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古文 高校生

反実仮想に訳す助動詞「まし」が「ましか/ば」と活用されているのですが未然形か已然形のどちらかわかりません。また、反実仮想は「ましかば~まし」と覚えていたのですがこの場合「~まし」は省略されているということですか? 解答よろしくお願いしますm(*_ _)m

徒然草 歴 専門家の慢心 ナビ 一道にたづさはる人、あらぬ道のむしろに臨みて、「あはれ、わが道ならましかば) よにわろく覚ゆ 筆者の最も言いたい でくくろう。 かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、 るなり。知らぬ道のうらやましく覚えば、「あなうらやまし。などか習はざりけん」と言ひ 牙あるものの牙 語注| * むしろ…会合の席。 てありなん。わが智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角を 傾 け、 をかみ出だすたぐひなり ち S海一問三比崎 現代文と同様、古文でも比 があります。比陰表現は逐 せん。その表現を通して作 文脈から読み取る必要があ 人としては、善にほこらず、物と争はぎるを徳とす。他にまさることのあるは、大きな る失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉れにても、人にまされり と思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心に。そこばくのとがあり。慎み て。これを忘る「べし。をこにも見え、人にも言ひ消たれ、禍 をも招くは、ただこの慢心 なり。 一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、 志 常に満たず して、つひに物にほこる事なし。 |文学次の随筆作品を 並べよ。

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古文 高校生

沙石集 兼盛と忠見 忠見が「不食の病」になったのは何故ですか?

大内裏 沙石集 兼盛と忠見 天徳の御歌合のとき、兼盛、忠見、ともに御随身にて左右についてけり 初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌詠み出だしたりと思ひて、兼盛もい かでこれほどの歌詠むべきとぞ思ひける 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか らつめども色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の間ふまで 判者ども、名歌なりければ判じ煩ひて、天気を伺ひけるに、帝、忠見が さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に みかど 歌をば両三度御詠ありけり。兼盛が歌をば多反御詠ありけるとき、天気左 ん 点 りにけり 忠見、心憂くおぼえて心ふさがりて、不食の病つきてけり。頼みなき由 聞きて、兼盛、とぶらひければ、「別の病にあらず。御歌合のとき、名歌 ヘrに 回 詠み出だしておぼえ侍りしに、殿の「ものや思ふと人の間ふまで」に、あ はと思ひて、あさましくおぼえしより、胸ふさがりて、かく重り侍りぬ。」 と、つひにみまかりにけり。執心こそ由なけれども、道を執する習ひ、あ はれにこそ。ともに名歌にて「拾遣」に入りて侍るにや。あん (とコ) 沙石集」の編者は、忠見のあり方をどのように評価して いるか。説明してみよう ことばと表現 -それぞれ現代語訳してみよう。 eいかでこれほどの歌詠むべき(三,2) 2人知れずこそ思ひそめしか (三.4) 沙石集●無住作。仏教揃 年に一度まとまった後- 庶民の生活を語る説話。 古典文学大系」による 無住 三~1三三"

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