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現代文 高校生

わからないぐらいがちょうどいい (最果 夕ヒ:著) この文章 筆者は何を言いいたいのかが明確にはわかりません。 丁寧に教えていただけないでしょうか🙇‍♀️

いが ち ょ うど い い わからないぐ どんなにシェアされたって、私が聞きたいのはそれじゃない、と思う。SNSで教えてもら みに会いたいとも思わない。SNSはつながるだけで「友達」だなんて言うけれど、でも他人 がかき集めた「好きなもの」を見ただけで、その人のことを知ったつもりになるわけに、いか った好きな食べ物、好きな音楽、そんなものを知ったところで私はまだまだきみを知らず、き ないんだ。失礼だろう。 共有したいっていう感情が、ずっとずっと邪魔だった。わからないものは怖くて、みんなが」 避けてしまうから、だから「わかる人だよ」と伝えるためにも、たくさんの自分の事柄を他人」 と共有しなくちゃいけない。みんなの知っているものが私は好きで、みんなの知っているよう」 な友達がいて、みんなの知っているような服を着る。そうやって自分をデフォルメして、他人」 に伝える、理解してもらうという、そういう作業が気持ち悪くて仕方がない。自分のことを伝 えているつもりで、実際には自分をどんどん打ち消して、もうまったく別物にしてしまう。他 人と同じふりをしないと他人といられないのなら、それは、その人はそこにいる必要がないっ てことだ。そんな生き方は悲しすぎる。 言葉は簡単に、すべてを簡略化して、まったく違うものにしてしまう。クラスメイトと毎日 昼食を食べて、音楽の話をするようになった、それだけでよかったのに、その関係性に「親 友」と名付けてしまう。それだけで、きっとなにかが失われていた。自分だけの感情や関係を、 他人に伝えるため、共有するため、たった一つの不思議な形をしていたそれらを、既存の概念」 心押し込んで、余計なものを削り落とした。そうでもしないと他人に伝えられないから。伝え られなかったら、「意味不明な子」って切り捨てられちゃうから。そう必死になっていた。け れど、実際のところ切り捨てたそれらは本当に(「余計なもの」だったのか? 懸命に他人にわ かってもらおうとしている一方で、自分の存在を否定し続けていた。そして、そうやって捨て一 てきたものを、人は永遠に思い出せない。

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現代文 高校生

文章系がほんとにできなくて、、良かったら教えて欲しいです、、

解法テクニック m P叫エ社 松浦寿輝「小動物のユートピア』 判 展開図 主張の提示一1~3段落 次の文章を読んで、後の設問に答えなさい。 ただしそれは紙型の大小という物理的な問題でもなければ、頁数が厚いか薄いかという大著小著 の差の問題でもない。一冊の書物が「想像的」な対象としてわたしたちの内なる空間に浮上して くるとき、もしそれを小さなものとして想い描けないかぎり、わたしたちはその書物を本当には一 所有しえないということだ。そして、所有しえない書物とは、結局わたしたちには縁のない書物 のことなのだ。大きな本。それは、わたしたちがいまだ自分の肉体の内に摂り込みかねている本一 筆者の見解 時 書物の魅力は何と言ってもその小ささにある。人が本当に好きになれるのは小さな本だけだ。 書物の魅力はその【小ささ】にある 「想像界」の内で本を【小さくつ ろ一こ %D 本を【木わう)という行為 のことである。ことは哲学であろうが漫画であろうが変わりない。そして、大きな本が小さくな一 る手応えを味わう瞬間の、何という至福。 「想像界」の内で本を小さくすること。そのために必要なのは本当は、その本を全部読み通す とか内容を十分に理解するといっただけのことではない。たとえ隅々まで知的に把握しえたとこ 9 ろで大きいままにとどまる書物はいくらもある。わたしたちの肉体が、それを小さなものとして一 受容するという奇蹟が起こらねばならぬ。それがつまりは、愛するということだろう。そしてわ一 一般的な見解(本を愛すること) 。紙型などの【物 」な大小;ものと一 して所有できる書物の【物理】な」 まいに執着すること II 外見の審美的な鑑賞(4段落) たしたちが愛せるのは決まって小さなものだけである。こう言ってもいい。愛のただなかでは存一 在も事物も決まって小さくなる。それは、本が物質としてのものでなくなるというのとほとんど 同じことかもしれない。 本を全部読み通すとか内容を十分に理解」 かつう、愛書家とは、ものとして所有できる書物の物質的な位いに執着する人間のことと見な一 するとかいうように【 ん】に理解す されている。何年に出た第何版という歴史的な出自とともに、装工や紙質や印字の配置といった」 II 内容の知的な理解(4段落) 前段の主張からの発展|4.5段落一 だがわたしたちは、内容の知的な理解からも外見の審美的な鑑賞からも距離をおいたところで」 書物を愛したいと思う。そのとき書物は小さくなる。本当は、大きさ小ささといった物理的範略一 そのものから逸脱してしまうと言ってもよいのだが、ここではあえて「想像的」な比喉としての一 筆者の見解」 愛の対象」 II ||小ささ の利点は何よりも「【憶E]」性 小ささにこだわっておこう。その場合、小ささの利点は何よりもまずその「携帯」性にあるだろ う。わたしたちはどこにもかしこにも持ち歩ける本を好む。その対極にあるのは、どこか外国の s 図書館にたった一冊しか現存せず、然るべき身元証明を提示し、ややこしい書類手続きを経たう えでなければ閲覧することのできない稀観本といったもののイメージだろう。おいそれとは近寄一 物理的なもの =小さくてどこへでも持って 行ける(=携帯性) ることもできないし、ようやくそれに触れる機会にめぐりあっても、うっかりするとたちまち装一 本を愛すること 丁が壊れたり紙葉が制落してしまうので殊の外大切に取り扱わねばならず、そもそも頁をめくる」 のだけでも一仕事であるような、凝りに凝った革装の四つ折り本か何かのイメージ。そうしたも3 のとの出会いが喚ぶであるう感動や興奮も、それなりに理解できないわけではない。だが、小さ な本の魅力は、そうした厳かに蛇立する不動なもののまとうアウラとは無縁である。それは、近 寄り難いものが人に強いるような敬意を要求することもない。どこへ行こうとそれはいつも人と一 ともにあるからだ。ポケットの中を探ればいつでも指に触れてそれがあることを確かめられるお 守りのようなものなのである。よく懐いた小動物のようにと言ってもよい。ドリトル先生の物語 " に出てくるあのハッカネズミは、敬愛する先生のくたびれたフラノの上着のだぶだぶのポケット」 にもぐりこんで、どんな遠い旅行にでもついて行くことができたではないか。 だが、繰り返して言っておけば、この小ささは必ずしも物理的なそれではない。物理的に小さ くてどこへでも持って行ける本の魅力というものはたしかにあるし、ジーンズのポケットにこの一 一冊などと言うとどこかの出版社の文庫本の宣伝惹句みたいになってしまうけれど、岩波文庫の e 小林秀雄訳「地獄の季節」を或る時期肌身離さず持ち歩いていたといった体験に覚えがある人は一 多かろう。あれは菊判の大冊のランボー全集か何かではやはり様にならない振舞いなのである。 II 現実としては書物が一 1である場所 で、書物の内容を一 】の中で一 1思い浮かべられること 一般的な見解」 本を愛すること 厳かに乾立する【不】なもののまとう アウラ 合 近寄り難いものが人に強いるような 高」を要求する しかし、本当のことを言えば、ひとたび所有することのできた書物はもはや実際に持ち歩くには一 2 松通寿「小動物のユートヒ 対比設明の 物質的な表情をめぐる趣味階好の洗練が彼の主要な関心事となるだろう。彼は、自分の躯の外に あるものを愛しているのだ。書物はそのとき、或る確固とした色と大きさと重さと手触りを備え一 ていなければならない ロ:目

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現代文 高校生

この問題はどのような対策をすれば良いですか? あと対策に必要な参考書でお勧めのがあれば教えてください

2021年度 一般推薦入試 基礎学力テスト 目次へ戻るカ II 次の間に記号で答えなさい。 問1 次の四字熟語のうち、漢字表記が正しいものを一つ進びなさい。 25 の千歳一遇 の大器晩生 の不機不屈 の分骨砕身 間2 次の四字熟語のうち、漢字表記が誤っているものを一つ選びなさい。 の意気軒品 ん 26 の気字壮大 の権土重来 の順風満繁 間3 下線部の漢字表記が正しいものを一つ選びなさい。 の小学生の立派な行いに畏歴の念を抱いた。 の彼は常に真担な態度で仕事にあたっていた。 の病気の治療のため医師から食餌療法を受けた。 の領土の粗釈期限が切れて返還の手続きが行われた。 27 間4 下線部の漢字表記が誤っているものを一つ選びなさい。 の卒業式で在校生が校歌を査唱した。 の明間なトランベットの音色が響き渡った。 のチャベル内には荘還な音楽が流れていた。 のどこかから美しいピアノの旋律が聞こえてきた。 28 間5 カタカナ部分が下線部の漢字の読みとして正しいものをそれぞれ一つ選びなさい。 の計告 ト の専間 モン (1) の拙劣 シュツ (2) の奥覚 シュウ の該望 エン の然置 ダク の型時 ザン の世事 ヨ 29 30 間6 カタカナ部分が下線部の漢字の読みとして誤っているものをそれぞれ一つ選びなさい。 の安 ノン の凄絶 ソウ 3艦矢 コウ の旗盤 シ の反故 ハン (1) D愛 セキ 31 (2) の衣鉢 ハツ (3) の鑑みる カンガ の設えるトトノ の蛍うツグナ の誰らか ツマビ 32 の一 コン 33

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現代文 高校生

公募推薦を受けるのですが、四字熟語がでます。 問、①一喜一憂 ②佳人薄命 ③治乱興棒 漢字が違う四字熟語はどれですか? みたいな問題がでます。 どう覚えるのがベストなのか、意味は覚えずに漢字だけ覚えるのが時短なのか、意味も一緒に覚えるから記憶が定着しやすいとか、ひたす... 続きを読む

浅茶 れて賢く物事に通じていること 栄耀栄華(えいようえいが)大いに 栄え、はででぜいたくなこと 会者定離(えしゃじょうり)会う者 計は必ず別れる運命にあること。 円転滑脱(えんてんかつだつ)角だ たず滑らかで、自由自在なこと。 遠交近攻(えんこうきんこう)遠い 国と仲よくし近い国を攻撃すると いうやり方。る しを 厭離磯土(えんりえど)この世をけ がれたものとして、きらい離れる すること 借老同穴(かい7 がともに老いを 墓に葬られるこ く契った夫婦のた 格物致知(かくぶぶつ 質を深く理解し、血 臥薪嘗胆(がしんしょ 上に寝たりにがい胆 るような苦心ののち、 目的達成のために苦労 佳人薄命(かじんはくめい は早く死ぬ人、不幸な人 花鳥風月(かちょうふうげ の心をひき起こす趣のあス 物。 の言動などの意味が深く微妙で さまざまに解釈できること。 因果応報(いんがおうほう)人間の 思考行動の善悪に応じて、それ相 応の報いがあること。 心不乱(いっしんふらん) 一つの 事に心を集中して、気を散らさな パ いこと。 一世一代(いっせいちだい)「いっ せい」とも。一生を強めた語。俳一因循姑息(いんじゅんこそく)古い 優や音楽家が引退の時にこれを最 後と立派に演じること。る 一石二鳥(いっせきにちょう)一つ の石で二羽の鳥を落とすこと。一 ならわしや考えにこだわり、一時 のがれの方法をさがすさま。 隠忍自重(いんにんじちょう)じっ 誤とがまんして、軽はずみな行動を しないこと。100 有為転変(ういてんぺん)世の中は 常に移り変わり、とどまることが」 ないこと 右往左往(うおうさおう)混乱して あちこち動きまわること。 右願左師(うこさべん)右を見たり 左を見たりしてためらうこと。 つのことで二つの利を得ること。 一知半解(いっちはんかい)なまか じり。よく知らないこと。二 横行閣歩(おうこうかっぽ)人もな げに気ままに大手をふって歩く 往事々(おうじぼうぼう「」 とも。昔のことはみなぼんやりし て夢のようだということ。 温厚篤実(おんこうとくじつ)穏や かでまじめ、情が厚いこと。 温故知新(おんこちしん)古いこと を研究し新しい知識を開くこと。 鎧袖一触(がいしゅういっしょく) よろいの袖をわずかに触れるだけ で敵を倒す。わけなくうち負かす 意。 外柔内剛(がいじゅうないごう)外 見は弱々しく見えながら、内面は しっかりしていること。 一朝一夕(いっちょういっせき)短 かる い時日、期間のこと 一長一短(いっちょういったん)よ い所もあり、欠点もあること 一刀両断(いっとうりょうだん) 太刀で物をまっぶたつに切ること。一有象無象(うぞうむぞう)有形無形 思い切ってしまつすること 一得一失(いっとくいっしつ)一つ の利益があれば他方損もある。 意馬心猿(いばしんえん)馬や猿が 騒ぐのが抑えがたいように、欲情 で心が迷うのを抑えがたいこと 威風堂々(いふうどうどう)威厳が あって盛んな様子。 章編三絶(いへんさんぜつ)書物を 綴じたひもが三度も切れるほど のすべてのもの。多くのつまらぬ 人や物のこと。 海千山千(うみせんやません)経験 を積んで物事の裏表を知り尽くし ている人 軒余曲折(うよきょくせつ)曲がり くねり入りくんだ複雑な道、事情。 雲散霧消(うんさんむしょう)雲や 霧が消えてなくなるようにあとか たもないこと 隔靴掻窪(かっかそうよう) いたままで足のかゆい所を と。物事の不徹底なもどか 合従連衡(がっしょうれんこ、 が南北に合流し、東西に連~ こと。強敵に対抗するため た戦略、方策。 我田引水(がでんいんすい)白 田に水を引くように、自分e のよいようにはからうこと。 画竜点晴(がりょうてんせい) 絵に最後にひとみを入れるこ 最後の大事な仕上げ。 や 言葉の学習 四字熟語の読みと意味

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現代文 高校生

「 」の中に当てはまる言葉と語句の意味と漢字を至急教えて欲しいです!

「m山州祉) 評論 , 山崎正和 水の東西 次の空欄に、本文を読みながら適当な言葉を入れよ。 〇第一段 (初め~五六·7) が動いているのを見ると、その愛矯の 中に、人生のけだるさのようなものを感じる。 の流れか、 の流れか、「 ことによって、流れてやまないものの存在を強調している。 」はそれをせき止め刻む ○第二段 (五六·8~五八,1】 ヨーロッパやアメリカの街の広場にはいたるところにみごとな J。 一がある。。 一は、ほとばしるというよりは、音」 一に静止しているように見える。 を立てて。一 ○第三段 (五八.2~五九.1) 日本の伝統の中に。一 は少ない。日本人にとって水は する問 流れる姿が美しく、粘土のように 対象ではなかったからであろう。また、水には定まった。一 94 がないということについて日本人は独特の好みを持っ へ なきものを恐れない心の表れではなかった だろうか ていた。それは o ○第四段 (五九:2~終わり) 断続する音の響きを聴いて、その間隙に、 を間接に心で味わう「 賞する行為の一 を表す仕掛けだ |」は、日本人が水を鑑 今ここにある無数の未知/水の東西一 自内容の整理

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現代文 高校生

問4と問5の解説お願いします。 答えは④,①です。 わかる問題だけでも構いません。

0コ0コ ロロ同 のようなテーマが彼らにとっては全く「中立」に映らないだろうということです。もし私たちにとっ でその主題が「中立的」に見えるとしたら、それは私たちが「民主主義は当然のこと」という価値観 が普及した地域にいて、他の価値観をさほど想定せずに済んでいるからです。 理系が関わる例でも事情は変わりません。一九七○年代~八○年代の日本では、環境問題を研究テー ーマに選ぶ理系学生は民間企業での就職が大変になるといわれていました。マジョリティが環境問題」 に関心がなかった時代、敢えて環境に関心を持つことは「偏ったこと」とみなされかねなかったので」 す。現代ならこの感覚はむしろ逆でしょう。 「地球環境を気にかけること」も「民主主義を自明視すること」も、それぞれ一つの価値観であり、 政治的信念の一種です。ただ、その価値観がマジョリティにとって一般的になっている時代、地域で一 はそのことが目立たないだけです。 の うん。 もちろん、「テーマの選択が政治性を持つ」ことは仕方ないにしても、それは研究の過程に政治性が一 入り込むこととは違うのではないか、という指摘は可能です。 たとえば、公害問題や、歴史上の虐殺事件といった問題に対し、ある組織や人物にとって不利にな」 る証拠を隠蔽した上で論文を書いたとしたら、それは「政治的」かつ「党派的」なデータの隠蔽です し、研究不正に等しい行いです。 論争になりやすいのは逆のケース、すなわち証拠として用いる材料を広げる場合です。たとえば、 教育を受けた役所の人間が残した文書記録や、定量的に計測可能な証拠といった従来も用いられてい た判断材料だけではなく、知的障害をもつ人の数十年前の記憶や、コンピュータによるシミュレーシ ョンなど、確実さにおいて劣る要素を持ち込む場合、前者は「実証的」だが後者は違うとして、拒否」 されることがあります。そして、そのような不確かなものを研究の材料に使うのは、政治的な意図が あるからだと。キュウダンされたりするのです。 事例ごとに事情は違うので、一般化は困難なのですが、科学史を踏まえて私が思うのは、どちらか といえば、検証する対象を増やす方が、検証の厳密さを求めてそれを避けるよりは実りが多いのでは一 ないかということです。 1101八年現在、日本では過去の優生政策により障害者に対する強制的断種手術が行われたことが 問題視されていますが、これも最初は当事者の証言を真剣に聞き、証拠となる資料を探した歴史家の一 努力がありました。また、地球温暖化問題が前世紀半ば、最初に話題になったときには、それがシミ ユレーションに基づく推論であることが問題視されましたが、現在はそうした手法が科学的推論の一 (ahsg) つとして認知されています。 以上のことを踏まえるならば、むしろ、「複雑な対象を前にして、価値中立を掲げることが持ちうる 政治性」こそが念頭に置かれなければなりません。すなわち、マジョリティの価値観に浸っているた一 めに自らの政治性が自覚できていない状態のことを、「中立」という名で呼び変えていないかどうかを、 改めて問い直す必要があるでしよょう。 それに加えて、人間の理性の限界という問題もあります。実際、本人は真剣に研究をしている場合 でも、無意識のバイアスで、ある証拠を完全に見逃し、自分の論点を支持する証拠ばかり集めるとい うことがありうるからです。一世紀において、女性の知性が男性に劣るとの見解を出したいくつか の研究には、明らかにこのような傾向がみられました。 司寺に言えるのは、「学問は現実の対象に近づくほど不可避の政治性を帯びる」ということを踏まえ vそれでも「学問的方法論に根ざして言葉を紡ぐことの大切さです。物理学のような法則定立的な方一 AuDろ、歴史学のような個性記述的な方法にしろ、定量的な社会学のようにその中間的なものにし Lo、それは世界を認識する異なったやり方として、数世代にわたり様々なテストを生き残り、受け継 がれてきた人類の遺産なのです。

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現代文 高校生

この評論の問題で、14行目のそういう、25行目のその能力 とはどういうことなのか 教えてください!🙇‍♀️

評論 『本は、これから』 J 田 法 内 ロ ロロ 紙の本を読むということ 消息 酒養 B'紙の本はなくならない。というか、紙の本というカッコとした基盤ぬきにはそもそも電子書籍というものは 存立することができないというのが私の結論である。その理由を以下に述べる。 回「電子書籍の第一の難点は「どこを読んでいるかわからない」ことである。 図 たしかに買をめくると「ぱらり」と音がしたり、頁がたわんだり、反対側の活字が透けて見えたりと、紙の本 を読んでいる状態を擬似的には経験できる。 中のどの部分を、どの方向に向かって読み進んでいるのかがわからない。 自分が全体のどの部分を読んでいるかを潮職的に絶えず点検することは(あまりシテキする人がいないが)読」 書する場合に磐須の作業である。というのは、ある文章がボウトウ近くにあるか、 たところにあるかによって、その文章の解釈可能性に大きな差異が生じるからである。 A、残り何頁であるかがわからない。いったい自分が物語の 2ちょうかん 中程にあるか、巻末が迫っ 推理小説の場合、「いかにも怪しげな人物」が物語のはじめの方に登場してきた場合には、ある程度 =| 小説を読み慣れた読者は「この人は犯人ではなく、いわゆる「レッドヘリング(読者を誤った推理に導くための偽一 りの手がかり)」である可能性が高い」という龍論を行う。作者の方は売者をミスリードするために次々と「レッ ドヘリング」を投じてくる。『残り頁数」はその真置判定の重要な手が と、そこから後は「読者をミスリードするようなトリック」はもう出てこないからである。そういう「ポイント オブ·ノー.リターン」が存在する。グラウンドレベルで読み進んでいる自分を「読み始めから読み終わりまで| の全行程を上空から鳥厳している想的視座」からスキャンする力がなければ、そもそも読書を享受するという ことは不可能なのである。その 息は音楽を聴く場合と変わらない。 a 限度を切る 6 音楽というのは、「もう聞こえない音」がまだ聞こえ、「まだ聞こえない音」がもう聞こえるという、時間意識 の拡大を要求する。私たちはまるで当たり前のように「センリツ」とか「リズム」とかいう言葉を口にしているが、 これは「もう聞こえない音」を記憶によって、「まだ聞こえない音」を先駆的直感によって、現在に引き寄せるこ a とで経験しているから言えることなのである。してこの音楽的経験は、「もう聞こえない音」「まだ聞こえない 音」の範囲が広ければ広いほど深く厚みのあるものになる。現在の前後数秒の音しか再生できないというショー ト·メモリーの聴き手と、数十分の交響楽の最初から今までのすべての楽音を今再生でき、それを踏まえてこ の展開を予期しうる聴き手では、同一の楽音から引き出すことのできる快楽の質が違う。 賞に止まらず、人間が生きてゆく上で必須の能力なのである。 I「おのれ自身を含む風景を鳥蹴する力」。ヘーゲルだったらそれを「自己意識」と呼ぶだろうし、フッサールだっ たら「超越論的主観性」と呼ぶだろう。別に何と呼んでも構わないが、それは人間が生きる上での不可欠の能力 である。でして、読書はぞの力を調巻するための好個の機会なのである。 私はぞの能力を「マッピング(地図上に自分の位置を記すこと)」と呼ぶのであるが、これは単に読書や音楽鑑 5 11 樹

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現代文 高校生

長文問題なんですが、問3問4問7の、文章から答えを見つけ出す問題が分からないので教えて欲しいです、、、

ロ 一古典芸能」そこでは、テレビのスイッチをひねれば容易にお目にかかれる類の、無責任かつ場当り的な芸の意 は消え、水い過去を背負った厳しい芸の様相を帯びてくる。 2この厳しさは、いうまでもなく「伝承」の尊重という事実による。そしてこの態度の根本に、「伝承」とは、ほかな らぬかつての名人達人たちが具現した芸の極意の集成であるとする達意を感じとることが出来る。もともと、芸は磨 かぬかぎり生なものだ。芸と術、そのヨーロッパ流の意識を持たなかった日本の芸術家たちも、芸を磨く体的手段 を、「伝承」に見出してきたということである。 mもちろん、この方式は極めて日本的である。たとえば、以前母が持っていた華道の教科書にそのことを感じた。開 くと、 そこには毛筆で克明に写生された生花の絵がずらりと並んでいた。ただし解説めいた記述ははなはだ簡単で、 残る印象といえば、華道の根本の形式、「天」、「地」、「人」の三文字が、要所要所に点々と記されていたことぐらいだ おた 美力問題2(水の東西) ()の文章を読んで、 後の問いに答えよ。 十近代のヨーロッパの教科書では、こんな簡略は考えられない。第一、生花の素材になる花や葉や木の枝は、一つと して同じ形をしているわけがない。とても画かれたものと同じ形のものを求めようとする方が無理である。そこでも しヨーロッパ方式をやるとすれば、その千変万化を 蒐 集 し、分類し、体系づけるという作業から始まることになる だろう。そういう典型的な例を、僕は和声の教科書でよく知っている。 L小けれども、母の目には、上述した程度の教科書が結構歌い出すというふうであった。一見、それは驚くべきことだ ったが、母にとってはあたりまえで、いうまでもない、教科書を見るまえに、形において千変万化の素材を選択し、 整え、配することによって、バラバラなものがびしりと一体になる様を、先人たちの生花に実感し、またその秘訣を、 手をとられて体験ずみなのである。すなわち、日本の修業方式は、体験がまずさきで、教科書はそれを補足する役割 に置かれている。当然、メモ程度のもので、こと足りるというわけだ。 6日本古来の音楽にも、これと同じことがいえるだろう。もともと「間」とか「節まわし」とか、そういう微妙なも のは、到底ヨーロッパ式の記譜法で捉えられるわけのものではない。今日の三絃用の記譜法も、便法としての意味を一 こえるものではなく、依然師匠と差し向いで、その指や音の動きを、弟子は目と耳とで心得ていくのが本来である。 この体当り的な習得法を、職人たちは「盗む」という。親方はロでは教えてくれないから||というのは、親方自 身もそうして覚えてきたのだから親方の仕事からその技を盗むのである。「盗む」という言葉が、これほど鮮やか な心情を表わす例を、僕はほかに知らない。 cそれからみると、ヨーロッパ方式 は実に懇切丁寧である。体系化されているから、生徒は芸心とかかわりなく、習 得に熱心なかぎり体系に通じることだけは保証され、教師もまた、巨匠名匠たらずとも、教科書を「解説」する役且 が果たせさえすれば、教師としての資格をもつ。そしてこの相違は、おのずから日本とヨーロッパの芸術のありよう をかえていった。たとえば、日本にはテクニシャンは生れないが、ョーロッパにはテクニシャンを生む土壌がある。 そしてまた、日本は[A ]という 絶 に結ばれて、「伝承」の中に自らの形成を見出してきたが、ヨーロッパでは、 [B]を追ってその拡大や、破壊を企てることが出来た。 たが、それ故、どっちが本当でどっちが嘘というわけではあるまい。大切なのはむしろ、ヨーロッパにおいても、 少くとも巨匠たちは、根本の態度においてつねに体験的であったということの方である。 った。 *和声I和声法という法則に基づく和音連結 *1三線=三番線。 『日本の耳』(岩波新書)小倉朗(一九七七年,岩波書店) 開一修線1 「この態度」とは、どのような態度か。十五字以内

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