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現代文 高校生

(5).(6).(7)が分からないので教えてください🙏 お願いします🙇‍♀️

国語 - 18 - んなことはない。ちゃんとわかっていても、反応が遅いだけ。若い時に は思いもよらなかったことを考えていたりもするんだけど、それをとっ さに口に出すのが位劫なだけで、本当はちゃんとわかってる。 それはきっと、みなさんも同じでしょう 大人は「十五蔵なんてまだ子どもだ」と思うかもしれない。でも実際 |現代文 2 ●次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 近頃は、まわりの気が読めない人のことを(KY) っていいますよ ね。今の若い人は、自分が本当に思っていることも、まわりに遠慮して いえないんじゃないですか。若い人たちが謙虚になったといえばいえま すけど、へんにものわかりよくしないで、もう少し本当のことをハッキ リさせた方がいいですよ。自分の本心といっべん向き合ってみるといい。 しそうなこと、もっともらしいことをいわれても、「なんかおかしい」 「なんかちがう」と思ったら、諸めよくしないでその気持ちが何なのか 自分でもう少し掘り下げてみるといい。 人にわかってもらうのは二の次でいいんです。いわなくたっていい。 それを輩にもいわないでも、誰かにわかってもらわなくてもいいから、 はそうじゃない。たいていのことはみんな、わかってて、だけとそれを いう言葉を知らないからいわないだけで、ちゃんと心の中ではいろんな ことがわかっちゃっている。君たち少年少女っていうのは、おそらく、 そういうものじゃないですか 人には、ちゃんと知ってるけどいわないだけ、それをいう言葉を知ら ないだけってことがある。年をとると、そこのところが実感として本当 によくわかってくるんです。そういうことがよくわかってくるというこ とが、お年寄りの唯一の取り柄だといってもいいくらいです。わかって るんならやったらいいじゃねえかっていわれても、それができれば誰で も文句はないんでね。 あの人は何もいわないけど、本当は気持ちの中で自分によく問いかけ、 自分がなぜそう感じるのか、自分の考えを自分で知っておく。書くこと一 はそういう時の手助けになるはずです。自分と向き合うための方法でも あるし、そうやって自分自身の実感を繰り返し探っていくことで心が鍛一 自分でよく答え、それを繰り返している。それは言葉に表さなくても 行動に表さなくても、心の中でそういうふうにしてるってことがある。 人は誰でも、誰にもいわない言葉を持ってる。 えられるというのかな。 Rです。 僕は自分が年寄りになってみて、わかったことがあるんですよ 年寄りっていうのは耳も遠いし、日も悪くなるし、頭もだんだんボケ でくるんだと思っていたら、それはちょっとちがうんですね。確かに体一 の動きは純くなってくるんだけど、じゃあ全部鈍いかっていったら、そ いをめぐらせて、それをよく知ろうとすることは、人がひとりの孤独を JS合SS きっとなると思いますよ。 水黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になる きっかけをちゃんと持ってるといっていい。 僕は、うまく伝えられなかった言葉を紙に書いた。品かなかった言葉 が、僕にいろんなことを教えてくれた。自分や誰かの“言葉葉の根っこじに思 一線8「沈黙も、言葉なんです」とありますが、そう言えるの はなぜですか。最も適当なものを次から一つ選び、記号で答えなさ (古本隆明「5歳の寺子屋 ひとり」より) い。 線「本当のこと」とはどんなことですか。文章中の言葉を一 使って二十字以内で答えなさい。 ア 黙っていても、心の中で自問自答しているから ィ 黙っていても、気持ちは人に伝わることが * P

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設問三について教えてほしいです!

No.1 次の文を読んであとの問いに答えよ。 (前文要約)筆者は2019年H月、仙台市で行われた災記憶の継承を考えるシンポー ジウムで修学旅行の提案をした。近々南海トラフで大きな地震が予測されているなか、高校 出2型な神J知ってほしいとの趣旨である。 まずは飛行機で仙台に入るのが望ましい。あの空港が一瞬にして水漫しになって「ハイサー されたリとをターミナルビルの屋上から見る。 次に、仙台の“市街地ではなく海沿いの荒浜地区に直行する。すっかり平地になってしま ったところに荒浜小学校の建物だけが残っている。四階建てのこの校舎のおかげで多くの人 命が教われた 高校生たちはバスでこの地域のあちらこちらに数名ずつプンサンして運ばれ、決められ た時刻に地震が起こったと仮定して、荒浜小学校の四階まで避離する。実際の時には避難す るか否かという判断も自分でしなければならないことを教える。 石巻市に移動。 大宮町の避離タワーに登る。高台が遠いところではこの種の施設が役に立つことを教え たくさんの児童と教師が亡くなった大川小学校に行く。この校舎は、踏論の末、震央遺構 として残されることになった。その揚に立って地形を見る。 ぐ要はなのになぜ子供た一 ちはそちらに逃げなかったのか。教師はなぜ時間をCロウヒし、間遠った指示を出したの一 か。ここでは「大川伝承の会」の保護者の方から何が起こったかを聞くことができるだろ (女川町→陸前高田市は省略) 人船渡市に行く ここでは市役所も病院も、東海新報の建物もみな高台にあることを見せる。チリ津波で大」 きな被害を出したことが生かされた。石巻の石巻日日新聞は「十ばやく薬新聞を作って避難 所に配ったことで評判になったが、東港新報は翌日からいつもどおりに新聞を発行してい 地震の時に学校の管理下にあった小中学校の児童·生徒たちからほぼ死者を出さなかった 遊難の様子について学ぶ。体験者の話を聞く。釜石では@フダンから「津波てんでんこ」の 教育と刑神をしていた。子供が走って逃げれば非常事態と知って大人も逃げる。

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Q本文中のアラベスクの意味とは? ①神秘的な雰囲気をたたえた装飾 ②幾何学的に組み合わせられた模様 ③視覚的効果を計算した多彩な色彩 ④意味をはぎ取られたむき出しのもの ⑤脈絡のない細部を縫い合わせた布地 という選択肢で②と⑤で迷って⑤を選択してしまったのですが、答えは②... 続きを読む

121 スージ LのE伝統においてはほとんどの場合、身体は「物体」(bodylcorps)の一つとして、「心」や「精神」 (mind/esprit)と ]わたしの身体は、わたしが見、触れることのできる物的対象の一つである。それは物体としての密」 悩されてきた。[a LAt積とをもち、叩けば音もする。それは疑いえないことで、【 b 】西洋の科学の歴史のなかでは長らく、身体はもっぱ 後室)のモデルに沿って医学や生理学の対象として分析されてきた。【 c ]、あらためて考えると、人の身体は物体とし しは知覚情報があまりにも乏しい。具体的にいうと、たとえば見える部分は全体の半分にも満たない。後頭部や背中はどうあが しても絶対じかには見ることができない。つまり、〈わたし〉の身体はわたしにはトータルには不可視なものであり、〈像〉と インヴィジプル してしか体験できないのである。わたしの身体はそれなしに〈わたし〉のありえないもの、というか〈わたし》自身でもあるの それ全体から当のわたしは遠く隔てられているという事態がここにはある。「各人は各自にもっとも遠い者である」とかつ (にー) てニーチェは書いていたが、この言葉は身体にこそよく当てはまる。 この点について、いますこしタンネンに見ておこう。 じぶんの身体というものは、だれもがじぶんのもっとも近くにあるものだとおもっている。たとえばホウチョウで切った傷の Sはわたしだけが感じるもので、他人は頭でわかっても、わたしの代わりに痛んでくれるわけではない。その意味で、わたし わたしの身体であるといいうるほどに、わたしはまちがいなくわたしの身体の近くにありそうである。ところが、よく考え 。おたしがじぶんの身体についてもっている情報は、ふつう想像しているよりもはるかに貧弱なものだ。身体の全表面のう い、ましてや他人がこのわたしをわたしとして認知してくれるその顔は、終生見ることができない。そして難儀なこと 97 んで見える部分というのは、ごく限られている。だれもじぶんの身体の内部はもちろん、背中や後頭部でさえじがに見た

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直後にエの選択肢の"バイアス"という言葉があったので"エ"だと思ったのですがナゼダメで"ウ"になるのですか。

(ニ) つぎの文章を読んで、後の問いに答えよ。 日本の散文芸術(和文体) の歴史を振り返ったとき、厳密な意味での「三人称」の世界が存在したかどうかはきわめて疑わしい。 物語にせよ軍記にせよ、時に現場に密着したある一人の人物から語られているかと思うと、次の瞬間には全体を傍厳する、全一 能的、バノラマ的な視点に切り変わっていたりもする。大宅世継が夏山繁樹に語るのを作者が聞き書きする(「大鏡」)、という 形に象徴されるように、そこでは多くの場合、誰が誰に語るのか、という具体的な「場」が前提となるのであり、たとえ客観的一 0をH6Jき 融通無得な様態を。 の一貫性を求めて無意識のうちに蓋合性をつけて読もうとしているからなのではないだろうか と感じるのであるとするなら、それはわれわれが近代的な「人称」の概念の影響を受け、視点- 近代以降の小説は、雨洋の十九世紀的なリアリズムを取り込もうとする動きの中で、「人称」という発想に出会い、これを日 本語の言文一致体に実現していこうとする悪載苦闘の歴史でもあった。物語の内容を表現するにあたって、誰が、どのような 資格で語るのか、という問題が、おそらくこれほどまでに厳しく問われた時代はほかにはなかったのである。たとえば一人」 な叙述の形をとっていたとしても、それはあくまでも「よそおわれた三人称」とでもいうべきものなのである。もしもこうした一 64 2014年度 国語

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副詞や連体形などの違いを読み取れません コツとか覚え方を知りたいです

8次の文章を読んで一 子どもはもともと発見、創造を得意としている。しかし、飽きっ ぼい。子どものうちに鍛えなければならないのは、創造性よりもむ しろ、難しいことをすぐにあきらめず、同じことを繰り返すことに 飽きたりせず、粘り強くつづける力なのである。 その「粘り強さ」 をはぐくむのが遊びだ 遊びの効用はいろいろある。遊びは、人をリフレッシュさせ、人」 との社会的な関係を築いていくのに役立つ。運動をともなう遊びは 運動能力の発達にも重要だ。しかし、それ以上に、子どもの時の遊 びは知性の発達に非常に重要なのである。 知性の発達の根幹は、象徴する能力である。人間以外の動物と比一 べて人間が格段に違っているのは、この「象徴能力」であると言っ てもよいだろう 一般的には「象徴」ということばは「ハトは平和の象徴」という ように使われる。ここでの「象徴」は、目に見えない A_的な概 念をある■B 物に代表させる機能という意味で使われている。し かし、本来「象徴」というのはその逆の方向、つまり C_から情一 報のエッセンスだけを取り出し、D_ 化したものなのである。私 たちが目の前にしているモノや出来事は、膨大な情報を含んでいる。 同じモノでも光の当たり方によって目に入ってくる情報は違う。膨 大な情報を必要最小限のエッセンスに圧縮し、抽象化したものが象 徴(シンボル)である。 解 私たちは絵を描くとき、程度の差はあれ、すべて自分で観た世界一 をシンボル化している。どんなにせいみつな具象画でも、目にした一 世界をある一定の光や環境のもとで切り取り、自分の解釈を加えて ーH 『ILー

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『人形 』小林秀雄 200字要約の課題ですが、難しいです。ぜひ参考までに書いていただけると幸いです。

或る時、大阪行の急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。 四人掛けのテーブルに、私は一人 で坐っていたが、やがて、前の空席に、六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。 細君の方は、小脇に何かを抱えて這人って来て私の向いの席に着いたのだが、 袖の蔭から現れ たのは、横抱きにされた、おやと思う程大きな人形であった。人形は、 背広を着、ネクタイをし め、外養を羽織って、 外套と同じ結柄の鳥打帽子を被っていた。着附の方は未だ新しかったが、 顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も根せてい た。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった九坊主を出した。 細君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が会うと、ちょっと会釈して、 車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしてあった。 もはや、明らかな事である。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほ IL. ど以前の事である。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、“彼女 に人形を当てがったが、以来、ニ度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そ んな事か、と私は想った。 夫は旅なれた様子で、ボーイに何かと註文していたが、今は、おだやかな顔でビールを飲んで いる。妻は、はこばれたスープを一馳すくっては、まず人形のロ元に持って行き、自分のロに入 れる。それを繰返している。私は、手元に引寄せていたバタ皿から、バタを取って、 彼女のパン 皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が附かない。「これは恐縮」と夫が代りに礼を 言った。 そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て坐った。表情や挙動から、若い女性の持 つ鋭敏を、私は直ぐ感じたように思った。彼女は、一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素 直に順応したょうであった。私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った。これは、 私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか 細君の食事は、二人分であるから、遅々として進まない。やっとスープ 冬ったところであ る。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかも知れない。身についてしまった習慣的行為かも知 れない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかっ たろう。それほど彼女の悲しみは深いのか 異様な会食は、 極く当り前に、静かに、敢えて言えば、 和やかに終ったのだが、 もし、 誰か が、人形について余計な発言でもしたら、 どうなったであろうか。 私はそんな事を思った。

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専門学校の過去問を解いてみたのですが、回答がネット上にもなくて困っています。 みづらくて申し訳ないのですが回答はあっているか確認していただきたいです。 また、間違っているところが有れば正しい回答も教えて頂きたいです。

次の文章を読んで、後の間に答えなさい。 日 差別は、われわれ人間の中の悪意に基づく。だが、だからといってわれわれの心に住まう悪意をあ 相去すべきなのだろうか ? _これまであらゆる宗教家はそう教えてきたし、哲学者の中にもそう説いて きた者が少なくない。(中略) われわれは他人を嘱し、既 め、他人に危害を加え、破滅させる。純粋に(さまざまな意味で)気に入ら v ない他人に禍 をもたらそうと企 む場合もある。正義を全うするため、国家や家族を守るため、などの vJ全n ,美名のもとにそうする場合もある。復讐 の揚合もあり、自分の身や地位を守る場合もある。 |外形的に他人に膏を加える行為のうち、動機によって正しい行為と誤った行為とを区別することは B には外形的に他人に危害を加える行 い 響に 有効ではないであろう。 A には分けられるであろうが、 為の内的動機を快り出すことは虚しいであろう。当人にも不明な要因が残るであろう。 よって、われわれは他人に危害を加える存在者なのだ。他人を苦しめようとし、その苦しみを喜び、他 人を破減させようとし、その破滅を祝う存在者なのである。(中略) と ローレンツは、人間のみが文化を有するが、それを人間のみが一 c 撃」をするところに求める。 地上の動物が「高級」になればなるほど、集団や個体の差イに敏感になり、ある集団や個体を好み、別 の集団や個体を嫌うのである。ある集団や個体はミ方であり、ある集団や個体は敵なのだ。こうした濃」 淡のある差イの体系が形成されるところに文化は芽生え生育するのである。言いカえれば 存在しないところには、 o方も存在しないのだから、一致団結して敵に立ち向かいミ方を守ると いう勇カンな行為、集団のために自分を犠牲にするという感動的な行為も消え去る。友情も恋愛も家族 愛も……それを如み破壊しようとする敵がいてこそ大切な総なのである。(中略) こうした攻撃心を、動物行動学や精神病理学の成果から無批判的に受容し肯定するのは危険であろう。 かしVこれを無批判的に排除し否定するのもやはり危険なのだ。(差別感情というテーマにおいて、わ れわれのうちに否定しようもなく認められるこうした広い意味での攻撃=悪意を一掃することを目標に してはならない、とは言えるであろう。 あらゆる悪意とその発露が根絶された理想社会を掲げて現状を嘆くのではなくい自他の心に住まう悪 意と闘い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御することVこうした努力のうちにこそ生き る価値を見つけるべきなのだ。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない。誤解を恐れ ずに言えば、悪音意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の価値を決める のである。 自分のうちに潜む攻撃心を圧殺してはならないということは、それを容認することではなく まして それをそのまま資定することではない。われわれは、(むしろ差別感情に伴う攻撃心や悪意を保持したま ま、自己を正当化することが多い。ここに、刺き出しの攻撃心や悪意より|え 悪質な、巧ミョウに隠 された攻撃心が育っていく。ここには、差別をしていないと言いながら紛れもない差別をしているとい の う彼さが悪臭を放っている。

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