ア * め ぎすも里なれて語らふに、三日月のかげほのかなるは、折から忍びがたくて、例の宮わたりに、おとなはまほしう思さるれど、かひあらじとうちなげ かれて、あるわたりの、なほ情けあまりなるまでと思せど、そなたはもの憂きなるべし。 くろうどのせうしゃう いかににせむとながめたまふほどに、「内裏に御遊び始まるを、ただ今参らせたまへ」とて、蔵人少将参りたまへり。「待たせたまふを」など、 トJ そそのかしきこゅれば、もの憂ながら、車さし寄せよなどのたまふを、少将、「いみじう、ふさはぬ御気色の 候 ふは、たのめさせたまへるかたの、 H 恨み申すべきにや」と“聞こゆれば、「かばかりあやしき身を、恨めしきまで思ふ人は、誰か」など言ひかはして、参りたまひぬ。 あふさか (『提中納言物語』 逢坂越えぬ権中納言より) (現代語訳) 五月を待ちかねてようやく咲いた花 橘 の香も、昔馴染の人を恋しく思い起させるほどで、それが秋の夕べにも劣らぬ身にしむ風に匂いくるのは、 の) 古歌などの連想を生み、また人恋しさの。しみじみとした感興やらもそそられる。そのうえ、山ほととぎすさえ五月ともなると里なれて、人に語らう をJ ように鳴き渡る空には、三日月が光ほのかにかかっている。そんな折からじっとしていられなくなって、いつものように恋しい宮のお邸 あたりを訪 ねたくお思いになるが、行っても無駄足だろうと、ため息まじりで、いっそ別のあそこの女の所、あれなら私が困惑するほどたっぷり思いやりをかけ てくれる、そこへでも行くかとお思いになるが、やはりそちらへは気乗り薄なのだろう。 かんげん どうしようかなと、ぼんやり思案なさっていると、「宮中で管絃の御遊びが始まるから、今すぐ参内なさい」と蔵人少将が使いにいらっしゃった。 「帝がお待ちかねでいらっしゃるのに」などとおせき立てするので、気がすすまないものの、「牛車の用意をせよ」など、命令なさる。少将は、 さんだい Jを A気乗りのしないご いらっしゃる、さてはお約束になった女性があなたの違約を恨み申しあげるだろうからというわけですね」と 痛いところをつく。「こんなつまらぬ私ごときを恨めしいとまで慕ってくれる人は、いったい誰がいますかねえ」など応酬し合って、宮中へ参上な し。 さった。 (日本古典文学全集より)

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写真の中のアイウエの中で、被修飾語との関係が他と違うものを選ぶ問題なのですが、どうやったらできますか??解説お願いします🙏🏻🙏🏻 あと、これらは1文だけで判断できる問題なのかも教えてくださると嬉しいです🥲

で囲った文章はBの現代語訳である。これらの文章を読んで、あとの各 問に答えよ。(*印の付いている言葉には、本文のあとに〔注〕がある。) た がわ *とう A 田川 私、大学で唐詩を教えているんですが、原語で読むか、読み下し でやるかは学生の自由に任せています。原語はできないから読み下し でやるという学生もいれば、ちゃんと原語で読む学生もいるんですよ。 目と かいしやv 本来、読み下しというのは解釈の裏打ちがなければできません。だか ら読み下しがどうできるかで、その学生がその詩を把握しているかど アニ とら うか、あるいは どう把えているかということがわかるわけです。つま り、どれだけ解釈できているかがわかるバロメーターにはなるんです。 4 ざき イ せんだつ 尾崎 なるほど、その解釈というのが先達たちの業績に基づいている わけですね。 田川そうですが、いろんな自由な解釈があっていいと思うんです。そ の解釈を自身の中で、大袈裟にいえば一生かかって、先達たちの解釈 とすり合わせしながら新しい解釈なり、見方を作りだしたら、それは きっと素晴らしいだろう、と。それぐらい、唐詩や中国の古典文学 というものには重み、内容があると思うんです。

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