評論
『本は、これから』
J
田
法
内
ロ
ロロ
紙の本を読むということ
消息
酒養
B'紙の本はなくならない。というか、紙の本というカッコとした基盤ぬきにはそもそも電子書籍というものは
存立することができないというのが私の結論である。その理由を以下に述べる。
回「電子書籍の第一の難点は「どこを読んでいるかわからない」ことである。
図 たしかに買をめくると「ぱらり」と音がしたり、頁がたわんだり、反対側の活字が透けて見えたりと、紙の本
を読んでいる状態を擬似的には経験できる。
中のどの部分を、どの方向に向かって読み進んでいるのかがわからない。
自分が全体のどの部分を読んでいるかを潮職的に絶えず点検することは(あまりシテキする人がいないが)読」
書する場合に磐須の作業である。というのは、ある文章がボウトウ近くにあるか、
たところにあるかによって、その文章の解釈可能性に大きな差異が生じるからである。
A、残り何頁であるかがわからない。いったい自分が物語の
2ちょうかん
中程にあるか、巻末が迫っ
推理小説の場合、「いかにも怪しげな人物」が物語のはじめの方に登場してきた場合には、ある程度 =|
小説を読み慣れた読者は「この人は犯人ではなく、いわゆる「レッドヘリング(読者を誤った推理に導くための偽一
りの手がかり)」である可能性が高い」という龍論を行う。作者の方は売者をミスリードするために次々と「レッ
ドヘリング」を投じてくる。『残り頁数」はその真置判定の重要な手が
と、そこから後は「読者をミスリードするようなトリック」はもう出てこないからである。そういう「ポイント
オブ·ノー.リターン」が存在する。グラウンドレベルで読み進んでいる自分を「読み始めから読み終わりまで|
の全行程を上空から鳥厳している想的視座」からスキャンする力がなければ、そもそも読書を享受するという
ことは不可能なのである。その 息は音楽を聴く場合と変わらない。
a
限度を切る
6 音楽というのは、「もう聞こえない音」がまだ聞こえ、「まだ聞こえない音」がもう聞こえるという、時間意識
の拡大を要求する。私たちはまるで当たり前のように「センリツ」とか「リズム」とかいう言葉を口にしているが、
これは「もう聞こえない音」を記憶によって、「まだ聞こえない音」を先駆的直感によって、現在に引き寄せるこ a
とで経験しているから言えることなのである。してこの音楽的経験は、「もう聞こえない音」「まだ聞こえない
音」の範囲が広ければ広いほど深く厚みのあるものになる。現在の前後数秒の音しか再生できないというショー
ト·メモリーの聴き手と、数十分の交響楽の最初から今までのすべての楽音を今再生でき、それを踏まえてこ
の展開を予期しうる聴き手では、同一の楽音から引き出すことのできる快楽の質が違う。
賞に止まらず、人間が生きてゆく上で必須の能力なのである。
I「おのれ自身を含む風景を鳥蹴する力」。ヘーゲルだったらそれを「自己意識」と呼ぶだろうし、フッサールだっ
たら「超越論的主観性」と呼ぶだろう。別に何と呼んでも構わないが、それは人間が生きる上での不可欠の能力
である。でして、読書はぞの力を調巻するための好個の機会なのである。
私はぞの能力を「マッピング(地図上に自分の位置を記すこと)」と呼ぶのであるが、これは単に読書や音楽鑑 5
11
樹