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現代文 高校生

現代文、要約の問題について質問です。 要約の解答例(写真三枚目)中盤に [それが我々が〜なっている。] と書かれている場所があるのですが、 本文(写真一、二枚目)を読むと 一枚目最後の 「この明白な〜一つとなっている」 の箇所と「同時に」という言葉で 「私たちが〜にもなって... 続きを読む

第4 例題 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 私たちは、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚といった様々な感覚のモダリティを通して、 外界の様子や自らの身体の様子をつかみ取っている。それぞれの感覚のモダリティの中 では、モダリティ固有のクオリアが感じられている。 たとえば、赤のクオリアと緑のクオリア、金属光沢のクオリアはそれぞれユニークな 質感として意識の中で感じられるが、これらはまた全て「視覚」のモダリティに属する クオリアとして、明らかに共通の何かを持っているように感じられる。一方で、チョコ レートの甘さ、リンゴの甘酸っぱさ、唐辛子の辛さといったクオリアも、それぞれユニー クな質感として感じられるが、全ては「味覚」のクオリアとして何かしら共通の性質を 持っているように感じられる。 そして、「視覚」のクオリアと「味覚」のクオリアの間には双方を混同すべくもない 明らかな差があるように思われる。視覚でも、味覚でも、それぞれの感覚をつかさどる 脳の領域の神経細胞の一個一個には、基本的に差があるわけではない。それにもかかわ らず、神経細胞の間に結ばれる関係性を通して、まったく異なるクオリアが意識の中に 生み出される。この明白な事実は、脳と心の関係を考える上ではもっとも重要であると ともに、その背後にある原理を明らかにすることが難しい問題の一つとなっている。同 [標準解答時間25分]

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この問題の問2は答がハでした。 解説では一方が並立関係になっていることを理解すればわかると書かれていたのですが腑に落ちません。 自分は一方が対立を表していて応用化学が理由かなと思ってハにしたのですが… わかる方いたら助けてほしいです(泣) お願いします🙇

The 間1 (-5) (5) 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 科学技術の発展は目覚ましく、先端化していくにしたがって、科学技術の研究者とい えども自分にごく近いリンセツ分野がどのような状況にあるかはなかなかわからない。 一般の人々にとっては、「クォークに質量のあることがほぼ確定した」といったニュース を聞いても、 それが何を意味するかまったくわからない。 一方、ダイオキシンはがんやその他の病気の原因になるということが広く知られるよう うになって、自分たちの近くにダイオキシンがあるかどうかについて、つねに敏感になっ ている。しかし、 ごみの焼却炉からダイオキシンが発生すると言われても、どのような 燃やし方をしたときにどの程度の濃度のダイオキシンが出るのかといったことは、よく 理解できない。また、ダイオキシンはどのような経路で人体に入り、どの程度の量でど のような被害をおよぼすかといったことも、簡単にはわからない。 こういったことは素 人だけでなく、専門家にもそれほどよくはわかっていないことなのである。 純粋科学は今日ひじょうに専門化しむずかしくなっていて、その分野の知識を十分に 持ち、数学的な表現の意味することがわからねば理解できないという問題がある。一方、 社会に直接深くかかわる環境問題や地震などに関するいわば応用科学については、その 対象がひじょうに多くの要因が複合的にかかわってある現象を引き起こしているので、B それらの要因を分析することがむずかしく、現場を十分に観察しても簡単に結論を出せ ないという困難さを抱えている。 科学技術者は、こういった問題について研究をし、専門分野の学術雑誌に研究結果を 報告する。これが彼らの仕事である。研究すべき課題は「サンセキしているので、学術 論文を書けば、すぐつぎの研究にとりかかり、学術論文の内容をやさしく誰にでもわか 3 るように解説するようなことはほとんどしない。そのような時間はないし、またやさし く書くということは、科学技術者にとってじつはひじょうにむずかしい仕事なのである。 (長尾真「『わかる』とは何か」) 傍線部アイのカタカナを漢字に直せ。 EN 傍線部1 「専門家にもそれほどよくはわかっていない」とあるが、その理由として最も適 当なものを、次のイ~ホの中から一つ選べ。 非常に先端化した専門的な知識を必要とする問題なので、現場を分析するだけではわからな

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文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです

3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。

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何故、選択肢オが間違いなのか分からないです。 解説を見ると(特に水色の部分)オでも間違ってない気がするのですが..教えて下さい😿 1️⃣ 本文 2️⃣ 問題 3️⃣ 解説

たけひこ ヒトの先天色覚異常にかかわる大きな要因は、LオプシンとMオプシンの雑種遺伝子をつくる「非相同組み換え」で、これ は一塩基多型を持ち出さずとも説明できる。しかし、実はまったく関係がないわけでもない。日本の滋賀医科大学のチームは、 制御領域にある一塩基多型が色覚に影響する事例も発見していて、こういったものが、頻度は低いものの、やはり色覚の多様 性にかかわっていることを示している。 そして、本当に様々な要素で決定される色覚も、たくさんある遺伝的な「変異」の中に置いてみれば、ひとつの事例にすぎ ない。全ゲノム的に見れば、一塩基多型だけでも数百万カ所もあることを考えれば、ほんのささいな違いだ。 こばやし ぼくが何度か「変異」という言葉を使った時、小林はふっと口元に笑みを浮かべた。初学者に大切な概念を伝える教師の表 情だった。 「実は、そこで変異とか異常という言葉はそもそも使っていないんです。一塩基多型は、多型 (polymorphism) であって、 一塩基「変異」とは言いません。その理由は色覚異常を「異常」と言わないのと同じです。つまり、頻度が高いものは、変異 とは呼ばないということです。頻度が1%よりも高いものは多型で、それよりも少ないと、 「変異」 (mutation) と呼びます。 頻度が高いものはすでに定着した多型であり、本来持っている多様性の一部として考えるということです」がある。 頻度の高いものをいちいち異常と呼んでいては、あれもこれも全部異常になって、正常などどこにもなくなってしまう。 1%のあたりで切るのは、ある意味で、恣意的なものだが、しかし、だいたいそれくらいを見ておけば、集団の中で定着した ものか、それとも、たまたま現れたものなのか区別がつくだろうというコンセンサスはあるという。 こういったことを、言葉の言い換えに過ぎないとか、あるいは、「言葉狩り」と感じる人もいるだろう。しかし、小林は単 なる言い換えではなく、「概念を置き換えた」と強調した。新しい概念に新しい言葉を、ということだ。 いずれにしても、頻度が高いものを異常と呼ぶときりがないというのは少し想像してみると分かる。お酒に弱い異常、目 あか 色異常、縮れ毛異常、肌のくすみ異常、耳の垢が乾いている異常、大根おろしの苦味を感じない異常、などなど、考え始めた らきりがない。ちなみに、挙げたものは、すべて実在する一塩基多型によって違いが出るものだ。 *小林・・・小林武彦。 生物学者で、当時の日本遺伝学会の会長。

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現代文 高校生

高1現代国語 水の東西 画像のケースにおける問題点をあげてほしいです。 お願いします🙇‍♀️

表情をうかがう文化ではない 年代の国語 東西の文化 山崎正和 「水の東西」 一 【CASE】 「東西の文化」課題プリント ○授業で読んだ「水の東西」の学習を活かして、 【CASE】のトラブルを分析しましょう。 ○ この課題は、評価課題として成績に反映されますので、必ず提出してください。 ○課題に取り組む際には、必ず以下の条 件に従って文章を作成してください。 斎藤さん一家はお父さん、お母さん、そして大学生の陽子さん三人家族である。 洋子さんの通 っている大学で、毎年いろいろな国からやってくる留学生のためのホストファミリーを募集して いるという話を聞いたお母さんの道子さんが、ぜひホストファミリーをやってみたいと言い出し たことから斎藤家の苦難は始まった。 やってきたのは、東欧のある国から来た、イベッタさんと いう女性の大学院生だった。イベッタさんは礼儀正しく、まじめでおとなしそうな学生さんで、 そのうえ日本文学を専攻しているとあって、日本語も大変上手で、 道子さんはじめ、ホストにな ることを反対していたお父さんや陽子さんまでも、これから始まる楽しい文化交流の期待に胸を 膨らませた。 ところが、そんな期待をよそに、 一週間もたたないうちから、 イベッタさんの行動をめぐりい ろいろな問題が噴出することとなってしまった。 まず最初に問題が勃発したのは、イベッタさん の歓迎パーティーの席だった。日本の文化に慣れてもらおうと、お母さんは張り切って、色とり とりの巻き寿司や煮物、茶そばなど、 日本食をたくさん用意して食卓に並べた。 ところがパーテ ィーが始まってもイベッタさんはほとんど料理に手をつけていない。調子でも悪いのかと聞いて みると、「すみません、料理がちょっと口に合いませんので」とはっきり言われてしまった。怒り 心頭のお母さんに同調するように陽子さんは「作ってくれた人のことを考えたら、我慢して食べ るものなのよ!」とイベッタさんに怒りをぶつけてしまった。 その後もせめて部屋の掃除くらいはしてあげようと気をつかったお母さんが部屋の掃除をす ると、イベッタさんからは「自分の部屋の掃除は自分でしますので」と断られ、また遅くなって 帰ってくるイベッタさんに「遅くなるときは心配だから、何時に帰るか電話してね」というと、 「私は大人です」と言い返され、お母さんは困り果ててしまった。そんなある日、陽子さんとイ ベッタさんがイベッタさんのシャワーをめぐり、大喧嘩をしてしまった。陽子さんの主張はイベ ッタさんが毎朝シャワーを浴びるためにお風呂場を独占するので、自分がジョギングに行った後 などたまに使おうとしても使えなくてずっと困っていたというのだ。 それを聞いたイベッタさん は、「お母さんが、いいですって言いました。それに、陽子さん、嫌だったら、 どうして私にもっ と早く言ってくれなかったのですか?」と反省のそぶりもない。 その様子に余計に腹が立った陽 子さんは「いつも困った嫌そうな顔をしたでしょ。顔見たらわかるじゃない、そんなこと!あな たみたいにわがままな人はみたことがないわ!」と怒りをぶちまけてしまった。その後、陽子さ んはイベッタさんと極力言葉を交わさないように、避けるようになってしまった。 そんな気まず い日が続いたある日のこと、イベッタさんから突然、「アパートに移ります」と独立宣言されてし まった斎藤さん一家は、ほっとしたような、 また、何やら腹立たしいような複雑な思いであった。 (引用:『ケースで学ぶ異文化コミュニケーション 誤解・失敗・すれ違い』) ありがた迷惑 文化の違い CS CamScanner でスキャン

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表情をうかがう文化ではない 年代の国語 東西の文化 山崎正和 「水の東西」 一 【CASE】 「東西の文化」課題プリント ○授業で読んだ「水の東西」の学習を活かして、 【CASE】のトラブルを分析しましょう。 ○ この課題は、評価課題として成績に反映されますので、必ず提出してください。 ○課題に取り組む際には、必ず以下の条 件に従って文章を作成してください。 斎藤さん一家はお父さん、お母さん、そして大学生の陽子さん三人家族である。 洋子さんの通 っている大学で、毎年いろいろな国からやってくる留学生のためのホストファミリーを募集して いるという話を聞いたお母さんの道子さんが、ぜひホストファミリーをやってみたいと言い出し たことから斎藤家の苦難は始まった。 やってきたのは、東欧のある国から来た、イベッタさんと いう女性の大学院生だった。イベッタさんは礼儀正しく、まじめでおとなしそうな学生さんで、 そのうえ日本文学を専攻しているとあって、日本語も大変上手で、 道子さんはじめ、ホストにな ることを反対していたお父さんや陽子さんまでも、これから始まる楽しい文化交流の期待に胸を 膨らませた。 ところが、そんな期待をよそに、 一週間もたたないうちから、 イベッタさんの行動をめぐりい ろいろな問題が噴出することとなってしまった。 まず最初に問題が勃発したのは、イベッタさん の歓迎パーティーの席だった。日本の文化に慣れてもらおうと、お母さんは張り切って、色とり とりの巻き寿司や煮物、茶そばなど、 日本食をたくさん用意して食卓に並べた。 ところがパーテ ィーが始まってもイベッタさんはほとんど料理に手をつけていない。調子でも悪いのかと聞いて みると、「すみません、料理がちょっと口に合いませんので」とはっきり言われてしまった。怒り 心頭のお母さんに同調するように陽子さんは「作ってくれた人のことを考えたら、我慢して食べ るものなのよ!」とイベッタさんに怒りをぶつけてしまった。 その後もせめて部屋の掃除くらいはしてあげようと気をつかったお母さんが部屋の掃除をす ると、イベッタさんからは「自分の部屋の掃除は自分でしますので」と断られ、また遅くなって 帰ってくるイベッタさんに「遅くなるときは心配だから、何時に帰るか電話してね」というと、 「私は大人です」と言い返され、お母さんは困り果ててしまった。そんなある日、陽子さんとイ ベッタさんがイベッタさんのシャワーをめぐり、大喧嘩をしてしまった。陽子さんの主張はイベ ッタさんが毎朝シャワーを浴びるためにお風呂場を独占するので、自分がジョギングに行った後 などたまに使おうとしても使えなくてずっと困っていたというのだ。 それを聞いたイベッタさん は、「お母さんが、いいですって言いました。それに、陽子さん、嫌だったら、 どうして私にもっ と早く言ってくれなかったのですか?」と反省のそぶりもない。 その様子に余計に腹が立った陽 子さんは「いつも困った嫌そうな顔をしたでしょ。顔見たらわかるじゃない、そんなこと!あな たみたいにわがままな人はみたことがないわ!」と怒りをぶちまけてしまった。その後、陽子さ んはイベッタさんと極力言葉を交わさないように、避けるようになってしまった。 そんな気まず い日が続いたある日のこと、イベッタさんから突然、「アパートに移ります」と独立宣言されてし まった斎藤さん一家は、ほっとしたような、 また、何やら腹立たしいような複雑な思いであった。 (引用:『ケースで学ぶ異文化コミュニケーション 誤解・失敗・すれ違い』) ありがた迷惑 文化の違い CS CamScanner でスキャン

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