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なぜ近代になると、アイデンティティを持つことが強く要求されたんですか。契約関係による義務や権利が理由とされていましたが、なんとなくピンときません。アイデンティティーは自分の自己同一性なので、約束を一貫して守ることとどう関係しているんですか?自分は絶対に約束を守る人間だと言う... 続きを読む

【現代文のキーワード 普遍 (ふへん) 特に明確な契約関係による義務や権利が発生する「近代」社会においては、個人が約束を一貫して守る、と いうアイデンティティを持つことが強く要求されてきた。こうした自己の一貫性や同一性が、近代的な市民社 会における個人の役割や集団の結びつきを成り立たせる基盤となってきたのである。ところが、今日、「近代」 社会のこうした前提がゆらぎ始めている。というのも、社会の多様化・流動化に伴って、現代人は自分の一貫 性や同一性を維持していくことが難しくなり、「自分」というものがよくわからなくなって、あたかも、自分の 本質が奪われて不本意な生を強いられているという実感を持つようになってしまったからである。そのような 状況を「自己疎外」とよぶこともある。 現代評論では、そうした問題を掘り下げて、自己同一性が危機に陥ったり、人々が自分の役割や所属意識を 喪失してしまっている状況(アイデンティティ・クライシス)に言及することによって、現代社会における自 意識(p4のキーワード)のありようを明らかにしていこうとする傾向がみられる。よく覚えておこう。

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現代文 高校生

リスク社会とは何か 大澤真幸さんの現代文です。 この問題(見切れてる部分もありますが😓) どなたか解いていただけないでしょうか? 返答宜しくお願い致します🙇

12:04 [ 66% 初め~ 2108月 内容の理解 思考力・判断力・表現力 ■「リスク risk] (11) は「危険 danger」(同) とどのような点で異 なっているのか。 本文中の語句を用いて二十字以内で説明しなさい。 「リスクが一般化するのは、少なくとも近代以降だということになる。」 (6)と筆者が述べるのはなぜか。 次から選びなさい。 ア 近代になって、リスク社会を分析するための概念が人々の間で共有 されるようになったから。 近代になって、さまざまなリスクの可能性が社会に存在していたこ が露呈したから。 ウ 近代になって、伝統社会にあふれていた天災や外敵などの危険が減 少し始めたから。 近代になって、社会の規範が人間の選択によって作られたものだと 実感されるようになったから。 [ ] 反省的再帰的な態度」 (12) とは、具体的にはどのようなあり 方のことか。 本文中の語句を用いて四十五字以内で説明しなさい。 「二つの顕著な特徴」 (10-10) とは何か。 次から二つ選びなさい。 たらすこと イ 中間的な対応 第三段落 (p.2121.3-p.213.11) 6 第二段落 (p.210.9p.212.2) ウリスクが新たなリスクを誘発した場合、必ず被害が拡大すること。 エリスクは人間の活動とは無縁であること ( ) [ ] [ ] 「リスクの低減や除去を目ざした決定や選択そのものが、リスクの原因 となる」(135) とあるが、これと同意の部分を本文中から二十字以 内で抜き出しなさい。 「古代ギリシア以来の倫理の基本」 (三三-3)について、 次の問いに答 えなさい。 「古代ギリシア以来の倫理の基本」とは何か。 本文中から十字で抜き 出しなさい。 22「地球の温暖化」(三.6)の例における、「古代ギリシア以来の倫理 の基本」にのっとった対応策とはどのようなものか。 本文中から二十 字以内で抜き出しなさい。 「リスクを回避するためには、中庸の選択は無意味である。」(三・5) と筆者が述べるのはなぜか。 次から選びなさい。 ア リスク社会は近代になって発生した社会であるので、古代ギリシア 以来の古典的な倫理観は通用しないから。 . #合さ *最新の料金と在庫状況についてはウェブサイトを確認してくだ さい。 画像は著作権で保護されている場合があります。 詳細 G Q A ホーム 検索 保存済み 通知 セ

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この問題の問2は答がハでした。 解説では一方が並立関係になっていることを理解すればわかると書かれていたのですが腑に落ちません。 自分は一方が対立を表していて応用化学が理由かなと思ってハにしたのですが… わかる方いたら助けてほしいです(泣) お願いします🙇

The 間1 (-5) (5) 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 科学技術の発展は目覚ましく、先端化していくにしたがって、科学技術の研究者とい えども自分にごく近いリンセツ分野がどのような状況にあるかはなかなかわからない。 一般の人々にとっては、「クォークに質量のあることがほぼ確定した」といったニュース を聞いても、 それが何を意味するかまったくわからない。 一方、ダイオキシンはがんやその他の病気の原因になるということが広く知られるよう うになって、自分たちの近くにダイオキシンがあるかどうかについて、つねに敏感になっ ている。しかし、 ごみの焼却炉からダイオキシンが発生すると言われても、どのような 燃やし方をしたときにどの程度の濃度のダイオキシンが出るのかといったことは、よく 理解できない。また、ダイオキシンはどのような経路で人体に入り、どの程度の量でど のような被害をおよぼすかといったことも、簡単にはわからない。 こういったことは素 人だけでなく、専門家にもそれほどよくはわかっていないことなのである。 純粋科学は今日ひじょうに専門化しむずかしくなっていて、その分野の知識を十分に 持ち、数学的な表現の意味することがわからねば理解できないという問題がある。一方、 社会に直接深くかかわる環境問題や地震などに関するいわば応用科学については、その 対象がひじょうに多くの要因が複合的にかかわってある現象を引き起こしているので、B それらの要因を分析することがむずかしく、現場を十分に観察しても簡単に結論を出せ ないという困難さを抱えている。 科学技術者は、こういった問題について研究をし、専門分野の学術雑誌に研究結果を 報告する。これが彼らの仕事である。研究すべき課題は「サンセキしているので、学術 論文を書けば、すぐつぎの研究にとりかかり、学術論文の内容をやさしく誰にでもわか 3 るように解説するようなことはほとんどしない。そのような時間はないし、またやさし く書くということは、科学技術者にとってじつはひじょうにむずかしい仕事なのである。 (長尾真「『わかる』とは何か」) 傍線部アイのカタカナを漢字に直せ。 EN 傍線部1 「専門家にもそれほどよくはわかっていない」とあるが、その理由として最も適 当なものを、次のイ~ホの中から一つ選べ。 非常に先端化した専門的な知識を必要とする問題なので、現場を分析するだけではわからな

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文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

写真の文章って「A 普遍性の獲得 → 文脈からの逸脱」と「B 文脈からの逸脱 → 普遍性の獲得」のどちらの流れが正しいですか?

6 アメリカが生み出した消費のマニュアル化としてどうしても無視できないものがあります。言うまでもなく、 マクドナルドです。 2 マクドナルドは、簡単に言えば、フォードが開発した大量生産方式を食生活に持ち込んだと言っていいでしょ う。これはジョージ・リッツァという人が述べていることですが、マクドナルドほど見事に方法化され、マニュ アル化され、技術主義的なものによって支配された消費の場はありません。生産工程の流れ作業的管理を、食生 活という消費プロセスにまで拡大したわけです。 -3 そして、この徹底した方法化によって、マクドナルドは世界へ進出することが可能となった。世界中どこへ行っ ても同様のテンポがあり、ほぼ同様のサーヴィスが受けられ、同様の商品が出てきます。基本的なコウゾウは同 じです。そして、店に入ってからカウンターの前で注文し、商品が出てくるプロセス、店員の応対、座る椅子、 テーブル、出入り口の配置―これらが完全に管理され、マニュアル化されています。モノを食べるという消費 過程そのものを、テーラーシステム化してしまっているわけです。 4 ですから、マクドナルドがきわめてアメリカ的だと言われるのは、ハンバーガーのためというより、本来は、 ゆっくりと味を楽しみ、友人知人や家族の団欒の場であり、社交の場であったはずの食事という文化を、徹底し 技術主義的にとらえ、生産工程のように計測された効率性と画一性を重んじる、技術主義的な思考方法のもと に置いたからにほかなりません。しかも、方法化することによって、特定の場所とか文化に囚われない、一見し たところ普遍的なものをつくっていく。こういうやり方そのものがアメリカ的なのです。 5 しかし同時に、それが方法化された消費の場であることによって、マクドナルドはアメリカを超えてしまった。 それなりに世界中に散らばることが可能となる。それは、アメリカ以外のどこからも出現しえないという意味で はきわめてアメリカ特殊的であるのですが、まさにそのことによって世界化が可能となっているわけです。 これはアメリカ文明のある本質を突いていて、技術主義と方法化によって、特定の文脈に囚われない普遍性を 獲得しようとすると、それが本来置かれている場所、コンテクストを失ってしまう。マクドナルドはもはや、そ れが最初に発生した場所やコンテクストには収まらない。 その意味で、技術主義、方法化は脱文脈化をハカります。コンテクストを逸脱していく。コンテクストを逸脱 していくことによって、普遍化しようとする。脱文脈化したものは、言ってみれば、どこにでもあるものであり ながら、どこにも定着しないものです。一種の故郷喪失者と言ってもよいですね。ですから、言い換えると、ア メリカ文明が生み出した現代文明の大きな特徴はまさに故郷喪失であり、故郷喪失による普遍化なのです。故郷 喪失者であることが、同時に普遍化につながるというコウゾウになっているということなのです。

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何故問5の回答が間違えなのか分かりません

■ 第三問 100| 11 10 =HE] 〔著 第三問 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 たとえば、匂いのユートピアといったものがありうるだろうか。 r そもそも匂いというものがそう簡単に馴致されたり管理されたり、ユートピアのような 理想社会の体系のなかにとじこめられたりするものだろうか。 20 5 自然界のあらゆるものは、多かれ少なかれ匂いをもつ。その自然界を脱し、みずからの 自然をつくりなしてきた人間というものもまた、時々刻々、さまざまな匂いを発している 存在である。人間の社会生活そのものが、多種多様な匂いの発生源である。食品や塵芥や 肥料や家畜や乗物や隣人や、家事や産業やゴラクや宗教やイリョウや美容や風俗や、そ の他あらゆるものやことがらの発散する匂いのなかで、人間は人間であることを実現し実 感しているのだともいえる。匂いとは、人間の個と社会につきまといつづける見えない自 然、生理のようなものであろう。 一 的自然とのあ とすれば、いったいどのようにして、このつきまといはびこる奇妙な生理 いだに、人間は、ユートピア的な防御壁を設けることができるのだろうか。 S ユートピアとは何か。文明が、いやすくなくともヨーロッパの都市文明が、成立このか たエイエイとして追いもとめつづけてきた、ただひとつの完璧な社会制度の夢想であり、 A である。ほとんど強迫観念のようなもの、といってよいかもしれない。 人間はかつて森を出て自然を対象化して以来、人間自身をふくむ自然を徐々に改変する ことによって、都市を、文明を、かたちづくってきた。そんな過程がいわゆる〈進歩〉で あったとすれば、その目標、その最終段階がつまり、ユートピアである。 プラトンの『国家』以来、さまざまな時代にさまざまな作品がこの社会形態をものがた り、ユートピアは文学の一ジャンルとして生きつづけることになった。 典型的なユートピストたちの思いえがいた理想社会は、 だがおどろくほどに似たりよっ たりで、かわりばえがしなかった。 千年、二千年をへても、プラトンの『国家』からほと んど〈進歩〉していないように見えるのだ。なるほど各時代にいくらかの独創や逸脱もな いことはなかった。けれども、基本はいつもおなじだったのだ。 四方に防御壁をめぐらし た自己完結的な都市空間。 人工の美や清潔さや便利さや合理性や技術改良やキカ学や統 2 制への愛。人間とその生活は、自動機械のように画一化されている。自由などはない。い や、自由がないということを感じなくなるほどまでに、ユートピアの住民は幸せである。 ユートピストたちはいつも自然を矯正しようとしてきた。彼らは自然の体現する偶然 2 や無秩序やアナーキーを、もっぱら排除しようとしてきた。こうした統制と画一化への意 志は、当然、人間とその社会につきまとう生理的自然にまでおよぶことになる。 いわゆる五感もまた、彼らのユートピア的再構築の対象となるだろう。 まず視覚。これならなんとかなる、とユートピストたちは考えるらしい。完璧にととの えられている理想都市の景観は、すみからすみまで、自然の乱脈さを極力おおいかくした ものである。

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現代文 高校生

至急!!明日提出です。 現代文です。 問5の問題頑張って解こうとしたのですがわかりません。 教えていただいけると幸いです。

業 作 われわれは環境につよく支配されている。 どんなに出家的状況をつくろうとしても、そこで考えるのに使う 言葉そのものが、考えてみれば、環境の一種である。かりに家も職も投げうって本当の出家をしたとしても、 言葉はかんたんに棄てられない。その言葉が出家以前の生活の残滓をひきずっている。棄てたはずの現実を反 映する。それを使うかぎり、心の出家はできなくなるはずだ。身体だけはもろもろの絆を断ち切っても精神は 古い文法や論理を用いて働いているのでは不テッテイである。古来、この点に留意したらしい隠遁者がすくな いのは残念というほかはない。 いんとん *はんぷく *語注 3残滓… のこりかす。 7反覆…繰り返すこ 一 言葉は事物を表現するために用いられる。反覆して頻繁に使われていると、言葉と事物の両者はいかにも一 体不可分のように思われてくる。 言葉はもともと記号であって、記号としての操作ができるはずだが、事物の くまどりが濃くなると、記号としては自由に使えなくなってしまう。 思考の手段としては扱いにくいものとなる。 日常の言語で新しいことを考え出したり、 純粋の思考をするのが思いのほか困難であるのはそのためで、科学 0 者は新しい記号をいろいろ案出する。 数学はそういうもののうちで、もっともソウレイな記号体系といえよう。 3 言葉には二通りの用法がある。ひとつは事物を指示する使い方であり、他は事物の関係をあらわす記号とし ての用途である。具体的用法と抽象的用法(メタラング)といい換えてもよい。 同じ言葉でも、具体的に用いたり、 観念的に使ったりする。 具体的用法はいわば自然発生であるから問題ないが、それを虚構の記号に見立てるの はすぐれて人間的、文化的な営みである。人間が言語的動物といわれるのも、この用法を発達させることに成 功したからにほかならない。 13メタラング・・・メタ 系を説明するのに 1みどり児…生まれ 4具体的に存在するものを指示する言葉を、そういう照応なしに使うようになるこのテンカンの教育は、思い がけない早い時期に行なわれている。 幼児期のおとぎ話である。 漢字 傍線部⑦ ⑤ みどり児は具体的言語を身につけるが、それだけでは直接経験の範囲から出られない。未知を理解するよう になるには、これを虚構化しなくてはならない。存在しないものを表現した言葉がわからなくては、言語は文 2 のニナい手になることができない。 せ。 → ⑥ それをリクツ抜きにやっているのがおとぎ話である。どこの国でも、まだ、教育ということがほとんど考 えられなかった時代から、子供は"なし"を聞くことを喜び、大人はそれを話して倦むことを知らなかった。 超現実的フィクションであるおとぎ話もくり返し語られると、虚構の世界が認知されてくる。 こうして、実の言葉に対して虚の言葉がわかるようになる。記号としての言葉の一部は、こうしてほとんど 25 すべての人間に教えこまれる。ただ、この虚構化が入念に行なわれるか、おざなりに通過されるか、で大きな 違いが出てくるように思われる。 虚構化は言葉の出家だといってもよい。 ステップ ② * 3 キーセ *さん K きずな 本文に次の に答えよう ・キーワード... ・キーセンテン

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