学年

教科

質問の種類

現代文 高校生

急ぎです!!!!ーー➀について筆者はその理由を,どのように説明していますか。の問いに、 中2段落の要約と指摘されたのですが、 中2段落とは「その秘密こそ〜」と「土に染み込まず〜」の部分でしょうか。 2枚目) これは「中2段落」と書いているんですよね、、?

あなたは、川の水がなぜなくならないか、考えたことがありますか。 水は上から下へ流れています。( A )、いつかなくなってもよさそ うなものなのに、なくならないのはなぜでしょうか。日本のような急」 斜面の国土では、雨は一日で海へ行ってしまってよいはずです。それ なのに、晴れた日でも流れているのはなぜでしょうか。 その秘密こそ、森林にありました。森林は、そのふところ深く雨を 受け入れると、少しずつ地下へ送り込み、やがて下流へはき出してく」 れました。地下水の流れは非常にゆっくりとしています。降った雨が 地下にしみ込み、再び地表にわき出てくるには、三百年も五百年もか かっているほどです。ですから、私たちは江戸時代の水も飲んでいま 4 土にしみ込まず、地表をすべりおちる水は、洪水です。一日で海へ 捨てられてしまう水ですね。 ゆっくりと、地下をくぐってきたわき水は、集まって谷川になり、 小さな川になり、やがて大きな流れになって、平野をうるおしてくれ ました。日本では、少しぐらい日照りが続いても水が絶えなかったの は、国土の七割を占める大森林のおかげでした。 もう一つ、不思議なことがありました。森林の土はなぜ、水に溶け てなくなってしまわないのでしょう。 私たちが、ベラングやコンクリートの道の上に、植木鉢の土をひっ くり返したりして放っておくと、いつのまにか土はなくなってしまい ます。(B )山の斜面には、いつも士がありますね。不思議です。 それもまた、森林のおかげでした。森林の木の根がしっかりと土を一 かかえて、斜面にはりつけていたのです。土ばかりではありません。 土の下にある岩石も、木の根は抱きかかえてくれました。

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

Q本文中のアラベスクの意味とは? ①神秘的な雰囲気をたたえた装飾 ②幾何学的に組み合わせられた模様 ③視覚的効果を計算した多彩な色彩 ④意味をはぎ取られたむき出しのもの ⑤脈絡のない細部を縫い合わせた布地 という選択肢で②と⑤で迷って⑤を選択してしまったのですが、答えは②... 続きを読む

121 スージ LのE伝統においてはほとんどの場合、身体は「物体」(bodylcorps)の一つとして、「心」や「精神」 (mind/esprit)と ]わたしの身体は、わたしが見、触れることのできる物的対象の一つである。それは物体としての密」 悩されてきた。[a LAt積とをもち、叩けば音もする。それは疑いえないことで、【 b 】西洋の科学の歴史のなかでは長らく、身体はもっぱ 後室)のモデルに沿って医学や生理学の対象として分析されてきた。【 c ]、あらためて考えると、人の身体は物体とし しは知覚情報があまりにも乏しい。具体的にいうと、たとえば見える部分は全体の半分にも満たない。後頭部や背中はどうあが しても絶対じかには見ることができない。つまり、〈わたし〉の身体はわたしにはトータルには不可視なものであり、〈像〉と インヴィジプル してしか体験できないのである。わたしの身体はそれなしに〈わたし〉のありえないもの、というか〈わたし》自身でもあるの それ全体から当のわたしは遠く隔てられているという事態がここにはある。「各人は各自にもっとも遠い者である」とかつ (にー) てニーチェは書いていたが、この言葉は身体にこそよく当てはまる。 この点について、いますこしタンネンに見ておこう。 じぶんの身体というものは、だれもがじぶんのもっとも近くにあるものだとおもっている。たとえばホウチョウで切った傷の Sはわたしだけが感じるもので、他人は頭でわかっても、わたしの代わりに痛んでくれるわけではない。その意味で、わたし わたしの身体であるといいうるほどに、わたしはまちがいなくわたしの身体の近くにありそうである。ところが、よく考え 。おたしがじぶんの身体についてもっている情報は、ふつう想像しているよりもはるかに貧弱なものだ。身体の全表面のう い、ましてや他人がこのわたしをわたしとして認知してくれるその顔は、終生見ることができない。そして難儀なこと 97 んで見える部分というのは、ごく限られている。だれもじぶんの身体の内部はもちろん、背中や後頭部でさえじがに見た

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

わかる方教えて下さい!

10 15 m回 日実際の歌舞伎役者の動きはきわめてハードだ。たとえば立った状態から、いきなり床にドンと胡座を組ん で座るシーンがある。今の坂東三津五郎さんは、これをマスターする際、コキュウをきちんとトトノえない と大怪我をすると言われたそうだ こんなに面白かった 化「ニッポンの伝統芸能」』 あぐら 筆者の着眼点を整理する B: A- ばんどう みつ ごろう 図 進にいえば、歌舞伎の舞台に立つ役者は、伝統的な身体の芸を伝承されている存在であり、日々努力をし ている人であるということだ。観客がそれを楽しみにすれば、伝承·努力は今後も続く。そういう身体芸術 O. 因そしてもう一つ、あの派手さも特筆すべきだろう。日本文化というと、だいたい地味で渋いと相場が決ま っている。ところが歌舞伎だけは、異様なまでに派手で華やかだ。特にあの化粧は、世界的に見ても屈指だ ろう。 かつて七〇年代にアメリカのロックバンド·KISSSが一世を風魔したとき、あの派手なフェイスペ イントを見て、日本人の多くは「あ、歌舞伎っぽい」と思ったはずだ。ある種の優越感を覚えた人もいたので はないだろうか なのだ。 ふう び はや アメリカで二〇世紀後半に流行ったことを、日本では中世のバサラの時代から行ってきた。バサラにとっ て、妙に派手な格好をして町を歩くのは基本中の基本だ。彼らは、世間一般から見れば頭を傾げたくなると いう意味で「かぶき者」と呼ばれた。その伝統の中から江戸時代に生まれたのが歌舞伎だ。 回 今日では、野田秀樹さんが演出したり、中村勘三郎さんがアメリカに持ち込んだりと、さまざまな現代風 のアレンジが施されている。だが、どんな味つけをされても、歌舞伎そのもののスタイルが崩れることはな い。身体の「型」や伝統的な舞台装置に基本を置いている以上、歌舞伎は歌舞伎なのだ。そこには、日本人が 忘れかけた身体性や品格、行儀のよさが残されている。私たちはこの伝統芸能に接することで、あらためて 日本文化のすばらしさ、奥深さを知ることになるだろう 回 しかもそれは、どこまでも派手で明るい。おそらく世界中の人々が驚嘆するであろう派手さを、世界の中 では地味に思われがちな日本人がつくり出したという事実を、私たちはもっと誇ってもいいはずだ。真面目 でおとなしい日本人が、本当はどれだけのパワーを持ち、どれだけいかがわしいことか。もともと歌舞伎は 日本化に多大なエイキョウを与えた儒教とは一一線を画している。儒教全盛の徳川幕 かし リR S だSP なかむらかんざぶろう E 問一風子 線A~F TUア

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

副詞や連体形を読み取れません。コツとか覚えねばならないことを教えていただきたいです

0次の文章を読んて 子どもはもともと発見、創造を得意としている。しかし、飽きっ ぽい。子どものうちに鍛えなければならないのは、創造性よりもむ しろ、難しいことをすぐにあきらめず、同じことを繰り返すことに 飽きたりせず、粘り強くつづける力なのである。 その「粘り強さ」 をはぐくむのが遊びだ。 遊びの効用はいろいろある。遊びは、人をリフレッシュさせ、人 との社会的な関係を築いていくのに役立つ。運動をともなう遊びは一 運動能力の発達にも重要だ。しかし、それ以上に、子どもの時の遊 びは知性の発達に非常に重要なのである。 知性の発達の根幹は、象徴する能力である。人間以外の動物と比 べて人間が格段に違っているのは、この「象徴能力」であると言っ てもよいだろう。 一般的には「象徴」ということばは「ハトは平和の象徴」という ように使われる。ここでの「象徴」は、目に見えない A_的な概 念をある「B 物に代表させる機能という意味で使われている。し かし、本来「象徴」というのはその逆の方向、つまり[C_から情 報のエッセンスだけを取り出し口D化したものなのである。私 たちが目の前にしているモノや出来事は、膨大な情報を含んでいる。 同じモノでも光の当たり方によって目に入ってくる情報は違う。影 大な情報を必要最小限のエッセンスに圧縮し、抽象化したものが象一 徴(シンボル)である。 私たちは絵を描くとき、程度の差はあれ、すべて自分で観た世界」 をシンボル化している。どんなにせいみつな具象画でも、目にした 世界をある一定の光や環境のもとで切り取り、自分の解釈を加えて、 静岡[国語] ]から情

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

わかる方教えて下さい!

『JRなに国白会った。 ス化 「ニッポンの伝統芸能」』 院庫 日 実際の歌舞伎役者の動きはきわめてハードだ。たとえば立った状態から、いきなり床にドンと胡座を組ん で座るシーンがある。今の坂東三津五郎さんは、これをマスターする際、コキュウをきちんとトトノえない と大怪我をすると言われたそうだ。 B. ばんJN っごろう 巨逆にいえば、歌舞伎の舞台に立つ役者は、伝統的な身体の芸を伝承されている存在であり、日々努力をし ている人であるということだ。観客がそれを楽しみにすれば、伝承·努力は今後も続く。そういう身体芸術 なのだ。 5 図 そしてもう一つ、あの派手さも特筆すべきだろう。日本文化というと、だいたい地味で渋いと相場が決ま っている。ところが歌舞伎だけは、異様なまでに派手で華やかだ。特にあの化粧は、世界的に見ても屈指だ ろう。かつて七〇年代にアメリカのロックバンド·KISSが一世を風魔したとき、あの派手なフェイスペ イントを見て、日本人の多くは「あ、歌舞伎っぽい」と思ったはずだ。ある種の優越感を覚えた人もいたので はないだろうか アメリカで二0世紀後半に流行ったことを、日本では中世のバサラの時代から行ってきた。バサラにとっ て、妙に派手な格好をして町を歩くのは基本中の基本だ。彼らは、世間一般から見れば頭を傾げたくなると いう意味で「かぶき者」と呼ばれた。その伝統の中から江戸時代に生まれたのが歌舞伎だ。 今日では、野田秀樹さんが演出したり、中村勘三郎さんがアメリカに持ち込んだりと、さまざまな現代風 のアレンジが施されている。だが、どんな味つけをされても、歌舞伎そのもののスタイルが崩れることはな い。身体の「型」や伝統的な舞台装置に基本を置いている以上、歌舞伎は歌舞伎なのだ。そこには、日本人が 忘れかけた身体性や品格、行儀のよさが残されている。私たちはこの伝統芸能に接することで、あらためて 日本文化のすばらしさ、奥深さを知ることになるだろう。 ふう び N. はや S ひで き なかむらかんざぶろう 3 回しかもそれは、どこまでも派手で明るい。おそらく世界中の人々が驚嘆するであろう派手さを、世界の中 は地味に思われがちな日本人がつくり出したという事実を、私たちはもっと誇ってもいいはずだ。攻面目 ぐおとなしい が、 本当はどれ。

解決済み 回答数: 1