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現代文 高校生

Q1.252-253Pの「魏武捉刀」で魏武が匈奴の使者を殺したのは,その使者が自分を【 2 】だと見抜いていたからである。

そう りゅうが せせつしんご 『世説新語』 魏武擬刀 かん けんてい きょうど 曹操は赤壁の戦いで敗れたものの華北を統一し、後漢の帝によっ 魏王に任ぜられた。匈奴は、献帝ではなく曹操に使者を送った。 世説新語 南朝宋の劉義慶 〔四〇三十四四四〕の編。三 とうしん 十六編。 主に後漢から東晋ま での名士の逸話を集めたもの 1魏武 ここでは曹操〔一五五 二二〇〕を指す。 死後、子の 丕(三国魏の初代皇帝)から おくりな 帝と諡された。 たち ろ ま きよう 魏武将見匈奴使自以形陋不足雄 11 2匈奴 中国北方の騎馬民族。 遠国使崔季理代帝自捉刀立 びたび中国を脅かした。 頭。 3以思うことには。 既畢 4形 間諜問 「魏王何 あざな 匈 「魏 英雄也 雅答 何 あら 望非常然牀頭提刀人此 武之追殺此使 「三国志」関連地図 郡 ・青 学習の 「帝自 手引き 黄河 長江 奴 安 長 一琅邪 じょしゅう 官渡徐州 五丈原 陽許 ◯けんぎょう 汝南 建業 ◎成都 白帝城 「荊州 赤壁 会 呉 1000km 風采が上がらない。 〔一六三二一六〕 操の臣下。名は。 「季珪」 容姿に優れ、ひげが長く 威厳が備わっていた。 6頭 王座の傍ら。「牀」は 長椅子。 ハリ ◆「既畢」とは、何が終わった か。 ①令~... ~に・・・させる。句価 を表す「使」と同じ用法。 7 間諜 スパイ。 す。 はどうであるか 状態や事実についての疑問 8 雅望優れた人品。 す。 ●非・・・・・・ではない。否 乃・・・こそ強調を表 み取れるか。 立牀頭。」(二五二・4〕からどのような意図が読 「魏武」が匈奴の使者を殺させたのはなぜか、話し合おう。 ◆史話史話 三

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山月記の下にあるこのといの答え教えて欲しいです!

解答 引けの「しあわせ」 しての「しあわせ」にすぎないことを強調するため 当の「しあわせ」をつかむことは困難なことを示すため。 細もが望む絶対的な「しあわせ」ではないことを示すため。 人は「しあわせ」を求めて生きていることを示唆するため。 ( TITTURA SH 〕〔 さい。 「珠」(三・7)、「瓦」(三・8)は、それぞれどういう人をたとえたもの か。簡潔に説明しなさい。 r こり得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わか らぬ。全く何事も我々にはわからぬ。 理由もわからずに押しつけられたものをおとなし 受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐ に死を思うた。しかし、そのとき、目の前を一匹のうさぎが駆け過ぎるのを見た途端に、 自分の中の人間はたちまち姿を消した。 再び自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分 の口はうさぎの血にまみれ、あたりにはうさぎの毛が散らばっていた。これが虎として の最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それはとうて 語るに忍びない。ただ、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が還ってくる。そうい うときには、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書 の章句を誦んずることもできる。 その人間の心で、虎としての己の残虐な行いの跡を見、 己の運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。しかし、その、人間 に還る数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなってゆく。今までは、どうして虎な どになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気がついてみたら、おれはどうして 以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。いま少したてば、おれの 中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょう ど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。そうすれば、しまいにおれは自分 4 過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い回り、今日のように道で君と出会っても故人と 認めることなく、君を裂き食ろうて何の悔いも感じないだろう。一体、獣でも人間でも、 もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを覚えているが、しだいに忘れてし まい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなこ とはどうでもいい。おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほ うが、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、そのことを、この うえなく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀しく、切なく 思っているだろう! おれが人間だった記憶のなくなることを。 この気持ちは誰にもわ からない。誰にもわからない。おれと同じ身の上になった者でなければ。ところで、そ うだ。おれがすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。 て言う。 袁俊はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続け そうなゅう けいしょ 10 「自分はすぐに死を 思うた」のはなぜか。 「自分の中の人間は たちまち姿を消し た。」とは、どういう ことか。 ②経書 中国の儒学関 係の書物。 B「これは恐ろしいこ とだ。」と李徴が考 えるのはなぜか。 つゆつ 4 「おれの中の......感 じているのだ。」とは、 どういう気持ちか。 近代の小説 2 ほかでもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業いまだ成ら ざるに、この運命に立ち至った。かつて作るところの詩数百編、もとより、まだ世に行 われておらぬ。遺稿の所在ももはやわからなくなっていよう。 ところで、そのうち、今 もなお記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録していただきたいのだ。なにも、 19 好きしょう 記誦 記憶して暗誦 する。 9 山月記

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至急!!高三 論表 国語 2️⃣の(Ⅰ)と⑵を解説と回答で教えてください!

2次の 筆者が言い換えをした意図の説明として適切なものを選択肢から選び、 記号で答えなさい。 <5点〉 ア. 人間の叡智の結晶である科学は絶対的なものであることを強調しよ うとしている。 イ. 人間の認識や理解には限界があることを強調したうえで、人間と科 学と自然の関係について提示しようとしている。 ウ. 人間がしばしば「自然とは…………」と言うことは、「自然」の誤った 実態なのだとまとめようとしている。 2 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 同生きものであるかぎり、ひとにはどうしても自力でしなければな らないこと、しつづけなければならないことがあります。16食べるこ と、そのために食材を調達し調理すること、食べたあとのゴミや排泄 物を処理すること。赤ちゃんをとりあげること、子どもを育てるこ と、子どもに世の中のことをいろいろ教えること。身近に病人がい ればその看護をすること、おとしよりの世話をすること。 ◎人を看取り、 見送ること。人と人のあいだでいろいろめんどうなもめ事が起これ ばそれを調停すること、防犯に努めること、などなどです。これら はひとのいのちに深くかかわることなので、細心の注意を払っておこ なわなければなりません。 っていくのです。 さいしん せんじん だいこう 先人たちは、これらの「いのちの世話」を確実に代行するプロフェッ ショナルを養成し、またその「世話」の場所を公的な施設として整備 してゆきました。 (「特別授業 3.11 君たちはどう生きるか』所収 はら みと はいせつ 5/7まで 1 次の空欄①~⑤に入る文を、文章中の同~から選び、記号で答えなさい。 ※一つの空欄に対して、複数の記号を答えてもよい。 各点〉 ※同~は文記号。 この文章の〔 〕の部分は、「いのちの世話」の具体例を述べ ている。〔2〕の部分の具体例として、〔1〕がある。要約 を行うためには、まず〔 〕を省略する。そして、〔2〕、 〔3〕、〔4〕をもとに、組み立てていくとよいのだが、こ の文章の場合、筆者の目的意識から考えて、最も重要なのは ⑤〕なので、〔5〕を中心に要約する。 久 ②1にしたがって、この文章を百字以内で要約しなさい。 <10点〉 吉田清一 「支えあうことの意味」河出書房新社より)

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愛知医科大学看護学部の公募推薦の過去問です。 答えがないので、答えを出して欲しいです。お願いします🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

国 びまん 令和六年度 看護学部学校推薦型選抜(公募制) 基礎学力試験問題用紙 囲 次の文章は、一九九〇年に出版された山崎正和の『日本文化と個人主義』の一節です。この文 章を読んで、後の問に答えなさい。 文化は、これまで国家や民族という観念と強く結びついてきた。そして、人間の歴史を振返っ てみると、不幸なことに国家や民族の自覚はつねに対立抗争の意識とつながってきた。ひとつ の社会のなかで、個人もまたお互いに争うことがあるが、とりわけ国家や民族は、お互いに争う ことで自分自身をつくりあげてきた。その結果として、文化という特性はただの個人の特性以上 に、とかく他者との比較、対立の観点から考えられがちになる。じっさい、今日の経済マサツ や、つい近年までの世界戦争の現実を振返ってみても、ひとが自国の文化、他国の文化をあげ つらうときには、つねに何らかの意味の優越感や、国家主義的な自己主張の意識が伴っていた。 そして、そういう優越感が、たとえば敗戦といった現実によって崩れたとき、今度は極端な自己 卑下が社会に瀰漫するという事実は、多くの日本人の記憶に新しいことだろう。 こうした事情からして、文化論には、1二つの避けがたい危険な傾向が伴っているといわねば ならない。その第一は、過剰な特殊化の危険である。文化を考える場合には、他民族、他国の文 化と比較して考えがちであるので、どうしても両者の共通性よりは、ひとつの文化の異質性を強 調して考えることになる。 つい昨日まで文化的に じっさい、日本の場合、過去の文化論はしばしば民族主義や国粋主義と手を結びがちであった イクセプショナリズム し、アメリカの場合でも、アメリカ文化の「例外主義」という思想が、長らく見え隠れに受け 継がれてきたようである。ユダヤ人の「選ばれた民」の意識、ドイツ人の民族的な使命感といっ たものは、自国の文化を過度に特殊化し、他国との違いを強調することから生まれてきたが、 ③こうした使命感はいったん裏返ると劣等感に変貌する。 高村光太郎という詩人は、若いころフ ランス留学から帰って、日本の国の貧しさとその精神の狭さを嘆いて、「根つけの国」という自嘲 的な詩を書いたことがあった。しかし、彼が本性において強烈な愛国主義者であり、第二次大戦・ 中には過激な祖国讃美の詩を書いたことは、同時代を生きた日本人なら誰もが知る事実だろう。 とかく異文化との劇的な接触は、精神の単純な人物にとっては、自国の文化について過度な自尊 心を誘い出すか、逆に過剰な劣等感を刺激するものであるようにみえる。 そして、いずれの場合でも、そうした特殊化は、個人が自分の存在や行動について振返るとき、 奇妙に気持ちを安らがせてくれる支えになる。自分とは何か、7自己の実質は何かということは、 もともとたいへん難しい問題であり、簡単には答えが出ないものであるが、ひとは生きるために その答えを欲しがりがちである。そのさい、いちばん安易なやり方は、自分がどういう仲間に属 しているかを実感して、それを語ることで自己の中身を言い表わすことだろう。そして、自分 がどういう仲間に属しているかを振返るとき、その仲間の範囲が狭くて、他の集団と対立してい ればいるほど、自分自身の世界のなかにおける位置は明確になる。ここでもまた、文化論のひず みというものは、人間性の悲しい弱さに深く根ざしているといえそうである。 【

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(3)の記述ですが「やり場のない感情」 は結局ストレスを指してると思うので、省いて、6️⃣段落の文を持ってきたのですが、これはおかしいですか?

「具体例」とその「まとめ」との関係に注意してみよう 例題C 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 人間のあり方を考えるのに、人類学がチョゾウして来た様々の文化の、これま ではどちらかと言えばXと考えられて来た事例の方が新しく立ち現れる現 実を説明するのに時にはより有効であると考えられるようになって来た。 2 たとえば、次のようなニュー・ギニアについての記述は十数年前までは、馬 鹿々々しい痴れ者の戯れと考えられたかも知れない。しかし、今日これを読む 5 人に、何やら、自分が秘かに言いたいと思っていることを代弁されていると思う 人は決して少なくないであろう。 ③ パプアニューギニア共和国の、アサロ河流域のグルンバ族の住民は、時々、発 作的な行為に走ることがある。ある暑いけだるい日のひるさがり、村の中を一人 の男が突然逆上して走り出す。 彼は目につくものを片っぱしからよこせと要求す る。こうした時に、回りの人は彼には全然逆らわない。壺でも石の切れ端でもナ イフでも、何でも彼に渡す。“野プタ”の如く変身した男は、木製の矢じり、こ せっけん つぼ んがらがった糸、煙草、石鹸、衣類、ナイフ、網、皿といったザッタな物で大き な袋が一杯になると、それを担いで森の中に姿を消す。 ④二、三日すると彼は袋を持たず、手ぶらで帰って来る。 燃やしたり、どこか人B 知れぬ場所に埋めたり、壊したりしたのである。 ⑤こうした振舞いは、グルンバ族の間では文化の中の許容範囲に入っている。 男 は、森の中に身体中のキンチョウをしぼり出して来たというふうに理解され、彼 はふだんの生活に戻っていく。しかし何日もたたないうちに、また別の男が“野 ブタ"になる。 わく ⑥ 他の社会で、犯罪人とか、通り魔とか暴走族といった枠の中に入っていく人の 多くはこうした社会では、平常の人間で生涯を送れたかも知れない。ある意味で は、こうした行為は、ストレスに対する解放装置になっているといってもよいか も知れない。 7 オセアニアの多くの地域においてそうであるように、 グルンバ族の感情生活、 23 社会生活は、おおかた物の交換の上に成り立っている。交換は、社会的コミュニ ケーションの根幹になるようなパイプであり、交換の場は、最も晴れがましい劇 場である。交換においては、純粋な経済的機能はそれほど大きな位置を占めてい ない。人前で、見せびらかしながら品物をやり取りする行為は、むしろパフォー マンスと言った方がよいようである。それは、既に存在する関係を一方では強調 s しながらも、他方では新しい関係(交通)を打ち立てるという働きをしている。 ⑧野ブタ〟人間の出現は、多くの場合この交換の場に関連している。 交換のと 20 [出典] やまぐちまさお 山口昌男 「文化人類学

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【至急】ホンマに助けて下さい 明日テスト 宇野重規の〈私〉時代のデモクラシー この文に「折り返し点」という記述があると思うのですが、折返し点とはなにを表してるのですか?

な人間関係の束縛からいかに る影もありません。 時代は変わったのです。 「近代」のもう一つの目標は、宗教からの解放でした。伝統的な社会においては、つね 「聖なるもの」の感覚がありました。 人間を超えた「聖なるもの」は、人々の畏れる 2 べき対象であると同時に、人々にあるべき姿、進むべき道を示してくれるものでもあり ました。 「近代化」は、この「聖なるもの」の感覚に支えられた宗教から人々を解放し、 個人の意志を新たな価値の源泉にしました。人々が選択にあたって指針とするのは、も 々自身のうちに、あらゆる価値の源が見いだ はや人間を超えたものではありません。「人々自身の S せるというのが、「近代」のスローガンでした。 「聖なるもの」が一つひとつ失われていったのが、「近代」という時代です。ある意味 で、私がこのように強調される現代とは、そのような「近代」の行き着いた時代な のかもしれません。なぜなら、あらゆる「聖なるもの」が見失われてしまった現代にお いて、価値とされるものは、もはや〈私〉しかないからです。 現代の社会理論家の代表的な一人であるジーグムント・バウマンは、次のようにいい ます。近代においても、最初のころには歴史において実現されるべき目標の理念があり ました。「公正で平和な社会」などというのが、それです。このような時代においては、 そのような社会の理想を実現するための「革命」という言葉には、独特の魅力がありま した。しかしながら、現代の社会理論で強調されるのは、むしろ「個人の差異」や「個 人の選択」です。もはや社会的な理想は力をもたず、もっぱら一人ひとりの〈私〉の選 択こそが強調されるのが、いまの時代だというのです。つまり、近代という時代も一つ の折り返し点に達したということなのでしょう。 バウマンは、私たちの生きる近代は、 同じ近代でも、〈個人〉や〈私〉中心の近代だといいます。 このような「折り返し点」を過ぎた「近代」のことを、現代ヨーロッパの理論家で、 社会学者であるアンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックらは、「後期近代」とか 「再帰的近代」などと呼んでいます。このようないい方のポイントは、「折り返し点」を 過ぎたとしても、「近代」が終わったわけではないし、「近代」を押し進めた運動がスト ップしたわけではない、ということです。 つまり、「近代」が終わり、「近代」とはまっ たく別の「脱近代(ポスト・モダン)」が始まったわけではないのです。むしろ、「近 5 O

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