学年

教科

質問の種類

現代文 高校生

国語の評論文の要約についてです。 先輩に要約は絶対にできるようになった方がいい、役立つと教わったので力を入れるようにしました。添削やコツを教えて頂きたいです。

なった。 アジア再発見の時代 □ 日本が中韓ひいてはアジアの国々とどう向かい合い、関わっていくかが現在、大きなキロにあるのは言う までもない。ここではこうしたテーマを、時事的な話題に即してというよりは、少し長期の視点から、また 私自身の個人的な経験も踏まえる形で考えてみたい。 2 福沢諭吉の脱亜入欧〟論をまつまでもなく、明治期以降の日本にとって、その目指すべきモデルは「欧 米」であり、中韓を含むアジアは遅れた”、そしてそこから抜け出ていくべきネガティブな存在として規 定された。言い換えれば“欧米日本中国・アジア”という明確な「序列」 意識や価値観がまずここで形 成されたのである。 これは日本にとっては若干の複雑な心理を伴うものであって、なぜなら江戸期までの日本人ないし日本社 会にとって、教養や学問の規範であったのは何より中国の古典や思想等々だったからである。私は明治期日 本のこうした過程を「文明の乗り換え」と呼んでいる。 *2 その後の日本は戦時体制期には鬼畜米英〟などといった標語もトナえられたが、敗戦とともにそれもま 180度転換し、戦後はとりわけ米国をあらゆる面でのモデルとして進んでいった。こうして見ると、明 治維新以降の日本の歴史とは、どの国や社会をモデルないし準拠とし、また自らのアイデンティティー、ま たは、よりどころをどこに置くかという点に関する「転変」の歴史だったとも言えるだろう。 3 ここで多少の個人的な経験にふれさせていただければ、高度成長期の中期に生まれ育った私にとって、さ しあたり豊か〟で進んだ国とは米国や欧州諸国であり、1980年代の末に米国の大学院で2年を過 ごした際も(米国が決してモデルとなるような社会でないことはそこで十分認識するようになったが) 中韓 やアジアにはほとんど関心が向いていなかった。 しかし2000年代に入る頃から、勤務先の大学に中国からの多くの留学生が来るようになり、彼らと話 す中で、私自身の中国やアジアに対する見方に相当な先入見や固定観念があることに気づかされるように 20 たとえばある女子の留学生は「男女平等という点では日本より中国のほうがずっと良かった」と言う。こ 容が多かったのである。 れは私にとっては意外な指摘で、さらに話を聞くと、男女の家事分担が日本よりも中国のほうが柔軟である とか、公の場で女性が明確に意見を言うことについて日本社会は否定的な面があるとか、考えさせられる内 2 また、たとえば1年に中国の大学での講義に行った際、当時は日中関係が大きな冷え込みを迎えていた時 期だったので、日本の知人から中国では十分気をつけたほうがよいということを再三、言われて現地にオモ ふいたのだが、当地での学生の反応は非常に活発かつフレンドリーで、日本のメディアでの中国報道(ある は中国人の日本観に関する報道がそれ自体、相当なバイアスを含むことを認識したのである。 13 集団内で一つの論や“空気”に同調する傾向が強いと思われる。 回 私自身のソッチョクな認識としては、中国社会はきわめて多様ないし多元的であり、日本のほうがむしろ 3 44 回 中韓やアジアについて語るべき点はなお多い。先ほど明治期以降の日本は、準拠とする国や自らの立ち位 について転を繰り返してきたと述べたが、ポスト成長ないし人口減少社会を迎える今という時代は、日 中国やアジアについての 関係から考え直し、その再定義ないし再編を行っていく時期で もあるのではないか。 そのためにも、まずは自らの先入見や固定観念をいったん括弧に入れ、相手の国や社会や人を知っていく ことが重要であり、それはむしろスリリングな発見とびを伴うプロセスであると思えるのである。 注 *1 福沢諭吉一八三五~一九〇一蘭学者、思想家、教育者。 アジア再発見の時代 *2 鬼畜米英 *3 バイアス ゆがみ、へだたり。 太平洋戦争中に厳国であるアメリカ、イギリスを蔑視して呼んだ標語 4 ポスト ・・・高度成長期の後「ポストー」は「―の後」の意。 To 35 B

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

この問題の問ニの解説の意味がわからなくて納得いきません。ちなみに答えは技術の手先です。 そもそも、おのれの手先、技術の手先ってなんですか??

8 技術の正体 ※ われわれはこう教えられてきた。つまり、科学は人類の理性の産んだイダイな叡智である。もとも と科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢なBチェだった のである。 それをたまたま実生活に応用したのが技術なのであり、その意味では技術も間接的には理 性の所産である。人類の理性が産みだしたものを、人類が理性によってコントロールできないはずは ない。われわれ人類には、この程度のものを理性的にコントロールする力は十分あるはずだ、と。 だが、本当にそうであろうか。 人類の理性が科学を産み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであ ろうか。しかし、ギリシアの詩人が不気味だと恐れていたのは、人類の理性の所産である科学技術など ではなく、ただの技術である。 科学が技術を産んだというのは間違いではないのか。むしろ、技術 が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科 10 学を産み出したと考えるべきではないだろうか。 ※ ※ そして、その技術にしても、人類がつくり出したというよりも、むしろ技術がはじめて人間を人間た らしめたのではなかろうか。原人類から現生人類への発達過程を考えれば、そうとしか思えない。火 を起こし、石器をつくり、衣服をととのえ、食物を保存する技術が、はじめて人間を人間に形成した にちがいないのだ。 こうした技術に助けられて、その日暮らしの採集生活が可能だった熱帯・亜熱帯地方を離れ、寒冷な中 緯度地帯に進出することのできた原人が、明日を生きるために今日から準備しておかねばならない生活 のなかで、その時間意識にいわば過去や未来といった次元を開くことになり、 こうしてはじめてホモ サピエンスになりえたのだからである。 きょう 私が問題にしたいのは、技術は人間が、あるいは人間の理性がつくり出したものだから、結局は人間 20 が理性によってコントロールできるにちが ないという。アンイな、というより据傲な考え方である。 どうやら技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりももっと古いユライをもつ ものらしいのだから、悪性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである。 LO 5 15 きだ 木田元

未解決 回答数: 1
現代文 高校生

愛知医科大学看護学部の公募推薦の過去問です。 答えがないので、答えを出して欲しいです。お願いします🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

国 びまん 令和六年度 看護学部学校推薦型選抜(公募制) 基礎学力試験問題用紙 囲 次の文章は、一九九〇年に出版された山崎正和の『日本文化と個人主義』の一節です。この文 章を読んで、後の問に答えなさい。 文化は、これまで国家や民族という観念と強く結びついてきた。そして、人間の歴史を振返っ てみると、不幸なことに国家や民族の自覚はつねに対立抗争の意識とつながってきた。ひとつ の社会のなかで、個人もまたお互いに争うことがあるが、とりわけ国家や民族は、お互いに争う ことで自分自身をつくりあげてきた。その結果として、文化という特性はただの個人の特性以上 に、とかく他者との比較、対立の観点から考えられがちになる。じっさい、今日の経済マサツ や、つい近年までの世界戦争の現実を振返ってみても、ひとが自国の文化、他国の文化をあげ つらうときには、つねに何らかの意味の優越感や、国家主義的な自己主張の意識が伴っていた。 そして、そういう優越感が、たとえば敗戦といった現実によって崩れたとき、今度は極端な自己 卑下が社会に瀰漫するという事実は、多くの日本人の記憶に新しいことだろう。 こうした事情からして、文化論には、1二つの避けがたい危険な傾向が伴っているといわねば ならない。その第一は、過剰な特殊化の危険である。文化を考える場合には、他民族、他国の文 化と比較して考えがちであるので、どうしても両者の共通性よりは、ひとつの文化の異質性を強 調して考えることになる。 つい昨日まで文化的に じっさい、日本の場合、過去の文化論はしばしば民族主義や国粋主義と手を結びがちであった イクセプショナリズム し、アメリカの場合でも、アメリカ文化の「例外主義」という思想が、長らく見え隠れに受け 継がれてきたようである。ユダヤ人の「選ばれた民」の意識、ドイツ人の民族的な使命感といっ たものは、自国の文化を過度に特殊化し、他国との違いを強調することから生まれてきたが、 ③こうした使命感はいったん裏返ると劣等感に変貌する。 高村光太郎という詩人は、若いころフ ランス留学から帰って、日本の国の貧しさとその精神の狭さを嘆いて、「根つけの国」という自嘲 的な詩を書いたことがあった。しかし、彼が本性において強烈な愛国主義者であり、第二次大戦・ 中には過激な祖国讃美の詩を書いたことは、同時代を生きた日本人なら誰もが知る事実だろう。 とかく異文化との劇的な接触は、精神の単純な人物にとっては、自国の文化について過度な自尊 心を誘い出すか、逆に過剰な劣等感を刺激するものであるようにみえる。 そして、いずれの場合でも、そうした特殊化は、個人が自分の存在や行動について振返るとき、 奇妙に気持ちを安らがせてくれる支えになる。自分とは何か、7自己の実質は何かということは、 もともとたいへん難しい問題であり、簡単には答えが出ないものであるが、ひとは生きるために その答えを欲しがりがちである。そのさい、いちばん安易なやり方は、自分がどういう仲間に属 しているかを実感して、それを語ることで自己の中身を言い表わすことだろう。そして、自分 がどういう仲間に属しているかを振返るとき、その仲間の範囲が狭くて、他の集団と対立してい ればいるほど、自分自身の世界のなかにおける位置は明確になる。ここでもまた、文化論のひず みというものは、人間性の悲しい弱さに深く根ざしているといえそうである。 【

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

未解決 回答数: 1
現代文 高校生

写真の文章の黄色部分って、赤色部分の国家のことか青色部分の国家のことか、どちらでしょうか? どなたか教えてください。

もたない。 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 (配点 六十点) なぜ人類は首長や王といった政治リーダーを必要としてきたのか? ここまで南米先住民、 メラネシア、アフリカといった、 に集団から託されているにすぎない、ということだ。 さまざまな時代や地域に共通するリーダー像をたどってきた。 そこからみえてきたのは、リーダーは集団のために、集団に貢献 するかぎりにおいて、ある種の特権や権威を A ふくしゅう フランスの人類学者ピエール・クラストルは、アメリカ先住民アパッチの首長ジェロニモの物語を紹介している。 メキシコ軍 から襲撃され、ジェロニモの家族も皆殺しにされた。アパッチは、ギャクサツへの復讐を誓い、その戦いの指揮を勇敢な戦士 だったジェロニモに託す。戦いはアパッチの大勝利に終わった。映画や小説にとりあげられ、白人への抵抗戦争の英雄として知 られるジェロニモだが、話はそこで終わらない。 アパッチにとって「復讐」は勝利によって成し遂げられたが、ジェロニモは、さらなる復讐を欲し、あらたなエンセイに仲間 を誘う。しかし、さらなる復讐は、もはや集団の目標ではなく、ジェロニモの個人的目標に変わっていた。その欲望は人びとに 拒絶される。 クラストルは、戦士としての能力で民族の道具となったジェロニモが、今度は民族を彼の道具にしようとして失敗した、とい う。「北米最後の偉大なる戦争の首長」であるジェロニモが英雄になれたのは、集団の目的に貢献しうるあいだだけだったのだ。 首長のいうことにだれも服従の義務がない。権限をもたない政治リーダー。なぜそれが可能なのか、権限をもつことがリー ダーの条件だという常識にとらわれているぼくらには想像しがたい。 クラストルは、首長の役割についてこう説明する。 首長は、個人どうし、家族間、リニジ 〔出自集団]間に生じうる係争を解消することを任務としており、秩序と協調をとり もどすのに、社会が彼に認めている威信以外に手段をもっていない。だがもちろん威信は権力を意味するものではなく、首 長が調停者としての責を果すのに有する手段は、言葉の独占的使用に限られているのだ。 はた 首長は裁判官ではない。対立する陣営に調停案を示したり、どちらかに肩入れして擁護したりするわけでもない。そういう意 味では弁護士とも違う。首長はその弁舌で人びとに平静をとりもどし、非難の投げあいをやめるよう訴える。互いに理解しあい 平和に暮らしていた祖先をまねるよう説得する。 そこでの道具は「言葉」だけだ。 首長は社会のなかで生じるさまざまな問題を解決するための役割を担う。威信と言葉以外につかえる強制力をともなう手段は い。日本だと、白か黒か、はっきり決断を下すのがリーダーの役割だと考えられている」「決められる政治」が政治家の キャッチフレーズとしてもてはやされるくらいだ。 だが、リーダーが決断して意思決定するだけであれば、それは民主主義とはほど遠い。首長たちは弁舌によって人びとを説得 し、納得させようとする。つまり決断を下すのではなく、人びとの同意をえることがリーダーの仕事になる。 それは、みなが同 意できる状況をつくれなければ、集団としてのまとまりを維持できなくなるからだ。 政治家が主権者によって選ばれ、その同意の範囲で政治的な役割をはたす。それを真の意味で実践していたのは現代の民主主 義をかかげる国家ではなく、「未開社会」とされた国家なき社会だった。 人びとは、リーダーが集団の目標に貢献しているのか、つねに関心を寄せ、そこから道をはずれると、さっと同意をヒルガエ す。国家が人びとを監視する監視社会とは逆に、リーダーがつねに人びとから監視されているのだ。 なんのために国家があるのか。 クラストルは、「未開社会」が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからでは なく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったからだという。一部の者だけが権力をもち、人びとを支配するためにその権 力がつかわれることを拒絶したのだ、と。 国家ができると、その社会は支配する者と支配される者とに分かれてしまう。クラストルは、国家権力を生みだす根底には、 権力への欲望とともに、隷従への欲望があると指摘する。一度、権力関係が生まれ、社会が支配者と被支配者に分化してしまう と、もはやあともどりできなくなる。だから国家なき社会では、あえて首長に のようにふるまうことをソシしてきた。 B な権力をもたせないようにし、専制

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

模倣となぞりの教科書の読解と構成の答えが分からなくて教えて欲しいです🙇‍♀️🙏

<課題>具体例に基づいて論を構成する力を身につけよう 筆者は豊富な具体例と二項対立を提示しながら、日本の芸道におけ る身体訓練を考察していく。書道・舞踏の稽古といった事例や、自分 議論を支える文献などを参照しながら、模倣と「なぞり」、「形」と 「型」といったよく似たことばを対比させることで、日本文化における 身体のあり方という大きなテーマを言語化していくのである。筆者の 議論を参考に、具体的で説得力ある議論の組み立て方を学んでいこう。 ●構成 「模倣と「なぞり」」(一七四・1)の違いについて、本文に沿って 筆者の考えを説明しなさい。 2、「型」(一七五、1)と「形」(一七七・114) とはそれぞれどのような ものか、整理しなさい。 読解 「雪面と全身とが相呼応して、いわば両者の変転が一つの活動と して進行してゆく」 (一七五・122) とはどのようなことか、説明 なさい。 2.「『~できる』知、身に染みこんだ図式にほかならない」 (一十 ・16) とはどのようなことか、説明しなさい。 「心身態勢を内部から「なぞる』」 (一七八・144) とはどのようなこ とか、説明しなさい。 4.「型破りが『さまになる』」(一八〇.8)とはどのようなことか、 説明しなさい。 ●言語活動 1. 「なぞり」によって身につけたものにどのようなものがあるか、 話し合ってみよう。 「模倣」について自分なりのテーマを定め、「序論(問題設定)」 「本論(具体的事例に基づく考察)」 「結論(問題設定に対する自分の 答)」という構成で、八〇〇字以内で論じてみよう。

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

高校生現代文の学習課題集です! 空白の部分の回答を教えて欲しいです🙇‍♀️

今にも人々にお告にを隠し 衣の袖を涙でぬらしているように見える。 エ葛の花は馬が踏んだらしい。 馬に乗って旅する人は、うらやま しいかぎりであるなあ。 オ 葛の花が踏まれ、まだその色も新しい。近くに住む人 がこうして秋の風情を楽しんでいるのだ。 むらやま 6 山の松の木むらに、日はあたりひそけきかもよ。 旅びとの墓」 の歌について、次の問いに答えよ。 1 何句切れの歌か。 学習の手引き② 句切れ ② この「旅びと」は、どのような状況に置かれた人であったと思わ れるか。「墓」に入るまでの経緯を踏まえ、三〇字以内で答えよ。 H 山道で 場に葬られた人 7 「野に捨てた黒い手袋も起きあがり指指に黄な花咲かせだす」 の歌に、 ついて、「手袋も起きあがり」とは、どのような様子を詠んだものか。 四五字以内で答えよ。 牡丹花は―短歌抄 ⑧ 「白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り」の歌 について、作者は、この「うさぎ」からどのようなことを感じてい るか。次の中から適当なものを一つ選べ。 アわざわざ猟師の前に出てきて撃たれるとは、なんと愚かなうさ ぎであろうかということ。 イ死んでも眼を見開いているとは、本当に突然に奪われた命であ ったのだなあということ。 ウ 白い雪の上に眼を見開いて倒れているとは、なんと美しい死に 方であろうかということ。 このうさぎが平和な暮らしを突然奪われたように、自分もいつ かは殺されるのだということ。 オなんの罪もないうさぎを撃ち殺し、しかも放置するとは、なん と残虐な猟師であろうかということ。 がか 「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」の歌に ついて、次の問いに答えよ。 1 この句に見られる表現技法として、適当なものには○を、そうで ないものには×をつけよ。 ア 体言止め イ 倒置法 ウ句またがり HH SEK オ序詞 カ直喩 ア イ ウ オ ② 「脱出したし」とあるが、それはなぜか。 「皇帝ペンギン」と ② 「飼育係り」の心情を考え、それぞれ四〇字以内で答えよ。なお、 ②については、戦後の日本の社会状況を踏まえて考えよ。 5 3 H 力

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

何故問5の回答が間違えなのか分かりません

■ 第三問 100| 11 10 =HE] 〔著 第三問 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 たとえば、匂いのユートピアといったものがありうるだろうか。 r そもそも匂いというものがそう簡単に馴致されたり管理されたり、ユートピアのような 理想社会の体系のなかにとじこめられたりするものだろうか。 20 5 自然界のあらゆるものは、多かれ少なかれ匂いをもつ。その自然界を脱し、みずからの 自然をつくりなしてきた人間というものもまた、時々刻々、さまざまな匂いを発している 存在である。人間の社会生活そのものが、多種多様な匂いの発生源である。食品や塵芥や 肥料や家畜や乗物や隣人や、家事や産業やゴラクや宗教やイリョウや美容や風俗や、そ の他あらゆるものやことがらの発散する匂いのなかで、人間は人間であることを実現し実 感しているのだともいえる。匂いとは、人間の個と社会につきまといつづける見えない自 然、生理のようなものであろう。 一 的自然とのあ とすれば、いったいどのようにして、このつきまといはびこる奇妙な生理 いだに、人間は、ユートピア的な防御壁を設けることができるのだろうか。 S ユートピアとは何か。文明が、いやすくなくともヨーロッパの都市文明が、成立このか たエイエイとして追いもとめつづけてきた、ただひとつの完璧な社会制度の夢想であり、 A である。ほとんど強迫観念のようなもの、といってよいかもしれない。 人間はかつて森を出て自然を対象化して以来、人間自身をふくむ自然を徐々に改変する ことによって、都市を、文明を、かたちづくってきた。そんな過程がいわゆる〈進歩〉で あったとすれば、その目標、その最終段階がつまり、ユートピアである。 プラトンの『国家』以来、さまざまな時代にさまざまな作品がこの社会形態をものがた り、ユートピアは文学の一ジャンルとして生きつづけることになった。 典型的なユートピストたちの思いえがいた理想社会は、 だがおどろくほどに似たりよっ たりで、かわりばえがしなかった。 千年、二千年をへても、プラトンの『国家』からほと んど〈進歩〉していないように見えるのだ。なるほど各時代にいくらかの独創や逸脱もな いことはなかった。けれども、基本はいつもおなじだったのだ。 四方に防御壁をめぐらし た自己完結的な都市空間。 人工の美や清潔さや便利さや合理性や技術改良やキカ学や統 2 制への愛。人間とその生活は、自動機械のように画一化されている。自由などはない。い や、自由がないということを感じなくなるほどまでに、ユートピアの住民は幸せである。 ユートピストたちはいつも自然を矯正しようとしてきた。彼らは自然の体現する偶然 2 や無秩序やアナーキーを、もっぱら排除しようとしてきた。こうした統制と画一化への意 志は、当然、人間とその社会につきまとう生理的自然にまでおよぶことになる。 いわゆる五感もまた、彼らのユートピア的再構築の対象となるだろう。 まず視覚。これならなんとかなる、とユートピストたちは考えるらしい。完璧にととの えられている理想都市の景観は、すみからすみまで、自然の乱脈さを極力おおいかくした ものである。

回答募集中 回答数: 0
1/4