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現代文 高校生

作者の問題提起(今話している日本語がなくなったらどうなるかという問題を考えてみたことがあるでしょうか。)に対応する答えとなる一文はどこですか? また、筆者の主張・意見を簡潔に教えて欲しいです!お願いします🙏

を記 あなたは、今話している日本語がなくなったらどうなるかという問題を考えてみ たことがあるでしょうか? たとえば、英語だけで用をたさなくてはいけない状態 になったとしたら? むろん、権力で強要されれば、長い時間をかけて、英語だけ を話すようになるでしょう。でも、英語という糸で織り成される文化は、日本語 という糸でつむぎ出されていた織物とは全く異なっているのです。 たとえば、日本語には擬音語・擬態語が豊かに存在します。けれども、英語に はあまりありません。すると、こんなことが起こります。 帽子さんは、そんな三好さんをジロリと流し見た。(源氏鶏太『御苦労さん』) これは、日本語の文です。 これを英語で言おうとすると、「ジロリ」という擬態 語がうまく表現できないのです。ある辞典では、この箇所をこう翻訳しています。 Hatoko cast a sharp side-long glance at him. 「鳩子は彼に鋭い横目を向けた。」といった意味の英語になっています。これでは 「ジロリ」の持っている、眼球を左から右へあるいは右から左へ移動する動きが、 失われてしまいます。 「ジロリ」は、単に「鋭い横目」という抽象的な言葉では表 せないような、具体的で感覚的な意味を持つ言葉です。 つまり、日本語で織り成 されていた織物のもっていた独特の風合いがなくなってしまったのです。母国語を 失うということは、物の考え方、感じ方を失うということ。大げさに言えば、具体 的で感覚的な日本文化が消えているのです。もちろんそれでもいいとおっしゃる方 もいらっしゃるかもしれません。 そういう方は、是非とも次の問題も考えてみてください。 世界中の言語がすべ 英語だけに統一されてしまったとします。すると、どの地域からも英語という糸 で織り成される織物しか出来てきません。それぞれの地域のもっていた独特の風合 いが失われ、どの地域に行っても、どこに住んでも、同じ織物しかないのです。と いうことは、異なる織物同士の間で競争したり、刺激しあったりすることがないと いうことです。人は、努力をしなくなります。人類の文化そのものが痩せて廃れて いきます。一元化の恐ろしいところです。 人類の文化が発展するのは、さまざまな素材があり、その素材によって織り成さ れる文化が違うからこそなのです。 違う文化同士が接触し、互いに刺激しあい、総 体として人間の文化が発展するのです。 やまぐちなか み (山口仲美『日本語の歴史』より)

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現代文 高校生

完成現代文のP10~転がる小石の部分の解答持っている方いたら見せていただきたいです😭

2 小説 転がる小石 「私」は友人の「陽子ちゃん」と出会ったときのことを思い出している。「私」と陽子は、ある店で開かれたパ ン教室に参加していた。 みやしたな 読解 パン教室で負った「打撲」 宮下奈都 課題 主観的な描写から人物関係をとらえる 速読目標 6 解答 (注) 1フスマ―小麦を製 除かれる、小麦の 要旨をつかむため [81 理解を深めよう 要約のための確認 参加者は女性ばかり十五、六人だった。パンを焼くのがまったく初めてなのは、驚いたことに私ひとりだった ようだ。みんな、家でパンなんか焼くんだろうか? いつ? なんのために? 聞いてみたい。聞いてみたい、と (注1) いながら、篩に取った小麦を延々とかきまわし続けた。こうやってフスマを取り除くのだそうだ。休みなく粉 かきまわすうちに掌は赤くなり、額にはうっすらと汗をかいていた。ふと顔を上げると、台の端で店の主人が ふるい ふる 々と小麦を篩い続けている。ブコツな求道者のようにも見えた。 想像していた優雅な教室とは違い、課される作業はひたすら地道で厳しかった。しかも、主人がいちばん熱心 のだ。手を休めるわけにもいかなかった。いくつかの班に分かれてけっこうな重労働に励んでいたせいで、別 ループの人とは言葉を交わす機会もないほどだった。だから、実習中の陽子ちゃんの様子を私は見ていない。 おきたかったな、と思う。柔らかな髪を白い頭巾に包んで一心不乱に粉をこねていたんだろう。 Am 室の終わりに、焼けたパンを試食してひとりずつ感想を述べた。 私はへとへとだった。パンはたしかにおい 10 った。イベントとしては成功かもしれない。しかし、あの工程を思うととてももう一度自分で焼く気にはな かった。 かま しかったです、おいしかったです、お店のパンが自分でも焼けるなんて感動しました参加者たちが順々 るつるした感想を述べていき、いよいよ私は戸惑った。楽しいというなら、のんびり映画でも観ているほう しい。おいしかったけれど、窯から出したばかりで、しかも贔屓目が入って三割増にはなっている。だいた 手取り足取り教えられてなんとか焼き上がったのだ。ヨユウのある感想などまるで出てこなかった。 ひいき は自分では決して焼かないことにしました。この店でずっと買い続けます。」 憬とした声でそう宣言した人がいた。まったく同じ気持ちだったから、私はうつむいていた目を上げて発言者 顔を見た。髪の長い、可愛い女の子だ。それが陽子ちゃんだった。 帰り道で一緒になった。 「びっくりしたなあ。 いくら挽きたてがおいしいからって毎朝その日の分だけ小麦を製粉するなんて。」 5 200 〇 場面 パン教室 陽子「自分では →「私」 まった 気持ち 状況 「私」 陽子 パン教室で 共通点 ○「私」の心情 世の中をなめて 適当…・・あのパン 陽子: うっとうしい 同時に19 「それをぜんぶ手で漉すんだもの。篩にかけて、混じってるかどうかもわからない外皮を 毎日そこから飴

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現代文 高校生

この問題がわかりません ヒントはたくさんあるのですが、 教えてほしいです

ウィンステップノート 1~12 への取り組み ノートを見ずに模試 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。(配点 三〇) キー 主語 サイエンスとアート。 相反する点は、いくらでもあげられる。 本文 たとえば、普遍性と偶然性。サイエンスの実験では、条件をそろえれば毎回同じ結果になることが求められる。 データは平均化され、一回きりの出来事は「外れ値」として扱われる。しかしアートでは、偶然性がだいじにされ、 平均値よりも「外れ値」にこそ光があてられるようなことが多い。 ~ たとえば、「わたし」の存在。 サイエンスの論文では、「思う」より「考えられる」という表現が好まれる。だれ が考えてもそう解釈できる無理のない論理だという意味だ。つまりサイエンスは、できる限り「わたし」を排除す る。いっぽうでアートは、むしろわたし」がなければはじまらない。「わたし」がこう思う、「わたし」はこう感 じる。ほかのだれもが気づかなかった「わたし」の「思う」や「感じる」を切り出して表現する。 解釈も鑑賞者に よって異なり、そこに一つの正解があるわけではない。 もはや一八〇度違う部分も多いのだけれど、 サイエンスとアートは対極に位置するわけではない。むしろ、そ 10 の根っこにこそ共通するものがある。 (注)ないとうれい (注) その思いを強くしたきっかけが、芸大に入ったばかりのころ、特別講義でこられた内藤礼さん(現代美術)のお 話だ。 「たとえばいま、木漏れ日からさす光がカーテンにきらきら映し出される感じ。 そんなふだんの生活のなかの一場 面や自然の美しさを、いいなあ、と感じている。ほんとうはそうして自分で感じているだけでいいのだけれど、そ15 の「感じ」をアートのなかに表現したい。別にだれがしなくてもいいのだけれど、やらずにはいられない。わたし は、究極に美しいものをつくりたい」 この言葉が、研究者として自分が目指す姿勢と重なり、サイエンスからアートの分野に足を踏み入れたときの迷 いを吹き飛ばしてくれた。 ふりかえり 5 Keflection 様々

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現代文 高校生

教えてください お願いします

らAに先に手を付けるのか、Bを先に実行するのか、それを手遅れになることな 決定しなければならない。けれどもいずれが有効か、誰も見通せているわけで はない。見通せないけれども決断しなければならないのだ。つまり、結果が分か らないまま、分からないことに正確に対応するということ、それが政治的思考に は求められる。政治的な思考とは、政略的な駆け引きである以前に、まずは最善 の工夫であり、最悪の回避であり、優先度の決定(価値の優先/後置の判断)な のであって、人はそこで、最終的な「正解」が見えないままに、しかも最上の「確 かさ」を求めて考え続けなければならないのだ。 こうち さくそう 次に、ケアの思考である。病院で、ある患者が非常に深刻な病に陥ったとき、 そしてどういう治療と看護の方針を採るかというときに、考えは立場によって大 きく異なる。医師の立場、看護師の立場、病院のスタッフの立場、患者の家族の 立場、そして何より患者本人の思いと、さまざまな思いや考えが錯綜する。その うち誰かの意見を採れば、別の誰かが納得しない。つまりここには正解はない。 がないままスタッフたちは、猶予もなしに治療と看護の方針を決めた これば 最後に、アートにおける思考。例えば、制作中の画家には、自分が表現しよう と思っているものが実は何かよく分からない。描きたい、表記

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現代文 高校生

(3)の記述ですが「やり場のない感情」 は結局ストレスを指してると思うので、省いて、6️⃣段落の文を持ってきたのですが、これはおかしいですか?

「具体例」とその「まとめ」との関係に注意してみよう 例題C 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 人間のあり方を考えるのに、人類学がチョゾウして来た様々の文化の、これま ではどちらかと言えばXと考えられて来た事例の方が新しく立ち現れる現 実を説明するのに時にはより有効であると考えられるようになって来た。 2 たとえば、次のようなニュー・ギニアについての記述は十数年前までは、馬 鹿々々しい痴れ者の戯れと考えられたかも知れない。しかし、今日これを読む 5 人に、何やら、自分が秘かに言いたいと思っていることを代弁されていると思う 人は決して少なくないであろう。 ③ パプアニューギニア共和国の、アサロ河流域のグルンバ族の住民は、時々、発 作的な行為に走ることがある。ある暑いけだるい日のひるさがり、村の中を一人 の男が突然逆上して走り出す。 彼は目につくものを片っぱしからよこせと要求す る。こうした時に、回りの人は彼には全然逆らわない。壺でも石の切れ端でもナ イフでも、何でも彼に渡す。“野プタ”の如く変身した男は、木製の矢じり、こ せっけん つぼ んがらがった糸、煙草、石鹸、衣類、ナイフ、網、皿といったザッタな物で大き な袋が一杯になると、それを担いで森の中に姿を消す。 ④二、三日すると彼は袋を持たず、手ぶらで帰って来る。 燃やしたり、どこか人B 知れぬ場所に埋めたり、壊したりしたのである。 ⑤こうした振舞いは、グルンバ族の間では文化の中の許容範囲に入っている。 男 は、森の中に身体中のキンチョウをしぼり出して来たというふうに理解され、彼 はふだんの生活に戻っていく。しかし何日もたたないうちに、また別の男が“野 ブタ"になる。 わく ⑥ 他の社会で、犯罪人とか、通り魔とか暴走族といった枠の中に入っていく人の 多くはこうした社会では、平常の人間で生涯を送れたかも知れない。ある意味で は、こうした行為は、ストレスに対する解放装置になっているといってもよいか も知れない。 7 オセアニアの多くの地域においてそうであるように、 グルンバ族の感情生活、 23 社会生活は、おおかた物の交換の上に成り立っている。交換は、社会的コミュニ ケーションの根幹になるようなパイプであり、交換の場は、最も晴れがましい劇 場である。交換においては、純粋な経済的機能はそれほど大きな位置を占めてい ない。人前で、見せびらかしながら品物をやり取りする行為は、むしろパフォー マンスと言った方がよいようである。それは、既に存在する関係を一方では強調 s しながらも、他方では新しい関係(交通)を打ち立てるという働きをしている。 ⑧野ブタ〟人間の出現は、多くの場合この交換の場に関連している。 交換のと 20 [出典] やまぐちまさお 山口昌男 「文化人類学

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現代文 高校生

リスク社会とは何か(大澤真幸)の問いで 再帰性が上昇するとなぜリスク社会がもたらさせるのか。「再帰性」と「リスク」がどのようなものかに触れながら130〜150字で説明せよ。 とあるのですがさっぱりわかりません、、 どなたか教えてください🙏🙇‍♀️

特定の経済政策は、経済学的な認識によって正当化されると考えてきた。あるいは、生 人と 死についての倫理的な決断は、医学的生理学的な知によって支持され得ると信じてき た。だが、リスク社会は、知と倫理的・政治的決定との間にある溝を、隠蔽し得ないも のとして露呈させざるを得ない。なぜか? 当たりと考えられてきた 科学に関して、長い間、当然のごとく自明視されてきたある想定が、 リスク社会では 成り立たないからだ。科学的な命題は、「真理」そのものではない。「真理の候補」、つま 仮説である。それゆえ、当然、科学者の間には、見解の相違やばらつきがある。だが、 我々は、十分な時間をかければ、すなわち知見の蓄積と科学者の間の十分な討論を経れ ば、見解の相違の幅は少しずつ小さくなり、一つの結論へと収束していく傾向があると 信じてきた。 収束していった見解が、いわゆる「通説」である。科学者共同体の見解が、 このように通説へと収束していくとき、我々は、その通説自体がいまだ真理ではな いにせよ真理へと漸近しているのではないかとの確信を持つことができる。そして、 このときには、有力な真理候補である通説と、政治的・倫理的な判断との間に、自然な 含意や推論の関係があると信ずることができたのである。だが、リスクに関しては、ご うしたことが成り立たない。 S 55 「科学に関して、長 い間、当然のごとく 自明視されてきたあ る想定」とは、どの ようなことか。 というのも、リスクをめぐる科学的な見解は、「通説」へと収束していかないいく しゅうえん 傾向すら見せないからである。たとえば、地球が本当に温暖化するのか、どの程度の期 間に何度くらい温暖化するのか、我々は通説を知らない。あるいは、人間の生殖系列の 遺伝子への操作が、大きな便益をもたらすのか、それとも「人間の終焉」にまで至る破 局に連なるのか、いかなる科学的な予想も確定的ではない。学者たちの時間をかけた討 論は、通説への収束の兆しを見せるどころか、全く逆である。時間をかけて討論をすれ ばするほど、見解はむしろ発散していくのだ。リスクをめぐる科学的な知の蓄積は、見 解の間の分散や悪隔を拡張していく傾向がある。このとき、人は、科学の展開が「真理」 への接近を意味しているとの幻想を、もはや、持つことができない。さらに、当然のこ とながら、こうした状況で下される政治的あるいは倫理的な決断が、科学的な知による 裏づけを持っているとの幻想も持つことができない。知から実践的な選択への移行は、 あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。 八たり ↑ 国以上の考察は、 リスク社会をもたらした究極の要因が何であるかを示唆している。リ スク社会論を唱える論者はウルリヒ・ベックやギデンズ、ルーマンらは、二つ の要因をあげるのが通例である。第一に、つまり近代社会が、自然を固定的なものと見 なさずに、自然を制御することを選んだことそして、よりいっそう重要なこととして、B 第二に、依拠すべき伝統が崩壊したこと これらの要因があげられてきた。要するに、 評論 リスク社会とは何か 40

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全部分からないので教えてください💦

手の変幻 清岡卓行 第一段落 ミロのビーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失 っていなければならなかったのだと、僕は、ふと不思議な思いにとらわれたことがあ る。つまり、そこには、美術作品の運命という、制作者のあずかり知らぬ何物かも、 微妙な協力をしているように思われてならなかったのである。 パロス産の大理石でできている彼女は、十九世紀の初めごろ、メロス島でそこの農 民により、思いがけなく発掘され、フランス人に買い取られて、パリのルーブル美術 館に運ばれたと言われている。そのとき彼女は、その両腕を、故郷であるギリシアの 海陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。 いや、も っと的確に言うならば、彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠し できたのであった。よりよく国境を渡っていくために、そしてまた、よりよく時代を 超えていくために。このことは、僕に、特殊から普遍への巧まざる跳躍であるように も思われるし、また、部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄である ようにも思われる。 僕はここで、逆説を弄しようとしているのではない。これは、僕の実感なのだ。 ミ ロのビーナスは、言うまでもなく、高雅と豊満の驚くべき合致を示しているところの、 いわば美というものの一つの典型であり、 その顔にしろ、その胸から腹にかけてのう ねりにしろ、あるいはその背中の広がりにしろ、どこを見つめていても、ほとんど飽 きさせることのない均整の魔が、そこにはたたえられている。しかも、それらに比較 して、ふと気づくならば、失われた両腕は、ある捉えがたい神秘的な雰囲気、いわば 生命の多様な可能性の夢を、深々とたたえているのである。つまり、そこでは、大理 石でできた二本の美しい腕が失われた代わりに、存在すべき無数の美しい腕への暗示 という、不思議に心象的な表現が、思いがけなくもたらされたのである。それは、た しかに、半ばは偶然の生み出したものであろうが、なんという微妙な全体性への羽ば たきであることだろうか。 その雰囲気に、一度でも引きずり込まれたことがある人間 は、そこに具体的な二本の腕が復活することを、ひそかに恐れるにちがいない。たと え、それがどんなに見事な二本の腕であるとしても。 図解 ●要点整理(箇条書きで)

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文学国語の朝井リョウさんの18歳の選択についての質問です。 バランスを失ってずるりと口からこぼれ出てしまった。」とは、どのようなことか、言い換えてみよう。13・10 「私の両手はあっという間にいっぱいになってしまった」とはどういうことか?14・13 「きれいなものは... 続きを読む

3 で 志望 結果的に、私は、第一志望の国立大学に落ちた。つまり、浪人をするか、どうにか合格 していた第二志望の私立大学へ進学するか、選ばなければならなくなった。 担任の先生、母、私。狭い部屋だった。第一志望を目指し、浪人。二志望に、進学 - 三人で面談をしていたとき、私の目の前にはそんな二つの選択肢があった。 両親や、当時の担任の先生は、浪人を現実的に考えてもいいのではないか、と言った。 もう一年間努力をすれば届かないわけではないかもしれないし、単純に金銭的な問題もあ った。そのあたりのことを考慮しても、一年間浪人をして、第一志望の大学をもう一度目 指すことが正しい選択なのではないか、という話になった。 あのとき私は、キャスター付きの椅子に座っていた。だからだろうか、心の奥底で決め ていた、いつか言おう、いつか言おうと考えていた言葉が、バランスを失ってずるりと口 1 からこぼれ出てしまった。 「浪人はしたくありません。」 なぜなら、と続けつつ、私は唾を飲み込んだ。 「書きたい話がたくさんあるからです。もう一年なんて我慢できません。」 自分の声が自分の耳に入ってきたとき、私は、なんて寒くて、若くて、青くて痛々しく 1 て、勘違いに満ちた発言だろうと思った。今思い出しても、恥ずかしくてたまらない。だ 十八歳の選択 5 語句 2 「バランスを失ってず るりと口からこぼれ出 てしまった。」とは、 どのようなことか、言 い換えてみよう。 世界を跨ぐ とある 考慮(遠慮・配慮) 勘違い(勘案・勘定)

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