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現代文 高校生

現代文「こころ」についてのしつもんです。 「ここに落ち着いた」とはどういう意味ですか?

理に機会をこしらえて、わざとらしく話を持ち出すよりは、 自然の与えてくれるものを取り逃がさないようにするほう がよかろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずに そっとしておくことにしました。 たかびく こう言ってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした 心の経過には、潮の満ち干と同じように、いろいろの高低 があったのです。 私はKの動かない様子を見て、それにさ まざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語 動作を観察して、二人の心が果たしてそこに現れていると おりなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸 の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭 に偽りなく、盤上の数字を指しうるものだろうかと考えま した。 要するに私は同じことをこうもとり、ああもとりし たあげく、ようやくここに落ち着いたものと思ってくださ い。 更に難しく言えば、落ち着くなどという言葉は、この 際決して使われた義理でなかったのかもしれません。 そのうち学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ 日には連れ立ってうちを出ます。都合がよければ帰る時に どきどきしてるのを かくやるか 〃 ●小説 2 5 もやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、 なんにも前と違ったところがないように親しくなったので す。けれども腹の中では、てんでんにてんでんのことを勝 手に考えていたにちがいありません。ある日私は突然往来 にほどこで でKに肉薄しました。私が第一にきいたのは、この間の自 白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんに も通じているかの点にあったのです。私のこれからとるべ き態度は、この問いに対する彼の答えしだいで決めなけれ ばならないと、私は思ったのです。すると彼はほかの人に はまだ誰にも打ち明けていないと明言しました。私は事情 0 が自分の推察どおりだったので、内心うれしがりました。 私はKの私より横着なのをよく知っていました。 彼の度胸 にもかなわないという自覚があったのです。けれども一方 ではまた妙に彼を信じていました。学資のことで養家を三 年も欺いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少 がためにか しも損なわれていなかったのです。 えって彼を信じだしたくらいです。 私でも、明白な彼の答えを渡り 5

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要約が苦手なので見て欲しいです🙇‍♂️ 「ほめるということ」 1枚目の文を200字要約してみました。 添削お願い致しますm(_ _)m

小さなころから、人をほめるのが苦手だ。 ほめてもらうことが大好きなはずなのに、立場 が変わるとどうしていいかわからなくなる。 例えば、髪を切った子がいたとき。 誰かが発し た「似合うね」ということばに同調し、周りの子も声をかける様子をよく目にする。 みんな そうするのが当たり前だと思っているようだ。 本当によいと同意できたときはいい。 問題はそうでないときだ。 空気を読んだ態度をとる' こともできる。 だがその行為は、 自分にうそをつくようで抵抗があった。 だからといって相 手を否定する勇気もなく、黙っていることしかできない。 このまま、自分を一番に優先して よいのか。 本心を押し殺してでも、相手を思いやるべきではないのか。 愛想笑いでその場を やり過ごすたびに葛藤した。 そんな考えが迷走していたあるとき、 久々に会った高校時代の友だちの言葉により一筋の 光が差した。 「あなたにほめられるとうれしい。 本当に思ったことしか言わない人だから」。 厄介だと思っていた性格を、前向きに受け止めてくれる人がいる。 感情をまっすぐ伝えてく れる彼女だからこそ、 感動が胸を満たした。 誰かのご機嫌取りにはなりたくない。 正直すぎる言動は、 相手を傷つけることも知ってい る。 それなら、 白黒はっきりしないことも立派な対応だ。 きっと私はこれからも、そう切り 抜けていくだろう。だけどその分、いいところを見つけたとき、心の底からの思いを伝えた い。 それが一番私らしいほめ方だと思うから。 ( 2019年7月2日 毎日新聞 (夕刊) キャンパる 「すたこら」 より抜粋)

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合ってますか?空いてるところおしえてください!!

次の の一失 ()人といえども我行かん 害あって一利なし 慣用句 (2点×5) 次の()に入る適当な語句を下から選んで記号を書き入れ、 慣用句 を完成させよ ①(イ)ほど笑う。 耳にたこができる 腹の皮がよじれる ② (()ほど聞いた。 足が地につかない ③ あきれて(1) ⑥ そわそわして (ウ。 開いた口がふさがらない オ 歯の根が合わない ⑥才)ほど震えた。 次のことばに続く語を下から選び、記号を○で囲め。 慣用句 (10点) ①失笑を もらす 買う ウ被る) ②小康を 守る イ 失う 保つ) ⑨ 異彩を 放つ イ 保つ ウ 取る) ④ 破綻を 起こす イ迎える ⑦ きたす) しんじす ⑥ 真情を(ア暴露する ウ宣告する) ⑥ 末席を 汚す ウ 取る) ⑥ 清貧に(ア 耐える ⑦ 甘んずる) ⑧人後に(ア 下らない ⑦ 落ちない) ウ報告する) 経験する ■第5回 C ことばの力 月 9727 せいひん イ占める イ 逃げる イ立たない 引導を 渡す イ引く 87 ⑩ 辛酸を(ア味わう ① なめる 24 イ Matr + 吐露する 千 ② 油 ③ 尾びれを( ・・・大丈夫と保証する。 太鼓判を ■ 次の英語のことわざに相当する日本のことわざを後ろから選び 話 で答えよ。 恐れはしばしば危険より大きい ② コックが多すぎると、スープができそこなう ③ ホーマーですら、ときどきコックリをやる 会わなくなれば、忘れられる ⑤ ローマにあってはローマ人のごとくせよ ⑥ ゆっくり急げ ⑦ 二つの頭は一つの頭にまさる ⑧ 一度かまれると、二度目は慎重になる はえ ⑨ 蠅にも怒りがある ⑩ 魚に泳ぎを教える 郷に入っては郷に従え イ 船頭多くして船山にのぼる 去るものは日々にうとし あつもの エ羹にこりて膾を吹く オ案ずるより産むがやすし カ弘法にも筆の誤り 三人寄れば文殊の知恵 ク 急がばまわれ ケ釈迦に説法 一寸の虫にも五分の魂 (33 ウ コ ことわざ (2点×100) ( ( ( ( ( ( ( ( -41-

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この文章の中から「臆病な自尊心」と同様のことを表す語句を選ぶ問題がわかりません。ヒントでもいいのでよろしくお願いします。

時に、残月、光冷ややかに、白露は地にしげく、樹間を渡る冷風はすでに暁の 近きを告げていた。人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄 一幸を嘆じた。 李徴の声は再び続ける。 5 なぜこんな運命になったかわからぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように よれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であったとき、おれは努めて 人との交わりを避けた。人々はおれを据傲だ、尊大だと言った。実は、それがほ とんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつて の郷党の鬼才と言われた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それ は臆病な自尊心とでも言うべきものであった。おれは詩によって名を成そうと思 いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりする " ことをしなかった。かといって、また、おれは俗物の間に伍することも潔しとし なかった。ともに、我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心とのせいである。己の珠 にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の せっさたくま たま おそ 珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。 ⑩ ふんもん ③さんい おれはしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と悪恚とによってますます己の内 358 きょごう

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この問題の答えを教えてください🙇‍♀️

Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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