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現代文 高校生

わかんないです

03 3 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(計15点) まっすぐ上に伸びることだけが成長ではありません。 身の回りの雑草を見てみてください。 みんな曲がったり、傾いたりしながら成長しています。 まっすぐに伸びている雑草は一つもないのです。 横に伸びたり、斜めに伸びたり、何度も曲がったり、 雑草の伸び方はそれぞれです。そんな複雑な成長を測る ことは大変です。そのため人間は、植物を「高さ」で評 価します。 人間の持っているものさしは、まっすぐなも のさしです。そのため、まっすぐな高さで測ることしか できないのです。 「高さで評価される」ということは、皆さんにとって は成績や偏差値という言葉が当てはまるかもしれません。 「高さ」という尺度は大切な尺度です。 「高さ」で測 ることはダメなことではありません。 成績は悪いより良 いほうがいいに決まっていますし、成績が良い人はほめ られるべきです。 しかし、それだけのことです。それはたった一本のも のさしで測ったたった一つの尺度に過ぎません。大切な ことは、高さで測れることは、成長を測るたった一つの 尺度でしかないと知る こ とです。雑草の成長がそうであ るように、「何が大切か? を考えれば 」 、「高 さ」 がすべ てではありません。 まっすぐなものさしで、すべての成長を測ることはで きません。 そしておそらく、本当に大切なことは、もの さしでは測ることのできないものなのです。 (稲垣栄洋「はずれ者が進化をつくる」) 問い 1=漢字 2~4=読解 ~線部の読み方を記しなさい。 (5点) 一線部①を言い換えるとき、 に入る は五 最も適当な言葉を本文中からa は二字、 b 字で抜き出しなさい。 (各5 0点) 身の回りの a は、それぞれb をしている。 3 ——線部②と同じような意味で使われている言葉を、 本文中から四字で抜き出しなさい。 (5点) 44 この文章の内容に合うものとして最も適当なものを次 から選び、記号で答えなさい。 (5点) ア植物にとって、高さは成長を測る尺度の一つに過ぎず、 その尺度ですべての植物の成長を測ることはできない。 イ 植物にとって本当に大切なこととは高さにあるので、 植物をまっすぐにして測るのがよい。 ウ 植物も人間も高さで評価することは大切だが、それ ぞれに合うものさしを使うべきである。 エ 本当に大切なことを測るためには、それぞれの雑草 に都合のよいものさしが必要である。 b いながひでひろ 200

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現代文 高校生

国語の作文です💦 高一の現代の国語という教科書で「水の東西」というのをやりました。 それで、実際に自分たちでも作ってみよう🎶ということで宿題になってしまい… この文章の悪いところをどしどし教えてください🥺 本当に作文が苦手で…🤦🏻‍♀️

▼ 「太陽は何色?」 この問いにあなたはどう答えるか。試しに子供に太陽の絵を描かせてみると、日本の子供 はみんな「赤色」で描く。 しかし、西洋の子供は「黄色」や「白色」で描くのだ。 西洋人は、見たものをありのままに受け取る写実的な思考が強いと考えられる。実際に太 陽を見てみると、「白色」に輝いて見える。輝きという点から、これを 「黄色」と捉えるこ ともできなくはないだろう。そうでれば、西洋人が太陽を「黄色」や「白色」と捉えるのは 当然である。例えば絵画という分野であっても、西洋の絵画は昔から写真のようにリアルさ を感じられる。 そのように考えると、太陽を「赤色」と捉えるには少し無理があるように思われる。なぜ 私たち日本人はそのように捉えるのか。 どうやらそれには日本の国旗と関係があるようだ。 白地の真ん中に一つの赤い丸。 その日の丸と呼ばれる日本の国旗は、実際に太陽をイメージ してデザインされたそうだ。 日本人は、 国旗の影響があって太陽を 「赤色」 と表すようにな った。日本ならではの理由がここにはあったのだ。 日本の文化が国民に強く根付いていることは、日本のよさであると私は思う。 邪気を払う強さの象徴”という意味を持つ「赤色」。日本を象徴する「赤い」 太陽 は、今日も私たちを強く見守ってくれている。 「シンボルの太陽と、ありのままの太陽。

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現代文 高校生

これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

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現代文 高校生

これ今書いてる2問合ってますか??現代文苦手です🤔 問二の①分かりません😭

がんぼれ」「がんばってください」 そんな呼びかけが、貴災の直後、全国から湧き起こった。情報回路がいたるところです断されたなかで、被災地外の人たちには異害の仔」 が知れず、被災地どうしでもそれが分からない状態で、それでも声を、と送った言葉がこれであった が、朝面から、背後から、被災地を激励しようというこの言葉は、逆境のなかで挫けてなるものかとみずからを叱陀している人びとを後 押しする言葉になりえても、時とともにいよいよ厚く重くのしかかる困難に、息も絶え絶えとなって、立っているだけで精いっぱいといっ た状況のなかにいる人にはむしろ苛酷なものとなる 「ちう分がんばりました」「これ以上何をがんばったらいいんですか?」 これから先可能なこと、というよりは不可能なことが、一つ一つ浮き彫りになってきて、おそらく可能なことすらもすり切れかかった糸 のようにいよいよ組くなり、失ったものの大きさも測りかね、かつ納得しきれず、気持ちがまだ乾かぬやけどの痕のように潮れたまま、他一 人のそれとの差異もいやでも目につくようになって、もう眼を伏せうずくまっているほかないと思いさだめる…。そんな境地へと追いつめ 「 」へ調石 られたとき、だれかに「お気持ち、よく分かります」などと相づちを打たれたら、「そんなにかんたんに分かられてたまるか」と、叶きだ すように低い声で返返すにちがいない 「環 SG」 一時期、そんな張り紙をしている避難所があったと、知人から聞いた。 聴くことの大切さ 十六年前、神戸の震災のとき、聴くことのむずかしさを多くの人が思い知った。言葉をさえぎって励ますこと、なかでもじぶんの体験を一 引き合いに出して励ますことが、相手に、ようやっと搾りだした言葉を逆に香み込ませてしまうこと、このことにカウンセリングの専門家 たちは注意を促し、「ひたすら聴くこと」の大切さを説いた が、ひたすら聴くというのは、その場で相づちを打つことではない。「分かる」というのは、おそらくはその字のとおり、「分かたれる」 ということであって、話しているうちに気持ちが一つになる、同じになるというよりも、むしろ逆に、一つの言葉に込められたものの意味 や感触がそれぞれに異なるということ、つまり、相手との差異が、隔たりがいよいよ細かく見えてくるということ、そのことを思い知らさ 阪神、淡路大震災のさなか精神科救急にあたり、その後も兵庫県こころのケアセンターを拠点に「傷ついた心の回復」に尽くしてきた加 分かるというのは、ここにいるこの他者の心持ちを知りつくせないということを思い知ることなのだろう。そういう眼界を知ってなお 鷲田清一「相づちを打つこと、打たないこと」より 一1 筆者の主張を一文で抜き出し、はじめと終わりの五字をそれぞれ答えよ (句読点も一字に数える)。 ( スこい) )にあてはまる語句を文中から抜き出せ その恨拠を簡潔に説明した火の文章の《 分かるとは(e 五字程度 )が(の 十五字程度 )ことを思い知らされることだから はA 藤寛の、ノンフィクションライター最相葉月による聴き取り「心のケアー阪神·淡路大震災から東北へ』」(講談社現代新書)のなかで 加藤はケアにあたる者の心得として、「それ以上鍋つけない」ことをまっ先にあげている。かんたんに相づちを打たないこと、わかったつ もりにならないこと。「何でもおっしゃっていいですよ」という言葉が、ときに相手の心に鎖めがたい氾濫を引き起こしかねないこと、あ という支援グループの来訪以外はご免こうむりたいという気持ちが、先の張り紙には浮き出ていたのだろう。 2 れるということなのだろう (じ の Hte 間 2

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