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現代文 高校生

村上春樹の「鏡」という作品で、P185 L9「そこに僕がいた」とあるのですが、 ① 「そこに僕がいた」とはどういうことなのか ②またどのような表現効果があるのか がわかりません。 誰か教えてください!お願いします

35 鏡 ま雲が切れても、すぐにまたまっ暗になってしまう。 2リノリウム linoleum 建築材料の一種。 どに貼る。 その夜はいつもより急ぎ足で廊下を歩いた。バスケットボール·シューズのゴム底がリ 床な ノリウムの上でシャキッ、シャキッって音を立てた。緑のリノリウムの廊下さ。苔がはえ たみたいなくすんだ緑色だった。今でもよく覚えてるよ。 その廊下のまん中あたりに学校の玄関があるんだけどね、そこを通り過ぎた時に突然 「あれ!」って感じがしたんだ。暗闇の中で何かの姿が見えたような気がしたんだ。わき の下がひやっとした。僕は木刀を握りなおして、そちらの方向に向きなおった。そしてそ つ ト リ ちらにぱばっと懐中電灯の光を投げかけた。下駄箱の横の壁あたりだ。 そこには僕がいた。つまり|| 鏡さ。なんてことはない、そこに僕の姿が映っていただ けなんだ。昨日の夜まではそんなところに鏡なんてなかったのに、いつの間にか新しくと りつけられていたんだな。それで僕はびっくりしちゃったわけさ。全身が映る縦長の大き な鏡だった。僕はほっとすると同時にばかばかしくなった。なんだ、くだらない、と思っ た。それで鏡の前に立ったまま懐中電灯を下に置き、ポケットから煙草を出して火をつけ た。そして鏡に映った僕の姿を眺めながら一服した。窓からほんの少しだけ街灯の光が リ 入ってきて、その光は鏡の中にも及んでいた。背中の方からはばたんばたんっていうプー ルの仕切り戸の音が聞こえた。 意を決して

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直後にエの選択肢の"バイアス"という言葉があったので"エ"だと思ったのですがナゼダメで"ウ"になるのですか。

(ニ) つぎの文章を読んで、後の問いに答えよ。 日本の散文芸術(和文体) の歴史を振り返ったとき、厳密な意味での「三人称」の世界が存在したかどうかはきわめて疑わしい。 物語にせよ軍記にせよ、時に現場に密着したある一人の人物から語られているかと思うと、次の瞬間には全体を傍厳する、全一 能的、バノラマ的な視点に切り変わっていたりもする。大宅世継が夏山繁樹に語るのを作者が聞き書きする(「大鏡」)、という 形に象徴されるように、そこでは多くの場合、誰が誰に語るのか、という具体的な「場」が前提となるのであり、たとえ客観的一 0をH6Jき 融通無得な様態を。 の一貫性を求めて無意識のうちに蓋合性をつけて読もうとしているからなのではないだろうか と感じるのであるとするなら、それはわれわれが近代的な「人称」の概念の影響を受け、視点- 近代以降の小説は、雨洋の十九世紀的なリアリズムを取り込もうとする動きの中で、「人称」という発想に出会い、これを日 本語の言文一致体に実現していこうとする悪載苦闘の歴史でもあった。物語の内容を表現するにあたって、誰が、どのような 資格で語るのか、という問題が、おそらくこれほどまでに厳しく問われた時代はほかにはなかったのである。たとえば一人」 な叙述の形をとっていたとしても、それはあくまでも「よそおわれた三人称」とでもいうべきものなのである。もしもこうした一 64 2014年度 国語

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小論文の添削お願いします

次の文章を読んで、「外国から来て、いま日本に住んでいる人たち」と共にこの社会で慕春らしていくために必要な ことは何か、あなたの考えを六〇○字以内で述べなさい。 この本は、日本に住む「彼ら(the "other" people)」を知るための窓となる本です とすれ違ったり、電車のなかで隣の席に座ってスマートホンを見ていたりします はありますが。 日本で生活していく道を選んだ人たちです。(中略) 外国から来る人びとを、あなたは、どのように受け入れたらよいのでしょう 「彼ら」に、「日本人らしさ」や日本的であることを求めますか? でも、「日本人らしさ」ってなんでしょう? 刺身が好きであればいい? 、人 そうすれば「彼ら」を受け入れますか 音を立ててソバをすすることができれば、日本人として受け入れますか 互いの「違い」を認め合いながら暮らすことはできるでしょうか? それは言葉や習慣、肌の色、文化的背景の違いを通して、あなたが当たり前に思っていた一つひとつのことについて、あ らためて考えることになるかもしれません。「彼ら」が、さまざまな価値観の違いや考え方の多様性を示すことによって、こ」 れまで当たり前と思っていた考え方や同質性の枠組みから出ることを求められることもあるでしょう。 (スペンドリニ·カクチ「私、日本に住んでいます」岩波ジュニア新書による)」 「彼ら」とは外国から来て、いま日本に住んでいる人たちのことです。「彼ら」は、あなたの気づかないうちに道であなた ストだったり、英会話の講師だったり、難民だったり、ディスクジョッキーだったりします。ある日、日本にやってきて 小論文トレーニング vol. 2 4 そんな「彼ら」とあなたが、目を合わせることはあまりないかもしれません。ましてや会話が始まるようなことは、減多 にないかもしれません。テレビ番組や雑誌、新聞などで日本に住んでいる外国人のことが取り上げられているのを見ること 私は、いつも「彼ら」が日本でどんな生活をしているのだろうか、と気になります。「彼ら」は留学生だったり、アーティ 日本語を自由に話せればよいのでしょうか お箸を使って食事をすればよいのでしょうか

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教えて下さい!

小説は、絵や彫刻なとと の一行目から始まって、最後の一行にまで辿り着いたに に無事、受け取られたということになる。小説が持っている大きな進行の〈矢印)」 ろへと向いていて、作中で語られる時間が、どんなに、過去と未来とをジザイに行き来したとしても、基 的に文章は、上から下に向かって読まれ、ページは右から左へと移動する。当たり前の話だ。改行によって、 見えにくくなっているが、一行ずつの文章が、たとえば本ではなく、巻き尺のようなものに連なって書かれ ていたとすれば、小説を読むという行為が、そのながーい、ながい一本の線を辿ってゆくことだという事実 が、よく分かるだろう。 2 これは、日常生活を送る私たちの意識に合致した構造となっている。どんなに色んな出来事が起こっても、 昔のことを思い出したり、未来を妄想してみたりしても、私たちは淡々と現在を生き、過去から未来へとい うへ矢印)に従って前進している。この〈矢印〉の方向は、同じ社会に生きている全員が共有しているものだ。 図 近代になって、急激に規模が大きくなり、複雑化していった私たちの社会では、各人が分担して仕事を受 け持つようになる一方、個別の成果をつなぎ合わせて、全体としてうまく機能するために、ひとつの共通し た時間を持たなければならなくなった。 回一九世紀に鉄道が普及したフランスでは、最初、地方の農村と首都のパリとで、共通の時刻表を作るのに 苦労したという面白い話が残っている。国全体で同じ時間を共有しなければ、せっかく作った農作物も、ス ムーズに鉄道で運んで、パリの間屋を通して、小売業者が売りさばくことはできない。 5 社会全体が、同じテンポで、同じひとつの〈矢印〉に沿って動き出したのが近代であり、人々は、新聞や レビといったマスメディアを通じて、世の中で今、起こっていることを知り、それを過去から未来へとい 共通の時間の流れの中で整理し、自分自身の生活を、そこにどう結びつけようかと知恵をメグらせる そういう時代に発展したのが、小説というジャンルだ。 B O N. a 山 は読みを書け。

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教えて下さい🙇‍♀️

日 今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい免許証をもらえば、 それで完全に修得されたことになっています。料理人や理髪師、自動車の運転手に学校教師、すべて免許証 をもらえば、彼にとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が拡がっています。現に、それさえ 持っていればまず最低ゲンドの生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに伸ばして、彼独得 の技術にする楽しみもなくなりました。なぜかというと、近代の技術というものは、そのもうひとつの特色 として、相互の交換が可能であるということが大切な要素になっているからです。 区 ある一人の名人がいて、ぼろぼろのトラックをなんとか動かしてみせるというような技術は近代では必要 などころか、あっては有害だと考えられています。トラックというものは、いかなる運転手でも動くような 機械でなくてはならないので、天才的な運転手がやっと動かせるトラックなどというものは、現代では有害 なのです。つまり、技術の修得が短期間の知識の修得になる一方、人間そのものが交換可能な知識の体系に 変わったわけで、いいかえれば、人間存在そのものの知識化と非実体化、すなわち情報化が進んでいるとい えるでしょう 山崎正和 「混沌からの表現」 社会 国職業のことをドイツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です。 日本語にも「 的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職 業には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中 で意識的な知識以上のものを獲得する、という事実ではなかったでしょうか。ものに触れる体験というもの は、 たんなる知識の学習とは遠って、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。飽で板を削っ て十年、二十年を過ごすということは、彼の肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」 などという、いわくいい難い精神の部分をヤシナうこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意 誠なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に交換不可能な要素だというべきで ということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終 *かんな B ロ. かたぎ レAう。 つつあるわけです。ひとつの中心を持 し全体像の見え 報化していくということは、いい ブオモノ目を言九ー幸イ L

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至急教えて下さい!

日 今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい免許証をもらえば、技術に それで完全に修得されたことになっています。料理人や理髪師、自動車の運転手に学校教師、すべて免許証 をもらえば、彼にとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が拡がっています。現に、それさえ 持っていればまず最低ゲンドの生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに伸ばして、彼独得 の技術にする楽しみもなくなりました。なぜかというと、近代の技術というものは、そのもうひとつの特色 として、相互の交換が可能であるということが大切な要素になっているからです。 2 ある一人の名人がいて、ぼろぼろのトラックをなんとか動かしてみせるというような技術は近代では必要 などころか、あっては有害だと考えられています。トラックというものは、いかなる運転手でも動くような 機械でなくてはならないので、天才的な運転手がやっと動かせるトラックなどというものは、現代では有害 なのです。つまり、技術の修得が短期間の知識の修得になる一方、人間そのものが交換可能な知識の体系に 変わったわけで、いいかえれば、人間存在そのものの知識化と非実体化、すなわち情報化が進んでいるとい えるでしょう Ik 社会 N. 3職業のことをドイツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です。 日本語にも口 的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職 業には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中 で意識的な知識以上のものを獲得する、という事実ではなかったでしょうか。ものに触れる体験というもの は、たんなる知識の学習とは違って、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。飽で板を削っ て十年、二十年を過ごすということは、彼の肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」 などという、いわくいい難い精神の部分をヤシナうこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意四 読なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に交換不可能な要素だというべきで 山ということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終 *かんな B かたぎ 4 して、現s つつあるわけです。ひとつ ンJSう こと し全

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わからないです!教えて下さい

15 10 日小説は、絵や彫刻などとは違って、鑑賞するのに一日なり、一週間なりの時間が必要な芸術だ。ポリ の一行目から始まって、最後の一行にまで辿り着いた時点で、作者が世に送り出したひとつの作品は、読者 に無事、受け取られたということになる。小説が持っている大きな進行の〈矢印〉は、基本的には、前から後 ろへと向いていて、作中で語られる時間が、どんなに、過去と未来とをジザイに行き来したとしても、基本 的に文章は、上から下に向かって読まれ、ページは右から左へと移動する。当たり前の話だ。改行によって、 見えにくくなっているが、一行ずつの文章が、たとえば本ではなく、巻き尺のようなものに連なって書かれ ていたとすれば、小説を読むという行為が、そのながーい、ながい一本の線を辿ってゆくことだという事実 が、よく分かるだろう 図これは、日常生活を送る私たちの意識に合致した構造となっている。どんなに色んな出来事が起こっても、 昔のことを思い出したり、未来を妄想してみたりしても、私たちは淡々と現在を生き、過去から未来へとい う(矢印)に従って前進している。この〈矢印)の方向は、同じ社会に生きている全員が共有しているものだ 図 近代になって、急激に規模が大きくなり、複雑化していった私たちの社会では、各人が分担して仕事を受 け持つようになる一方、個別の成果をつなぎ合わせて、全体としてうまく機能するために、ひとつの共通し た時間を持たなければならなくなった。 一九世紀に鉄道が普及したフランスでは、最初、地方の農村と首都のパリとで、共通の時刻表を作るのに 苦労したという面白い話が残っている。国全体で同じ時間を共有しなければ、せっかく作った農作物も、ス ムーズに鉄道で運んで、パリの問屋を通して、小売業者が売りさばくことはできない。 回 社会全体が、同じテンポで、同じひとつの〈矢印)に沿って動き出したのが近代であり、人々は、新聞やテ レビといったマスメディアを通じて、世の中で今、起こっていることを知り、それを過去から未来へ 共通の時間の流れの中で整理し、自分自身の生活を、そこにどう結び 回そういう時代に発展したのが、小説とい 筆者の言す るn 6おいS4 「小説の読み方」 たど B 55 C. 山

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分かる方教えて下さい!

15 p S おSいちろう 筆者の言葉の定義をつかす A 日小説は、絵や彫刻などとは違って、鑑賞するのに一日なり、一週間なりの時間が必要な芸術だ。ボウトウ の一行目から始まって、最後の一行にまで辿り着いた時点で、作者が世に送り出したひとつの作品は、読者 に無事、受け取られたということになる。小説が持っている大きな進行の〈矢印〉は、基本的には、前から後 ろへと向いていて、作中で語られる時間が、どんなに、過去と未来とをジザイに行き来したとしても、基本 的に文章は、上から下に向かって読まれ、ページは右から左へと移動する。当たり前の話だ。改行によって、 見えにくくなっているが、一行ずつの文章が、たとえば本ではなく、巻き尺のようなものに連なって書かれ ていたとすれば、小説を読むという行為が、そのながーい、ながい一本の線を辿ってゆくことだという事実 が、よく分かるだろう 「小説の読み方」 文字 N. a これは、日常生活を送る私たちの意識に合致した構造となっている。どんなに色んな出来事が起こっても 昔のことを思い出したり、未来を妄想してみたりしても、私たちは淡々と現在を生き、過去から未来へとい う (矢印)に従って前進している。この〈矢印〉の方向は、同じ社会に生きている全員が共有しているものだ。 園 近代になって、急激に規模が大きくなり、複雑化していった私たちの社会では、各人が分担して仕事を受 け持つようになる一方、個別の成果をつなぎ合わせて、全体としてうまく機能するために、ひとつの共通し た時間を持たなければならなくなった。 四一九世紀に鉄道が普及したフランスでは、最初、地方の農村と首都のパリとで、共通の時刻表を作るのに 苦労したという面白い話が残っている。国全体で同じ時間を共有しなければ、せっかく作った農作物も、ス ムーズに鉄道で運んで、パリの問屋を通して、小売業者が売りさばくことはできない。 回 社会全体が、同じテンボで、同じひとつの〈矢印〉に沿って動き出したのが近代であり、人々は、新聞やテ レビといったマスメディアを通じて、世の中で今、起こっていることを知り、それを過去から未来へという 共通の時間の流れの中で整理し、自分自身の生活を、そこにどう結びつけようかと知恵をメ 回そういう時代に発展したのが、小説というジャン 山 F

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分かるところだけでもいいので教えて下さい!

15 日 今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい免許証をもらえば、技術は それで完全に修得されたことになっています。料理人や理髪師、自動車の運転手に学校教師、すべて免許証 をもらえば、彼にとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が抗がっています。現に、それさえ 持っていればまず最低ゲンドの生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに伸ばして、彼独得 の技術にする楽しみもなくなりました。なぜかというと、近代の技術というものは、そのもうひとつの特色 として、相互の交換が可能であるということが大切な要素になっているからです。 因 ある一人の名人がいて、ぼろぼろのトラックをなんとか動かしてみせるというような技術は近代では必要 などころか、あっては有害だと考えられています。トラックというものは、いかなる運転手でも動くような 機械でなくてはならないので、天才的な運転手がやっと動かせるトラックなどというものは、現代では有害 なのです。つまり、技術の修得が短期間の知識の修得になる一方、人間そのものが交換可能な知識の体系に 変わったわけで、いいかえれば、人間存在そのものの知識化と非実体化、すなわち情報化が進んでいるとい やまさきまさかず 山崎正和 筆者の提起した問題をおさえる 評論 「混沌からの表現」 社会 2. えるでしょう 図職業のことをドイィツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です 日本語にも「 的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職 業には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中 で意識的な知識以上のものを獲得する、という事実ではなかったでしょうか。ものに触れる体験というもの は、たんなる知識の学習とは違って、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。飽で板を削っ て十年、二十年を過ごすということは、彼の肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」 などという、いわくいい難い精神の部分をヤシナうこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意 識なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に交換不可能な要素だというべきで Jということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終 *かんな B. かたぎ し4う。 これに対して、現代の現実が情報化していくということは、いいかえれば、現実のすべてが知識化してい して、それにつれて、現実とかかわる人間もまた情報化され、肉体も気質も持たない つつあるわけです。ひとつの中心を持ち、有機的な統一を持 し全体像の見えない、キミョウな機

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わかる方教えて下さい!

15 10 の 日 今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい免許証をもらえば 托備に それで完全に修得されたことになっています。料理人や理髪師、自動車の運転手に学校教師、すべて免許証 をもらえば、彼にとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が拡がっています。現に、それさえ 持っていればまず最低ゲンドの生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに伸ばして、彼独得 の技術にする楽しみもなくなりました。なぜかというと、近代の技術というものは、そのもうひとつの特色 として、相互の交換が可能であるということが大切な要素になっているからです。 日 ある一人の名人がいて、ぼろぼろのトラックをなんとか動かしてみせるというような技術は近代では必要 などころか、あっては有害だと考えられています。トラックというものは、いかなる運転手でも動くような 機械でなくてはならないので、天才的な運転手がやっと動かせるトラックなどというものは、現代では有害 なのです。つまり、技術の修得が短期間の知識の修得になる一方、人間そのものが交換可能な知識の体系に 変わったわけで、いいかえれば、人間存在そのものの知識化と非実体化、すなわち情報化 えるでしょう 『混沌からの表明』 社会 が進んでいるとい 3職業のことをドイツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です。 ということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終 的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職 業には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中 で意識的な知識以上のものを獲得する、という事実ではなかったでしょうか。ものに触れる体験というもの は、たんなる知識の学習とは違って、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。飽で板を削っ 日本語にも「 *かんな B. て十年、二十年を過ごすということは、彼の肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」 などという、いわくいい難い精神の部分をヤシナうこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意 識なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に交換不可能な要素だというべきで かたぎ 4. しょう 現代の現実が情報化していくということは、いいかえれば、現実のす つつあるわけです。ひとつの中心を持ち、有 し全体像の見え。 ハ ー幸イさ

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