「美しい」ということ
あか
あき
赤木明登
「美しい」ということほど、誰にでも経験できることはない。僕が初めて「美
しい」と感じたのは、いつのことだったのか、そしてどういうふうにそう感じた
のか、もちろん思い出すことはできない。でもおそらく、「きれい」や「かわい
い」や「気持ちいい」や「おいしい」や「うれしい」や「楽しい」や「あたたか
い」や「やさしい」に近いけれど、違う、もうちょっと抽象的な感覚として、僕
の中にプログラムされていたんだろう。でも同時に、「怖い」や「すさまじい」
や「悲しい」や「寂しい」や「痛い」、更には「気持ち悪い」や「汚い」や「醜
い」の中にさえ、「美しい」 ことがあるのを子供の僕は知っていた。そうなると
もう、「美しい」ってどういうことなのかさっぱり分からなくなる。子供の頃な
らば、考えずに済んだものを、太人になってからあれこれと思い悩むようになっ
てしまったのは、いやはや、面倒なものだと我ながら思う始
末。考えても考えても、いろんな「美しい」を結び付けてい
るのが何だか分からないのに、思いもよらぬところで、「美
しい」を経験し、感動させられてしまうので困ってしまう。
いったい「美しい」って何だろうと。
僕は器を自分の手で作ることを仕事にしている。ときどき、
どうしたらこんなにたくさんの器の形を作りだすことができ
るのかと、尋ねられる。実は、美しい形が生まれるのは、美
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「プログラムされてい
た」とは、どういうこ
とか。
+ (する) 始末
抽象対具象・具体
尋ねる注訪ねる
創造理想像