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現代文 高校生

画像3枚目 何故、[お母さん…お祖母さんは?]と言ったのかイマイチ分からないので、教えて欲しいです。 

例題 3 目標解答時間 とおぼ む じんざいきよし みもの 次の文章は、神西清の小説『少年』の一節である。これを読んで、後の問いに答えよ。 修業式の五日ほど前に、祖母が息をひきとった。持病はなかったから、つまり老衰死である。その死 に顔も、また死そのものとの接触感も、ともに少年の意識にのぼらなかった。父がおいおい手ばなしで、 まるで子供のように泣きながら家の中をうろうろしているのを、少年は何か不思議な観物を見るように 眺めた。お別れに、割箸の先へつけたガーゼで祖母の口を拭かされた時にも、土色に窄まって開いてい 老女のしなびきった唇は、みにくいと感じただけに過ぎない。もう一つ、そんな醜いものを半公開の 儀式にまで仕立てる大人たちの愚かさに、へんな軽蔑の情をおぼえただけにすぎない。少年はむしろ祖 母に同情した。彼女の死への同情ではなかったけれど。 わりばし けいべつ すぼ そんな少年にとって、もし何か死の実感に似たものがあったとすれば、それは祖母の死ぬ日の朝から (臨終は夕方だった)、近所の大きな黒犬が庭へまぎれこんで来て、前脚を縁側にかけながら、しきりに 遠吠えをしたことである。いくら追われても水をぶっかけられても、犬は出て行かなかった。ますます ま 牙を剥きだして吠えさかった。少年は、いよいよ祖母が息を引きとったあとで、あの犬が見ていた何か 人間の目には見えぬものが、つまり死なのだと思った。 葬列も葬式も、あらゆる大人たちのする儀礼の例にもれず、長たらしく退屈な、無意味な行事の連続 にすぎなかった。少年は南国の春の砂ぼこりの中に、小さな紋付羽織を着せられて、みじめな曝し物に されている自分だけを意識していた。腹ただしく口惜しかった。 さら 12 分

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現代文 高校生

山月記の下にあるこのといの答え教えて欲しいです!

解答 引けの「しあわせ」 しての「しあわせ」にすぎないことを強調するため 当の「しあわせ」をつかむことは困難なことを示すため。 細もが望む絶対的な「しあわせ」ではないことを示すため。 人は「しあわせ」を求めて生きていることを示唆するため。 ( TITTURA SH 〕〔 さい。 「珠」(三・7)、「瓦」(三・8)は、それぞれどういう人をたとえたもの か。簡潔に説明しなさい。 r こり得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わか らぬ。全く何事も我々にはわからぬ。 理由もわからずに押しつけられたものをおとなし 受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐ に死を思うた。しかし、そのとき、目の前を一匹のうさぎが駆け過ぎるのを見た途端に、 自分の中の人間はたちまち姿を消した。 再び自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分 の口はうさぎの血にまみれ、あたりにはうさぎの毛が散らばっていた。これが虎として の最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それはとうて 語るに忍びない。ただ、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が還ってくる。そうい うときには、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書 の章句を誦んずることもできる。 その人間の心で、虎としての己の残虐な行いの跡を見、 己の運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。しかし、その、人間 に還る数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなってゆく。今までは、どうして虎な どになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気がついてみたら、おれはどうして 以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。いま少したてば、おれの 中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょう ど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。そうすれば、しまいにおれは自分 4 過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い回り、今日のように道で君と出会っても故人と 認めることなく、君を裂き食ろうて何の悔いも感じないだろう。一体、獣でも人間でも、 もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを覚えているが、しだいに忘れてし まい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなこ とはどうでもいい。おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほ うが、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、そのことを、この うえなく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀しく、切なく 思っているだろう! おれが人間だった記憶のなくなることを。 この気持ちは誰にもわ からない。誰にもわからない。おれと同じ身の上になった者でなければ。ところで、そ うだ。おれがすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。 て言う。 袁俊はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続け そうなゅう けいしょ 10 「自分はすぐに死を 思うた」のはなぜか。 「自分の中の人間は たちまち姿を消し た。」とは、どういう ことか。 ②経書 中国の儒学関 係の書物。 B「これは恐ろしいこ とだ。」と李徴が考 えるのはなぜか。 つゆつ 4 「おれの中の......感 じているのだ。」とは、 どういう気持ちか。 近代の小説 2 ほかでもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業いまだ成ら ざるに、この運命に立ち至った。かつて作るところの詩数百編、もとより、まだ世に行 われておらぬ。遺稿の所在ももはやわからなくなっていよう。 ところで、そのうち、今 もなお記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録していただきたいのだ。なにも、 19 好きしょう 記誦 記憶して暗誦 する。 9 山月記

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現代文 高校生

小論文を書かなきゃいけないのですが、筆者の主張に対するあなたの意見は 貴方はどう書きますか?教えてくださいm(_ _)m🙇‍♀️参考にしたいです

です。 ています。 す。 九八〇年 更に年々 で内容を理解する 関連資料を読み取ろう。 ントと三つのシナリオ R 長谷川明子 トとは、人類の 資源の再生産 地の面積として 生きていくた 横に換算した 負荷をかけて 資料を読んで 資料からわかること ラフでは全快のストプリントの中でCOの割合(色)が圧到 牧草地林林んど)よりもはるかに 上 である。 筆者の主張 筆者の主張に対するあなたの意見 資料2 関連資料 (数値の出典: WWF 「生きている地球レポート 2008年版 地球の生産力を超えた人間の消費 ―地球一六個分 人間が生活や経済活動を通して消費し廃棄 する量を測る指標 「エコロジカル・フットプリ ント」によると、一九七〇年以降、人間の消費 や廃棄の量は地球が生産し吸収できる量を超え、 増加を続けてきました。これは、人間の需要が 地球の供給能力を超過し、自然資本の元本を食 い潰している状態です。 二〇二〇年には地球が 一年間に生産できる範囲を約六十パーセント超 過しています(図)。つまり、今の生活を維 す。 持するには地球一六個分の自然資源が必要で 二〇〇五年の世界のエコロジカル・フットプリン ール (gha)で、一人当たりのエコロジカル・フッ ヘクタールでした。 世界の生物生産力を平均した一ヘクタール(一〇〇 地のことです。私たちは森や畑、湖、川など土地 面積の世界合計が一三六億ヘクタールあります。 でも、森や川、畑ではそこから得られる生物の生 でも一定と考えて計算した場合の単位を意 ヘクタールしかないのに、一七五億グローバル・ 約三十パーセントオーバーしています。 つ 持続でき りない計算になるのです。これでは、地球の恵 一方、二〇二〇年予測ではエコロジカル・ フットプリントが約十パーセント減少します。 新型コロナウイルスの影響により、人々の移動 など消費行動が抑えられたことに起因するもの です。 これは人々の行動が変われば環境負荷が 変化することが分かる機会となりましたが、意 図したものではありません。重要なのは、目標 を設定し、計画的に経済の仕組みやライフスタ イルを転換することです。 2003年 生活となる。 かじを切る。 生活となる。 それは今の私たちに託されています。 ですのか、それとも絶滅を回避するのか。それは、 るのです。 持続可能な消費! WWFホームペー 250 二酸化炭素吸収地 (COの吸収に必要な森林) 路等) 森林(木材資源用) 150- 世界のバイオキャパシティ 点に私たちは立っています。 どちらへ一歩踏み出 グローバルヘクタール がきているのです。 (「生物多様性」による) (WWF 「生きている地球レポート 2020」による) 図世界ト推移 一短い論文を書いて読み合おう S 1O 新しい視点から 204

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リスク社会とは何か 大澤真幸さんの現代文です。 この問題(見切れてる部分もありますが😓) どなたか解いていただけないでしょうか? 返答宜しくお願い致します🙇

12:04 [ 66% 初め~ 2108月 内容の理解 思考力・判断力・表現力 ■「リスク risk] (11) は「危険 danger」(同) とどのような点で異 なっているのか。 本文中の語句を用いて二十字以内で説明しなさい。 「リスクが一般化するのは、少なくとも近代以降だということになる。」 (6)と筆者が述べるのはなぜか。 次から選びなさい。 ア 近代になって、リスク社会を分析するための概念が人々の間で共有 されるようになったから。 近代になって、さまざまなリスクの可能性が社会に存在していたこ が露呈したから。 ウ 近代になって、伝統社会にあふれていた天災や外敵などの危険が減 少し始めたから。 近代になって、社会の規範が人間の選択によって作られたものだと 実感されるようになったから。 [ ] 反省的再帰的な態度」 (12) とは、具体的にはどのようなあり 方のことか。 本文中の語句を用いて四十五字以内で説明しなさい。 「二つの顕著な特徴」 (10-10) とは何か。 次から二つ選びなさい。 たらすこと イ 中間的な対応 第三段落 (p.2121.3-p.213.11) 6 第二段落 (p.210.9p.212.2) ウリスクが新たなリスクを誘発した場合、必ず被害が拡大すること。 エリスクは人間の活動とは無縁であること ( ) [ ] [ ] 「リスクの低減や除去を目ざした決定や選択そのものが、リスクの原因 となる」(135) とあるが、これと同意の部分を本文中から二十字以 内で抜き出しなさい。 「古代ギリシア以来の倫理の基本」 (三三-3)について、 次の問いに答 えなさい。 「古代ギリシア以来の倫理の基本」とは何か。 本文中から十字で抜き 出しなさい。 22「地球の温暖化」(三.6)の例における、「古代ギリシア以来の倫理 の基本」にのっとった対応策とはどのようなものか。 本文中から二十 字以内で抜き出しなさい。 「リスクを回避するためには、中庸の選択は無意味である。」(三・5) と筆者が述べるのはなぜか。 次から選びなさい。 ア リスク社会は近代になって発生した社会であるので、古代ギリシア 以来の古典的な倫理観は通用しないから。 . #合さ *最新の料金と在庫状況についてはウェブサイトを確認してくだ さい。 画像は著作権で保護されている場合があります。 詳細 G Q A ホーム 検索 保存済み 通知 セ

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現代文 高校生

解答が無く、正解が分かりません。 問3.4.5の解説と答えが欲しいです(;_:)

RECE E.F 文学とは何か 加藤 文学評論 文は描くものですが、必ずしも目に見えるものを目に見えるように描くものではあり ません。もし目に見えるように描くことが目的であるとすれば、どのような散文も、フロベー 文でさえも、ありふれた映画の一場面に及ばないでしょう。 「感情教育」のポウト がどんなにいきいきとセーヌ河の風景を描いているにしても、その風景は、目に見える ようであって、目に見えるのではありません。ところが映写幕の上には、見えるような風景 5 ではなく、実際に見える風景があらわれる。 映画の魅力はそこにあります。 もし小説の魅力 に⑩ヒッチキすることはできない。客観描 同じ性質のものであるとすれば、小説が映画に は、それが目に見えるものを目に見えるように描くということを意味するかぎり、可能で あるにしても、小説的表現の素材(言葉)にふさわしい方法ではありません。言葉には意味 があります。意味は想像力に訴えます。写真は、目にうつる一切のものを記録します。 記録 1 は感覚に訴えます。 セーヌ河の風景を客観的に再現するという目的は、写真という表現手段 にふさわしく、言葉という表現手段にふさわしくないということができるでしょう。逆に、 セーヌ河の風景をながめる青年フレデリック・モローの感動を再現するという目的は、言葉 にふさわしく、写真にふさわしくない目的です。小説における散文は、まず主人公の感動を その感動のなかに誘いいれながら、その感動を通じて周囲の風景を想像させよ 5 うとするときに、独特の能力を発揮します。 その逆の手順をふむときに、たとえばセーヌ河 の風景の客観的描写からはじめるときに、散文はその無能力を暴露します。これが、小説に 散文を、その描く対象の側から考えてみるときに、当然見いだされる原則です。しか し、もういちど、散文を描くという機能の側から考えてみると、小説における、または文学 における散文の性質とは、どういうものでしょうか。 散文における言葉は、ある対象の符号 20 ですが、具体的な特定対象の符号であるのは、固有名詞だけです 「東京」という町は、世 界中に一つしかない)。しかし普通の言葉は、特定対象の属する群の符号である(「町」は、 東京だけでなく、他にいくらでもあります)。言いかえれば、特定対象を名づけるというこ とは、一般に、その対象を分類することです。 分類のしかたは、たくさんあります。一杯の コーヒーという特定対象をわれわれはコーヒーという言葉でわす「コーヒー」として分 4 類することもできるし、飲物、ヨウエキ、物質等の言葉で表現する(そういうものとし て分類する)こともできます。 どういう分類のしかたを採用するか、すなわちどういう言葉 ぶかは、われわれ自身が、われわれとその対象との関係に応じて、決定する他はないで しょう。言葉による表現とは、われわれと対象との関係を限定することであり、逆に、その ような限定を伴わずに言葉で何ものかを表現することはできません。言葉によって世界を描 くということ、つまり散文をつくるということは、本質的にわれわれと世界との関係を限定 することである。あるいは、われわれにとっての世界を定義することである。日常的会話は、 日常生活の約束と習慣にしたがって世界を定義します。 文学的散文は、日常的定義とは異 なる独特の定義によって世界を成立させるものでなければなりません。 小説文を読むと そのことにほかならないでしょう。フロベールは、そのことを意識せずに、 客観描写という方法論を発明しましたが、 そんなことが完全に実現されることは決してない ので、彼の作品も彼の方法論を裏切っています。 逆説的にいえば、裏切ることそのことによ 文学として成立しています。 それは、そのはずであって、主観をまじえずに、革命の情 景を描写するというようなキョクタンな場合を考えてみれば、明らかにわかることです。 ある人は、パリの人民大が第二帝政を打倒したと書きます。 中を騒がせたと書きます。 「人民大衆」という言葉も「不足の輩」という言葉も、単に客 ます。またある人は不起のが世の 観的な対象を示すのではなく、その人と対象との関係を示すものです。世界を定義せずに、 何事かを言葉で表現するということが、そもそも不可能である。作家の責任ということもそ 白梅図 文化論 →評論・随筆・小説 →詩・和歌・短歌歌 Aではなとうっと 問四 B ( こから出てくるわけで、世界と自分との関係を定義するその定義のしかたの責任を、あらゆ 作家が負っているということになります。 それでも、客観描写ということが成り立つとすれば、それは意味づけのしかたそのものに、 一定の約束があり、個人的主観によってその約束が破られないという場合でしかないでしょ う。たしかに、科学者はそういう約束をもっています。解剖学教科書のジョジュツなどは その意味で客観的であり得ます。しかし小説家にはそういう約束がない。 対象が人生である 場合にそんな約束はあり得ません。「人生襲」というものはない。人それぞれにとって「わ 傍線部~の片仮名を漢字で書け。(5点×5=25点) ) ( 人生観」があるだけです。 「文学とは何か」 角川新書による) 問一 ⑩(目頭 (溶液) ⑥(極端)(敘述 問二 部とあるが、本文中にはこれと同一の内容を端的に表現した言葉がくり返し使 われている。これ以降から抜き出して書け。 (1点) ) 問傍線部とあるが、この内容を説明している部分を本文中より五十二字で抜き出し、 最初と最後の三字を書け。(句読点も一字に含む) (10点) 傍線部 とあるが、 「日常的定義とは異なる独特の定義」とは何か。本文中の筆者の 論旨にしたがって、六十字以内で書け。(句読点も一字に含む) (10点) ・ 問傍線部とあるが、ここでいう「対象」とは、具体的には何を指すか。また、そ の「対象」を描くにあたって、「人民大衆という言葉」を使った場合、「不退の輩と いう言葉」を使った場合、それぞれ書き手と「対象」 とのどのような「関係」がそこに示 されているのか。簡潔に説明せよ。 (1点×3=4点) FO (RACEPT 粉に ) ) )

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