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現代文 高校生

オリンピックについて 解答がないので六番から一緒に答え合わせして欲しいです!! 間違ってるところがあれば教えて頂きたいです🙇‍♂️ 4国

次の文章を読んで、後の 呆れ返った。 「東京オリンピック2020」は、カイサイ直前まで開会式など担当のトップクリエーターたちの人権感覚欠如の言動が明るみに出て、辞任やら解任やらで 大混乱していた。オリンピックとはどこまでも差別と偏見をジョチョウする人たちに支配されているのだと、次々と入って来る報道に一 ところが、 b 本番の開会式では、全体のヨウショに次々と女性が登場。最後は大坂なおみさんが聖火を点火し、日本は女性や多様なルーツを もつ人たちを応援する国だというイメージが繰り広げられた。日本チームの旗手の一人として、父親がアフリカ・ベナン出身のバスケットボール選手・八村 塁さんも起用され、結局、開会式のメインテーマは震災復興でもパンデミック克服でもなく、 「ダイバーシティ」(多様性)と相成った。 しかし、元来、オリンピックはダイバーシティと相性が悪い。国際オリンピック委員会(IOC)の会長は、初代からの約130年もの間にバッハ現会長 を含めて9人しかおらず、全員白人男性で、1人のアメリカ人を除いて全員ヨーロッパ出身者で固められてきたという。オリンピックというシステムは、2 世紀に漂流する19世紀の遺物であり、驕奢の上に成り立ち、地政学的に偏り、汚職や不正が蔓延する改革不能の組織だと、ニューヨーク・タイムズの記 事は手キビしい。 きょうしゃ まんえん バイエ・マクニールは、八村さんの旗手起用が多文化共生社会につながるかというと、結局、傑出した選手個人の成果のつまみ食いに終わり 「何とも言い 難い」と苦悩する。 この記事に登場するガーナ系日本人ペレ・ヴォンクジョビヴィも、結果が出ない場合、「スポーツを通して得たように見えた多様性と包括 は非常に早く消えるだろうね」と距離をとる。 日本社会でダイバーシティの実現に努力してきた人たちにとって、このオリンピックは複雑なメッセージを放つ。 マイノリティと呼ばれるグループに属する人々は、しばしば、 と見なされ、さらにステレオタイプという檻に押し込められ、孤立する。 あたる 梅津有希子によるシンガー・ソングライター中村中さんへのインタビューで、中村さんは、デビューした年に身体は男性だが女性を自認しているトランス ジェンダーであることを公表し、「NHK紅白歌合戦」にも出場した経験を語っている。 メディアによる過度に劇的な演出(司会が読み上げる母親からの手紙、 赤いドレスにちょっとだけ白が入っているデザインの衣装など)によって、次第に絶望に追い込まれていったという。ここにも表向きには「ダイバーシティ」 を理念に掲げながらメディアが安直なステレオタイプに頼る様子、そこに拍手を送る聴衆、 そしてそれが個人をいかに傷つけるのかが如実に描かれている。 このような状況下で、分断されてきたマイノリティたちを横につないで現状を突破しようとする概念も現れてきた。 「インターセクショナリティ」 (交差性) は、性自認だけでなく、人種、民族、階級、障害の有無といった様々なカテゴリーを意識し、それらの差異の交差部分で深刻化する差別や抑圧に意識を向け という概念であり運動だ。 交差は、たとえば外国籍の女性、トランスジェンダーの女性、障害を持つ女性、貧困層から抜け出せない女性など。こうした考 えは、男女二元論で男性と女性を紋切り型に分断する力を抑え、多様な差異(たとえば、トランスジェンダー、難民、貧困者、障害者など)をもとに横につ ながる力を私たちにサズける。 (林香里「五輪と多様性」による) テー 1 あき

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現代文 高校生

書いてあるところ合ってますか?空いてるところ教えてください、🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

第3回 文章表現の力 月 P20-27 さらに 第3回 ① 医者は、「絶対(安楽 次の()のことばのうち、どの語を用いたら正しい表現となるか。 その記号を○で囲め。 正しい表現 (2点×5) 安静 ウ 安全)」と言った。 発達 ウ 進展がない。 衝動 ウ 打撃)にかられて家を飛び出した。 自説に(ア固持 固守 ウ固執し過ぎるのはよくない。 ⑤ 懸案の問題も(ア早晩 イ最前 先刻) 解決するだろう。 ② まねするばかりだと (ア進歩 (ア 衝撃 2 次の()に入る最適なことばをそれぞれ後ろから選び、記号で答え 文の強調表現 ( 2点×10) () 事故の巻きぞえになるところだった。 よ。 上等な品物で、他のお店にはございません。 子どものことですから、 お許しください。 できていないじゃないの。 夏休みの宿題、( ⑤(力)雨もあがったようだ。 あの問題は( 解決できそうだ。 ⑦ この成績で大学に行くなんて、 ( 無理だよ。 (8 ( 学問にはげむ毎日。 ⑨ 練習によって( 技術は上達する。 言うまでもあるまい。 あやうく とびきり ウなんとか オどだい ようやく キ もっぱら ク なにぶん いまさら ⑤ 次の短歌を読んで後ろの項目に該当するものを選び、記号で答えよ。 近代短歌 (122点) D 1. 文章表現・韻文・文学史・文法の力 H まるっきり 2 ケ 3 次の()に入る最適なことばを後ろから選んで記号を書き入れ、意 文の正しい接続表現 ( 2点×10) 味の通る文にせよ。 五月五日 (1) 子供の日。 ② もう何日も雨が降らない。(?)、稲の生育が遅れている。 ③ わたしたちは全力を尽くした。(H)、試合には負けた。 ④ 彼女は数学が得意だ。 (カ)、英語もよくできる。 ⑤ 彼の作品は色がすばらしい。 (ウ)、この絵もそうだ。 ⑥ 森君はすでに終わった。(オ)、私はまだ手もつけていない。 ⑦ 先日は失礼しました。(イ)、その後、話はどうなりましたか。 ⑧ コーヒーがいいですか。 (キ ) 紅茶? 私は驚いた。(ク) いるはずのない彼がそこにいたからだ。 ⑩ 行ってもかまわないが、(ケ)保護者同伴のこと。 ところで たとえば いっぽう だから しかし ただし そのうえ それとも なぜなら すなわち 次の()に入ることばをそれぞれ下から選び、記号で答えよ。(同じ ことばを二度使用しないこと。) 強調した表現の文(2点×5) ① その理由は当事者に才)わからない。 ② 進級のためにできる(ウ) の努力をした。 さえ ③ 二年前に一度会った (P)、会っていません。 ウだけ ④ 子ども(エ)それくらいの事はわかる。 A でも オ しか ⑤ あなた ( 承知なら、私はかまいません。 しがなおや しらかば 志賀直哉とともに雑誌「白樺」を創刊した二人の作家とその作品を次 から選び、記号で答えよ。 近代文学白樺派 (2点×4) 26 きり

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現代文 高校生

なぜ写真の答えになるのかがわかりません。

5 10 第三語 社会 六山崎 正和『日本文化と個人主義』 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと握りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり、 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方に エリート、他方に大 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった。 これにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の こ州。 急速な暖味化は、ム皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した。 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは一 そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわば 1三層構造を持った知的社会であった。 Mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く 5 意識される。新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく であり、それとともに 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その なかで活躍した仮体制説な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な『自悔の感情 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 の真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 、もる S かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文一 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある(フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 ら流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎8 と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 識人が特権階級のように見えていたことは、確実である。 そして、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは問わず、少な

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現代文 高校生

なぜ、写真の答えになるのかがわかりません!

10 第三調 社会 六山崎 正和『日本文化と個人主義』 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと握りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり、 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方にエリート、他方に大 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった。 )これにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の 二州。 急速な暖味化は、“皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した。 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは一 そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわば 三層構造を持った知的社会であった。 Mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く6 意識される。新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく一 であり、それとともに 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その なかで活躍した仮体制誘な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 0 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な王自侍の感情 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 I真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 S。 かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある(フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 5流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎s と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 識人が特権階級のように見えていたことは、確実である。 宅して、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは問わず、少な

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問5,6解答根拠が全くわかりません。 教えてください!

第三講 社会 六山崎正和『日本文化と個人主義』 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと握りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり、 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の LG 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方に エリート、他方に大 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった。 これにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の 急速な暖味化は、“皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した。 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは 1_ そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわげば 1三層構造を持った知的社会であった。 mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く 5 意識される。新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく一 であり、それとともに N 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その一 なかで活躍した食体制誘な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し るリの い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な「自侍 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 I真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 S かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある。フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 5 流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎0 と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 職人が特権階級のように見えていたことは、確実である。 Caして、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは問わず、少な

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なぜ、ハではないのでしょうか?

10 15 25 N ロN P ーU ー T 罪 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと撮りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 LO この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方にエリート、他方に大」 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった ごれにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の ニに 急速な暖味化は、“皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは一 1 そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわば 1三層構造を持った知的社会であった。 Mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く 意識される。 新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく であり、それとともに」 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その なかで活躍した食体制詞な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し かっこう い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な。E自侍の感情一 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 9真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある(フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎 0 と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 識人が特権階級のように見えていたことは、 が確送である。 Capして、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは間わず、少な

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