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現代文 高校生

現代文の問題です。私は(二)を選んでしまいました。解説には、選択肢の右隣に青でバツを着けたところが、誤りとしか書かれていなかったので、詳しい解説が知りたいです。よろしくお願いします🙇🙇🙇

ロボットだけかもしれない。 9実はハーバード·ビジネス . スクールの教授であるデービッド.A.モスは、アメリカ政府が、福祉的政策ではなくて、リ スクマネジメント的政策をとってきたことを指摘している。それは、いわば自由な人間を、保護すべき人間として扱ってきた 歴史でもある。それは、4三期に分かれる。 一第一期は、一九○○年以前で、ビジネスに対する保障を目指していた。第二期は、一九○○年から一九六〇年で、労働者に 対する保障を目指していた。第三期は、一九六○年以降で、すべての人に対する保障を目指していた。第一期は、有限責任制 度によって、企業の倒産時にその企業の所有者である株主の責任を限定した。個人株主を保護して、投資を呼ぼうとした。 二期は、労働者に対する保険の支払を、労働者から雇用者に転 aガした。働いている労働者がミスをして怪我をしても、その 責任を使用者、経営者に負わせる仕組みである。「第三期が、製造物責任で、事故リスクを一般市民、消費者から製造者に転カV した。どれも弱いものを助けるという観点からはそれなりに否理的ではあるが、古くからの責任の理解とは泥離してきている。 しかも、第一期と第二期においては、弱い者が特定の人であり、その人を助ける者も何らかの利益を得るという意味でまだ 納得がいくが、第三期では、すべての人のリスクを、つまり複雑な人工物の事故の責任を製造者、メーカーに負わせることに s c を持っていて、しかも、メーカーが負うには実際上、大き過ぎる責任となっている。 (工物 の事故は複雑で、原因を厳密には特定できない。だとすれば、単純に誰かを非難することはできない。しかし一方で、 損害を受けた被害者が泣き寝入りをせよと言うのも、何かおかしい。問題は誰に責任を帰すかということだ。原因となった当事 旨が分からず、帰責できないのであれば、賠償できるだけのお金を持っているとか、帰責しても非難を浴びにくいといった要素 が考慮されることになる。その対象として浮かび上がったのがメーカー、企業、法人である。そして、実際、そういう仕方で対一 なっ 処されるようになった。

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現代文 高校生

現代文 豊かさと生物多様性です。 身につまされる話とはここではどう言うことですか? また、なぜ極めて示唆的なのですか? 回答よろしくお願いします💦

7 随想·評論編| 178 南北問題北半球に偏一 在する先進諸国と南半 球に偏在する開発途上 諸国との間の経済的格 差による政治的、経済 的諸問題 その一つとして、南北問題が挙げられるでしょう。生物多様性を守るといって、 いちばん多様性の高いのは熱帯雨林とサンゴ礁で、どちらも熱帯、つまり南の開 発途上の国に多くあります。自然を開発して、なんとか経済的に豊かになろうと いう南の国の希望を、生物多様性が減少するからだめだと、頭から押さえ込むわ けにはいきません。南の国の人たちには生活がかかっています。それに対して、 北の国の人たちは、そもそも都会暮らしで、生物多様性の減少など、それほど身 「身につまされる話」 とは、ここではどうい につまされる話ではなく、開発を諦めてもらう代償として、南の国にお金を支 うことか。 払ってまでも地球の生物多様性を守ろうという気持ちには、なかなかなれません 南北問題のもう一つの側面が、生物多様性条約で問題にされています。この条 生物多様性条約 地球 上の多様な生物を生息 環境とともに保全し、 遺伝資源の持続的利用 を可能にし、更に、生 物資源から得られる利 益を公正に配分するこ となどを目的とする国 際条約。一九九二年採 択、翌年発効。 約の目的として、遺伝資源の利用から生じる利益を公正に配分するという項目が" あります。新しい薬が、珍しい生物から作られたとしましょう。作るのは北の国、 珍しい生物がすんでいるのは南の国と、相場が決まっています。その新薬から上一 がった利益は、製薬会社が独占せずに、生物の提供国である南の国にも分けよう というのが、生物多様性条約の目的の一つです。これにアメリカが納得せず、ま この 約を批進していま せん。

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現代文 高校生

現代文A ミロのヴィーナスです。 15行目の「そうした関係」とは何を指しますか? 回答よろしくお願いします。

なぜ「真の原形を否認 したい」のか。 真の原形を否認したいと思うだろう、まさに、芸術というものの名において。 O ここで、別の意味で興味があることは、失われているものが、両腕以外の何も のかであってはならないということである。両腕でなく他の肉体の部分が失われ ていたとしたら、僕がここで述べている感動は、恐らく生じなかったにちがいな い。例えば、目が潰れていたり、鼻が欠けていたり、あるいは乳房がもぎとられ ていたりして、しかも両腕が損なわれずにきちんとついていたとしたら、そこに は、生命の変幻自在な輝きなど、たぶんありえなかったのである。 のなぜ、失われたものが両腕でなければならないのか? 僕はここで、彫刻にお torso トルソ リア語)頭部、 を持たない、 けるトルソの美学などに近づこうとしているのではない。腕というもの、もつっと そ 切り詰めて言えば、手というものの人間存在における象徴的な意味について、注 の彫像。 目しておきたいのである。それが最も深く、最も根源的に暗示しているものはな んだろうか? ここには、実体と象徴のある程度の合致がもちろんあるわけだが、 それは、世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段であ 「そうした関係」と 何を指すか る。言い換えるなら、そうした関係を媒介するもの、あるいは、その原則的な方 式そのものである。だから、機械とは手の延長であるという、ある哲学者が用い た比輪はまことに美しく聞こえるし、また、恋人の手を初めて握る幸福をこよな ヒュ くたたえた、ある文学者の述懐は不思議に厳粛な響きを持っている。どちらの場 Sアイロニー irony 合も、極めて自然で、人間的である。そして、例えばこれらの言葉に対して、美 肉。反語。 術品であるという運命を担ったミロのヴィーナスの失われた両腕は、不思議なア こよなく 4ロニーを呈示するのだ。ほかならぬその欠落によって、逆に、可能なあらゆる 手への夢を奏でるのである。 口 葵でる 目演奏 清岡卓行。一九ニ二年(大正=)||二0O六年(平成18) 中国遼 寧省大連(ターリエン)に生まれた。詩人、小説家。詩と小説を並行させる創作活動を通じて 夢と現実の関わりを描く。主な著作に、 詩集『氷った焔』『ひとつの愛』、小説『アカシヤの大連』 『海の瞳』、 評論『好情の前線』などがある。「ミロのヴィーナス」は、『手の変幻』(-九六六年刊)に発表。本文は の変幻』(一九九〇年刊)による。

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