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現代文 高校生

画像が横ですみません ウではない理由を教えてください (ウだと思った根拠:相手の意見により客観的になるため)

10 論理 (学問) 読書力 さいとう たかし 齋藤孝 . I テ 経験を積み重ねる読書のしかたとは 具体例と筆者の意見を選別しよう 攻略のプロセス1・2を通して、《効果的な読書のしかた》を《具体例と意見を選別しながら読み取ろう。 (注) 読書を必要ないとする意見の根拠として、読書をするよりも体験することが大事だという論がある。こ れは、根拠のない論だ。体験することは、読書することとまったく矛盾しない。 本を読む習慣をもってい る人間が多くの体験をすることは、まったく難しくはない。むしろいろいろな体験をする動機づけを読書 から得ることがある。たとえば、藤原新也のアジアホウロウの本を読んで、アジアを旅したくなる若者が いる。本に誘われて旅をするというのはよくあることだ。あるいはコウコガクの本を読み、実際に遺跡掘 りの手伝いに行く者もある。 読書がきっかけとなって体験する世界は広がってくる。 それ以上に重要なことは、読書を通じて、自分の体験の意味が確認されるということだ。本を読んでい 「自分と同じ考えの人がここにもいた」という気持ちを味わうことは多い。まったく生まれも育ちも違う のに、同じ考えをもっている人に出会うと、自分の考えが肯定される気がする。自分ではぼんやりとしか わからなかった自分の体験の意味が、読書によってはっきりとすることがある。 「あれはこういう意味だっ10 (注2)ふ たのか」と腑に落ちることが、私は読書を通じてたくさんあった。 ああ刀す

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現代文 高校生

5️⃣の言ってることが理解出来ません💦 どうしてオノズカラシカリとは作為が無いことになるのでしょうか?むしろあると思うのですが、、

2ndステップ 論理 たかし t うちやま 日本人にとっての自然とは 5 理然 日本人はなぜキツネに 内山 館 テ 筆者が改めて考察している事柄をつかも だまされなくなったのか 攻略のプロセス1・2を通して、《日本人の自然》を《再考察の対象となる事柄をおさえ》たうえで読み取ろう。 日本の人々にとって自然とは、客観的な、あるいは人間の外にある自然体系のことではなかった。それ は自分自身が選っていく場所でもあり、自然に帰りたいという祈りをとおしてつかみとられていくもので もあった。とすると、その自然とはどのようなものであったのか。 すでによく知られているように、かつての日本では自然はジネンと発音されていた。 シゼンという発音 が一般的になったのは、明治時代の後半に入ってからである。英語のネイチャー、 フランス語のナチュー 5 ルを日本語にするためにシゼンが使われるようになった。その意味でシゼンは外来語の訳語である。 ジネンはオノズカラ、あるいはオノズカラシカリという意味の言葉である。今日でも私たちは「自然にそ うなった」とか「自然のなりゆき」という表現を使うが、これがジネンと読んでいた時代の意味の名残だと思 えばよい。 このように見ていくと、自然に帰りたいという人々の伝統的な思いは、シゼンに帰るということより、10 ジネンに帰る、つまりオノズカラの世界に帰りたいという思いだったことがわかってくる。 オノズカラの ままに生きたい、ということである。 自然(ジネン)訓で読んだときのオノズカラシカリ(ナリ)とは作為がない、ということであろう。有意 ではない、と言ってもよい。 自我のはたらきから生ずる意図がない、あるいは「我(われ)」がない、と表現 することもできる。 (注1) そしてこの気持ちにも仏教が言葉を与えた。人間は自我があるから「我(われ)」にこだわる。 我執のある (注2) ④_ のが人間である。だから「我(われ)」の欲望をもち、「我」を主張して争い、悲しむべき凡夫に堕ちていく。 煩悩は、「我」をもつことそのもののなかにある。だから煩悩を捨てるとは「我」を捨てることだ。そして「我」 を捨てたあり方とは、すべてがオノズカラのままに生きることだ。 オノズカラのままに生きることによっ (注4) (注3) ゆる て、人々を救う。すべての人を。ここで発想は大乗仏教と結ばれる。 もっとも、このように見ていくと、 ジネンという言葉をシゼンと読んだうえで、ネイチャーやナチュー ルの訳語にしたのはかなりダトウだったということがわかる。なぜなら最もジネンなものは自然(シゼン) だからである。自然(シゼン)はすべてがオノズカラのなかに存在している。 シゼンとジネンは同じではな 8. テーマ wwwww... 5

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