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現代文 高校生

写真の文章について。「自然を対象化」とは、人間と自然を切り離して客観的に見ることですよね。だとしたら、直後の「人間自身を含む自然」と矛盾するような気がするのですが、ここの意味をどなたか教えてください!

第三問 身 3 2. 第三問 次の文章を たとえば、匂いのユートピアといったものがありうるだろうか そもそも匂いというものがそう簡単に馴致されたり管理されたり、ユートピアのような 理想社会の体系のなかにとじこめられたりするものだろうか。 「匂いの 〔著者出 ・早稲田 ・西南学 自然界のあらゆるものは、多かれ少なかれ匂いをもつ。その自然界を脱し、みずからの 自然をつくりなしてきた人間というものもまた、時々刻々、さまざまな匂いを発している 5 存在である。人間の社会生活そのものが、多種多様な匂いの発生源である。食品や塵芥や 肥料や家畜や乗物や隣人や、 家事や産業やゴラクや宗教や イリョウや美容や風俗や、そ の他あらゆるものやことがらの発散する匂いのなかで、人間は人間であることを実現し実 感しているのだともいえる。匂いとは、人間の個と社会につきまといつづける見えない自 然、生理のようなものであろう。 とすれば、いったいどのようにして、このつきまといはびこる奇妙な生理的自然とのあ いだに、人間は、ユートピア的な防御壁を設けることができるのだろうか。 ⑤ ユートピアとは何か。文明が、いやすくなくともヨーロッパの都市文明が、成立このか たエイエイとして追いもとめつづけてきた、ただひとつの完璧な社会制度の夢想であり、 Aである。ほとんど強迫観念のようなもの、といってよいかもしれない。 ⑥人間はかつて森を出て自然を対象化して以来、人間自身をふくむ自然を徐々に改変する ことによって、都市を、文明をかたちづくってきた。そんな過程がいわゆる 〈進歩〉で あったとすれば、その目標、その最終段階がつまり、ユートピアである。 ⑦ プラトンの『国家』以来、さまざまな時代にさまざまな作品がこの社会形態をものがた り、ユートピアは文学の一ジャンルとして生きつづけることになった。 典型的なユートピストたちの思いえがいた理想社会は、だがおどろくほどに似たりよっ たりで、かわりばえがしなかった。千年、二千年をへても、プラトン『国家』からほと んど〈進歩〉していないように見えるのだ。なるほど各時代にいくらかの独創や逸脱もな いことはなかった。けれども、基本はいつもおなじだったのだ。四方に防御壁をめぐらし た自己完結的な都市空間。人工の美や清潔さや便利さや合理性や技術改良や キカ学や統 33 制への愛。人間とその生活は、自動機械のように画一化されている。自由などはない。 い や、自由がないということを感じなくなるほどまでに、ユートピアの住民は幸せである。 ユートピストたちはいつも自然を矯正しようとしてきた。彼らは自然の体現する偶然 や無秩序やアナーキーを、もっぱら排除しようとしてきた。こうした統制と画一化への意 志は、当然、人間とその社会につきまとう生理的自然にまでおよぶことになる。 いわゆる五感もまた、彼らのユートピア的再構築の対象となるだろう。 まず視覚。これならなんとかなる、とユートピストたちは考えるらしい。完璧にととの えられている理想都市の景観は、すみからすみまで、自然の乱脈さを極力おおいかくした ものである。

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現代文 高校生

この問題なんですが 存在しないことが問題とみなされるようになったという文から必要不可欠的なのがいるのかと思ったのですが なぜ入らないのですか?

TOME NO! 例題 P.109 理由説明 ① 因果関係を説明する 技術哲学の展望 村田純一 設問で「どう れるのが〈理由説明〉でお 傍線部の原因・理由> となる内容を一 から読み取り、それを「~から(のでた め)」という形で答える。この例題のよう に、原因と結果の関係 (因果関係)〉を答 えるパターンである。これが 〈理由説明〉 の基本となる。 現実の状況というのは、多くの要因が絡み合った多様性を示すので、 人工物が用いられる場合に、必ずしも常に一義的な仕方で 使用の仕方が実現するとは限らない。しばしば、道具を設計したデザイナーの意図と反するような仕方で道具が使用されたり、あ るいは、ある状況での道具の使用を介して道具に全く新たな目的が付加されるということも起きる。やや極端な例ではあるが、金 は状況に応じて、本来の目的のほかに、人に危害を加えるためにも、ものを押さえるためにも、あるいは、芸術作品として用い られることもある。どのような人工物も、程度の違いはあれ、このような多次元性をもっているし、しかも、技術の歴史はこの種 の事例で満ちているともいえる。 の上に昔から生きつづけ 例えば、一七世紀から一八世紀にかけてヨーロッパから多数の機械時計が中国に輸入された。それらはおもに交易を求めたヨー ロッパ人が中国の皇帝に献上品として運んできたものである。当時の中国は古来の不定時法を採用していたので、機械時計は実際 の生活に役立つものではなかった。にもかかわらず、多数の時計が持ち込まれたのは、芸術作品、ないし、玩具として、おもに宮 延に関係する人々にとっての鑑賞の対象になっていたからである。この例は、技術的人工物が異なった文化的脈絡のなかで用いら 100 場合には、あらためて「解釈」される必要のあることを示しており、その意味で、異なった文化のあいだで発揮される人工物 に備わる「解釈の柔軟性」を示しているということができる。 制作された最初の目的や機能とは異なった仕方で技術が「解釈」されるようになる可能性は、二〇世紀の技術の場合にも決して 珍しいわけではない。インターネットが典型例の一つである。よく知られているようにインターネット技術のもともとの起源は軍 事的領域にあったが、現在では日常生活の新たなコミュニケーションの形態を作り上げることになった。自動車の技術もこの例に めることができる。ベンジやダイムラーらが自動車を発明する以前に、あるいは、フォードがT型フォードを開発し、自動車が 大量生産されるようになる以前に、馬車より速い乗り物がないことは「問題」ではなかったし、馬車より速い乗り物に対する強い 社会的な需要があったわけでもない。例えば、アメリカでは、自動車は最初は都市部の富裕階級によっておもに娯楽のために用い られる乗り物として登場した。農村部では、自動車は馬車による交通の邪魔になり、家畜に被害をもたらし、道路を破壊するやっ かいものでしかなく、「悪魔の乗り物」 (devil wagon) と呼ばれ、嫌われた。自動車が農村部での日常的使用にも耐えるようなデ ザインに改良され、広く普及されるようになってはじめて、つまり、自動車によって移動することが自明化し、日常的な価値基準 の一つとなってはじめて、一般に自動車が存在しないことが「問題」と見なされるようになったのである。 点で技術の創造性が発揮された例と考えられる。 これらは、既存の目的手段―連関が、技術の展開のなかで変換され、新たな目的手段連関を形成することになったという こうした事例に加えて、技術の歴史のなかには、意図に反した結果がもっぱら「否定的」に解される事例も豊富に見出される。 例えば、E・テナーは「逆襲するテクノロジー』のなかで、オフィスのネットワーク化は紙でコピーを取ることを不要にするだろ うという未来学者の予言に反して、現在のオフィスは紙であふれているという事態、あるいは、ある地域で安価なセキュリティ システムの導入がなされたが、それによって誤作動や誤報が多くなったために、かえって前よりもセキュリティのレヴェルを下げ ることになってしまったといった事例をあげて、「モノが反撃しているように見える」と述べている。 これらの事例は、技術が単なる道具に還元できない「他者性」を持つことを印象深く示している。ただし、ここで示されている 他者性は、広い意味で「創造性」ということのできる特徴である。というのも、これらの事例で示されているのは、技術の展開が デザイナーや製作者の意図に反して実現する過程であり、そしてこの過程はポジティヴに評価されるにせよネガティヴに評価され るにせよ、いずれにせよ、人工物が新たな意味を獲得する過程だと考えることができるからである。 で説明せよ。 傍線部「馬車より速い乗り物に対する強い社会的な需要」がアメリカで生まれたのはどうしてか、本文に即 90

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現代文 高校生

写真の文章において、傍線部②と言える理由を説明せよと言う問題の答えに赤マーカーの部分が使われていたのですが、青マーカーのところではダメですか?

3 第八問 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 こうかつ むく われわれはなぜ、子どもに対して、純粋とか無垢といったイメージを思い浮か べるのだろうか。現実の子どもたちは、学校や塾での友だち関係や家庭環境のな かで、大人と同じように悩み、そして狡猾に立ち回ったり、ときには思わぬ世知 を発揮したりもする。自分の子ども時代をふりかえっても、ただ無垢な存在で あったとはとうてい思えない。多くの人がそう感じているはずなのに、われわれ が子どもを見るとき、心のどこかで子どもは純真無垢であるという観念が働いて しまい、それはなかなか拭いきれない。子どもを大人とは違った特別な存在と見 るこのような観念は、いったい何に由来するのだろうか。 われわれは誰もが、大人になる前に、子ども時代を経験する。同じ人間であり ながら、年齢によって、人は大人と子どもに区別され、社会生活の多くの局面に n おいて異なった扱いを受ける。今日のわれわれの社会では、幼児期、子ども期、 思春期、青年期、中年期、老年期などさまざまなライフステージの区分があり、 人はそれぞれの年齢段階にふさわしい行動をとるよう社会から期待されている。 それぞれの段階に、法律や制度や慣習による年齢規範や文化規範が存在する。多 年齢は人びとを社会的に区分し編成 56 くの社会学者がシテキしてきたように、 するための非常に大きな原理であり、そのために人のアイデンティティを構成す る要素として重要な意味をもっている。 2 ★ 日本 たとえば、自分の現在について考えるときも、将来を予測するときにも、われ われは自分の年齢とその年齢が持つ社会的な意味あいを コウリョにいれずには いられない。また、見ず知らずの人に会うときでも、相手がどんな世代の人なの 2 かを知っていれば、いくぶんかは予測がつき、心の準備をすることができる。つ まり年齢とは、生物学的な加齢 身体が成長、発達し、やがて衰えるというプ ロセスの一時点をたんに示すものではなく、加齢のプロセスに対して社会が 付与するイメージと深く関わる概念なのである。そしてそのイメージには、それ ぞれの社会の文化や歴史、政治や経済等におけるさまざまな要素が複雑に織り込 まれている。〈大人〉と〈子ども〉の二分法は、そのようにして社会が年齢を基準 に構成メンバーを分ける際のもっとも基本的な区分なのである。 〈大人〉は一人前の社会人としてさまざまな権利や義務をもつが、〈子ども〉は そうではない。〈子ども〉は未熟であり、大人によって社会の荒波から配 発達に応じてそれにふさわしい ひご *せち [出典] かわはらか 河原町 「子 〔著者 ・愛 大

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現代文 高校生

現代文、要約の問題について質問です。 要約の解答例(写真三枚目)中盤に [それが我々が〜なっている。] と書かれている場所があるのですが、 本文(写真一、二枚目)を読むと 一枚目最後の 「この明白な〜一つとなっている」 の箇所と「同時に」という言葉で 「私たちが〜にもなって... 続きを読む

第4 例題 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 私たちは、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚といった様々な感覚のモダリティを通して、 外界の様子や自らの身体の様子をつかみ取っている。それぞれの感覚のモダリティの中 では、モダリティ固有のクオリアが感じられている。 たとえば、赤のクオリアと緑のクオリア、金属光沢のクオリアはそれぞれユニークな 質感として意識の中で感じられるが、これらはまた全て「視覚」のモダリティに属する クオリアとして、明らかに共通の何かを持っているように感じられる。一方で、チョコ レートの甘さ、リンゴの甘酸っぱさ、唐辛子の辛さといったクオリアも、それぞれユニー クな質感として感じられるが、全ては「味覚」のクオリアとして何かしら共通の性質を 持っているように感じられる。 そして、「視覚」のクオリアと「味覚」のクオリアの間には双方を混同すべくもない 明らかな差があるように思われる。視覚でも、味覚でも、それぞれの感覚をつかさどる 脳の領域の神経細胞の一個一個には、基本的に差があるわけではない。それにもかかわ らず、神経細胞の間に結ばれる関係性を通して、まったく異なるクオリアが意識の中に 生み出される。この明白な事実は、脳と心の関係を考える上ではもっとも重要であると ともに、その背後にある原理を明らかにすることが難しい問題の一つとなっている。同 [標準解答時間25分]

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現代文 高校生

問4の解説お願いします!🙏🏻

一般入試A問題 (2月3日) 国語 ねばならない。 Hill 五 二戸口 (解答番号は、第二間で 【古文】 を選択した場合は1~2、【現代文】 を選択した場合は1~125 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10) に答えよ。 少女が街に濡れた”を差し出し、言う。「ビ。」 それを見た少年が、え、雨なの、と空をアオぐ保証など、言語にはどこに もない。少年が朝鮮語を知らなければ、え、何だって? 何て言ったの? どういう意味なの? と、いきなりことばそのもの が前面に立ち現れる事態を、経験することになる。 wwww ロサンゼルスでも、アルマ・アタでも、どこでもよい。英語とスペイン語でも、北京語と広東語でもよい。 秋田空港でタク シーに乗った高知からの客と運転士との会話でもよい。 複数の言語が出会う言語場、複数の言語が用いられている場では、こう したことは日常の出来事である。 「おそらくこういう意味だろう」というような意味の曖昧な実現の仕方も、まさに日常の出来事である。 ホテルのフロントで 交わされる会話に耳を傾けてみよう。そこがホテルのフロントであるという言語場の条件に支えられて、「おそらくこういう 意味だろう」「解ってくれたようだ」といった仕方で、意味がかろうじて立ち現れている、そんなことは、今もおそらく二四時間、 世界中あちこちのホテルのフロントで起こっている。あちこちの言語で起こっている。 ことばができあいの意味を有していて、 それをキャッチボールのようにやりとりするといった図式は、ホテルのフロントでも、国境の検問所でも、やはり B に過 ぎない。 さらにこの意味の曖昧な実現というありようを見てゆくと、意味の鮮明な実現と意味の曖昧な実現の境界もまた、しばしばゆ るやかなものであることがわかるであろう。 意味の実現を考えるにあたって、この点はまた重要である。 ここでは単に「ことばは常に多義的である」といった次元のことを述べているのではない。「ことばが常に多義的である」と いう指摘は、それ自体として大きく誤ってはいないものの、ことばが意味となる機制の結果を語っているに過ぎない。ことばは 意味となったりならなかったりする、そしてそのなったり、ならなかったりという境界自体も、また原理的に画定し難いもの だという、意味の実現の原理的なありようをここで問題にしているのである。「多義性」とは、ことばが意味を持つものでは なく、 意味となるものであることの結果についての辞書学的なアプローチによる名づけである。「両義性」や「曖昧性」もま た、肌をCにする。ついでに言えば、「それはまあ、なんて言うか、ちょっとあれですが」とか「これこれっていった感 じで…」 などとことばにする方式、意識的に表現を不明瞭にする曖昧化といったことが、表現上の選択肢となり得ることも、 この延長にある。 既存の意味論は、「ことばは意味を持つ」と考えた。このことは換言すると、ことばを「意味を持つ/持たない」という二項 対立の中に位置づけようとしていることに他ならない。実際の言語場において意味が立ち現れる、立ち現れないの際にあること レム は、いくらでもある。そうした意味の濃淡を持つ/持たない」の二分法で切り分けようとすること自体が、空理の所行と言わ また、ことばはそれが話されたことば〉であれ書かれたことば〉であれ、外形を有している。形が在る。形を有す ること はが何らかの意味を持つと見たくなるのは、素朴な意味論のように見えるけれども、実はソシュール言語学を決定的な淵源とす 現代言語学の根源的な病である。 ことばが通じないのは、片や青森方言、片や鹿児島方言のごとく、そもそもコードが異なるからだとか、意味を持つことばを 聞き手が知らないからだとか、あるいは「誤解するからだと考えた。こうした考えは全て、ことばは通じるものだ」という 暗のテーゼを前提として出発している。そうした前提に立って、誤解とか誤訳とか伝達の失敗とか意思ソツウがうまくゆかな いといったことを論じようとしてきた。あるいは「文字通りの意味」がまずあり、それが実際に用いられる段になると、「言 外の意味」や「語用論的な意味があると考えてきた。〈書かれたことばには「行間を読む」などという比喩もあった。「コミュ ニケーション」にあっては、ことばを 「正しく」 「正確に」用いることがしばしば語られた。さらにはことばが「文化」にまで 24一般入試A問題 21

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