にして、見物の判断に任せた、といってもいいでしょうが、それははじめにも書いたとおり、お能が本来演劇的な性質を持ち
合わせなかったからです
見物はいたが、人間が対象ではなかった。神を対象とするとき、「祈り」の形をとるより他なく、舞人は役者より座女に近く、
舞は芝居より神楽に似て、多分に
な要素をふくまざるを得ません。たしかに、それは一応演劇的な構成をもって出
B
来上がっていますが、その中心は舞にあり、台詞は、そこに無理なく運んで行く為の、手段として扱われるにすぎません。そ
ういう意味で、この芸術は、純粋な舞踊といってよく、謡は戯曲でも散文でもなく、一番詩に近い特種な「うたいもの」です。
の
にくくさせる原因ではないかと