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技術の正体
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われわれはこう教えられてきた。つまり、科学は人類の理性の産んだイダイな叡智である。もとも
と科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢なBチェだった
のである。 それをたまたま実生活に応用したのが技術なのであり、その意味では技術も間接的には理
性の所産である。人類の理性が産みだしたものを、人類が理性によってコントロールできないはずは
ない。われわれ人類には、この程度のものを理性的にコントロールする力は十分あるはずだ、と。
だが、本当にそうであろうか。
人類の理性が科学を産み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであ
ろうか。しかし、ギリシアの詩人が不気味だと恐れていたのは、人類の理性の所産である科学技術など
ではなく、ただの技術である。 科学が技術を産んだというのは間違いではないのか。むしろ、技術
が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科 10
学を産み出したと考えるべきではないだろうか。
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そして、その技術にしても、人類がつくり出したというよりも、むしろ技術がはじめて人間を人間た
らしめたのではなかろうか。原人類から現生人類への発達過程を考えれば、そうとしか思えない。火
を起こし、石器をつくり、衣服をととのえ、食物を保存する技術が、はじめて人間を人間に形成した
にちがいないのだ。
こうした技術に助けられて、その日暮らしの採集生活が可能だった熱帯・亜熱帯地方を離れ、寒冷な中
緯度地帯に進出することのできた原人が、明日を生きるために今日から準備しておかねばならない生活
のなかで、その時間意識にいわば過去や未来といった次元を開くことになり、 こうしてはじめてホモ
サピエンスになりえたのだからである。
きょう
私が問題にしたいのは、技術は人間が、あるいは人間の理性がつくり出したものだから、結局は人間 20
が理性によってコントロールできるにちが ないという。アンイな、というより据傲な考え方である。
どうやら技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりももっと古いユライをもつ
ものらしいのだから、悪性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである。
LO
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15
きだ
木田元