と流れる血液です
その文明にいる人たちが、こぞって熱心なキリスト教信者だというのではありません。彼らの中には、めっぽうキリスト教を嫌い
な人たちも少なくはありません。しかし、その人たちは、自分自身のものの考え方やものの感じ方に至るまで、キリスト教から発生し
てきたものに満ちているということに、案外無自覚です。(つまり。彼らは、極めて無自覚的に深くキリスト教的なのです
また。 西洋人の中には、はっきり自覚的に、キリスト教が嫌いであると言う人たちもいます。嫌いであると言うにとどまらず、キリ
スト教は自分たちの文明にとって悪い病気なのだと。ダキする人さえいます。(けれども、もしもその「病気」という言葉を受け入れる
注1
とすると、たとえばニーチェのように、病気だとダキするその人こそが、体の奥の骨の髄まで、言うところのキリスト教の「病気」
に。オカされている場合がほとんどです。二十一世紀の今日に至るまで、彼らの誰一人として、キリスト教の外に出ることはできなかっ
たのです。第一、デリダが言うように、その外に出ることに何の意味があるでしょうか
注2
つまり)キリスト教の文明圏においては、キリスト教という宗教が、彼らの土台にあり、中心にあります。そういう文明の人々にとっ
て、宗教が自分の文明のアイデンティティーを構成する第一の要素であることはあまりに当然です。あまりに当然すぎて、その命題を
意識的に反省してみるという作業すら、普通には見られないようです
話を元に戻して、このことを今の私たちの関心で見てみれば、「あなたの宗教はいったい何か」と問いかけてくるその質問者は、自
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分の中に、ヘプライズムの一神教を実に根強く保有している人に他なりません。すなわち、“西洋人が投げかける「あなたの宗教は何
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か」という質問は、それ自体すでに、ある文明から他のある文明への挑戦であると言うことができます
その挑戦は、大航海時代に始まりました。