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日本史 高校生

カッコの穴埋めを教えてください!!

文化の始まり (1) 日本列島と日本人 0 日本列島の形成 約700万年前 )の誕生(発見場所:アフリカ) 新第三紀の中新世後期,[ )(氷河時代) 約200万年前~約1万年前 [ 氷期には海面が下降し,日本列島は大陸と3 →トウヨウゾウやナウマンゾウなどが渡来 →大型獣を追って人類も渡来(長野県野尻湖遺跡群) )であった [4 約1万年前~ 温暖になり海面が上昇し,日本列島が成立 2 日本人の形成 a.人類の進化 猿人 → 原人 → 旧人 → (5 b.日本の化石人類 発見 [6 新人段階のもの(静岡県浜北人,沖縄県( J人は南方からの渡来の可能性 (後期旧石器文化や初期の縄文文化には北方系要素もあり) J人) 特徴 c.現在の日本人 アジア大陸に住んでいた人々の子孫の縄文人と,北アジアに住んでいて弥生時代以降に渡来した 人々の混血の繰り返し (2) 旧石器時代の人々の生活 の石器時代の区分 使用石器。 ]時代 約200万年前~約1万年前 更新世 (3 J石器 )時代 約1万年前~ 完新世 (10 石器 2) 旧石器の発見 1946年,群馬県(! 確認 → 以後発見が相次ぐ ③ 石器の進化(打撃用,切断用, 槍先など) 打製石斧 → ナイフ形石器 → [13 )の関東ローム層から(12 )が打製石器を発見し,1949年 J→ (14 )(組み合わせ式,アジア北部から) の 人々の生活 a.食料獲得法 狩猟と採取 b.住居 獲物·食料を求めて移動する生活,テント式の小屋や洞穴が住まい 10人前後の小集団 C.生活集団 3)縄文文化の成立 0 自然環境の変化(約1万年前) a.縄文海進 地球の温暖化によって海面が上昇→ ['5 植物相の変化(針葉樹から落葉広葉樹,照葉樹へ) 動物相の変化(大型獣から中小獣へ) ]が大陸から切り離される b. 生物の変化

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日本史 高校生

日本史Bの共通テストの問題です。 解説がないので解説をお願いします🙇‍♀️🙇‍♀️

日本史B へんきん 第2問 高校談生のリツさんはは、日本古代の法は、中国の法にならって編察されたこ とを教わった。そ代で,先生の助賞を愛けて,日本古代の法整備の歴史と,中国の 法典をもたらした遺虜使*遺唐使の派遣について、年表にまとめで整理してみた。 この年表を読んで, 後の問い調15】に答えま。(史料は、一部省略したり、書 き改めたりしたと言ろもある。(配点 16) 年表 世紀 貝査の法典編薬と 選踏使、遷唐使 数学は西暦年) 中国の法典編纂 諸政策 6世紀 遭磨使 (600) 隣*開皇律令格式 遺魔使697~08) ~額5まで数度の違階使 濃唐強(630~32) 遣唐便(653~54) 66 まで数度の濃唐使 階-大業律令 唐武徳律令 唐永徽律令格式 改新の語 7世紀 の慶午年籍 「冠礎法度の事注) 飛鳥浄御原令 康寅年籍 すらきあ 唐選獲律令格式 選唐使702~7) 造唐使(71) 「進唐使(73~36) ト堂 演唐使752~54) 達唐便(777~78) 遺唐使(864~06) 遠唐使(838~-40) 道害使中止の提言(894) 大宝律令 唐:開元三年律令格式 豚,調元七年律令格式 唐×購元ニ十五年律令格式 巻法律令 8世紀 弘仁格式 9世紀 真観裕式 | 10世紀延喜裕式 )冠位法度の事ま近江合とみる説もある。 1 97- (2102-97)

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日本史 高校生

問3の問題でyが誤な理由を教えて欲しいです。 解答は2です。

日本史練習問題センター試験 2009年度本試験 近代日本における代表的な外交官の一人であり、政治家としても活動した幣原喜重郎に関する 次の文章を読み、後の問いに答えなさい。 A 1872年 現在の大阪府に生まれた幣原喜重郎は、大学卒業後外務省に入省し、外交官として の経験を重ねた。第一次世界大戦下において外務次官に就任し、その後の内閣においてaロシア 半命に対する日本軍の介入の事後処理などに従事した。その後駐米公使としてアメリカに赴任し た需原は、ワシントンで実施された国際会議において全権の一人として出席し、b 海軍軍縮およ び中国大陸·太平洋における列強諸国との権益調整に尽力した。 問1下線部a に関して述べた次の文XYについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを一 つ選びなさい。 X 日本は、イギリスなど他の派兵国よりも長期にわたって介入を継続した。 Y この軍事介入の影響で、国内の米価が下落し、困窮した農民が全国で騒優をおこした。 0 X 正Y正 2 X 正Y誤 ③ X 誤Y正④ X 誤Y誤 問2下線部bに関して述べた次の文について、古いものから年代順に正しく配列したものを一つ 選びなさい。 I 国策の手段としての戦争の放棄を約した不戦条約に調印した。10 II 補助艦の総保有量を英·米の約7割とすることに合意した。 I 主力艦保有量を英·米の5分の3に制限することに合意した。 192 2 I→II→I I→I→I 5 I→I→I 6 Ⅲ→Ⅱ→I Bc原が外務大臣として活躍した機関は、 一時の中断をはさんで1924年から 1931 年までの長 い期間にわたるが、その間の外交方針はほぼ一貫しておりd「幣原外交と呼ばれた。軍縮条約 への取り組みなどにこうした姿勢は顕著である。 しかし、このような常源の外交方針は、対立勢 カやe中国における日本軍の行動によって妨げられることになる。最終的に 1931 年、陸軍が中 国東北部でおこした軍事的行動なとどによって、 幣原の外交路線は 問3下線部cに関連して、 1920年代の日本は国内で社会運動が活発化した時期としても知られて いる。次の表を参考にしながら、 この時期に農村で起こった小作争議に関して述べた下の文XY について、その正誤の組み合わせとして正しいものを一つ選びなさい。 x 普通選挙法が成立した前後の両年を比較すると、 小作争議件数は増加をみせたが、その後は 一時的に減少した。 Y 世界恐慌の影響が日本に波及した結果、困窮した農民による個々の争議が大規模化する傾向 がみられた。 0 X 正Y正 ② X 正 Y 誤③ X 誤Y正④X誤 Y 誤 した。 小作争議の件数と規模 項目|小作争議件数参加小作人数|1件当りの参加 B 年 A 小作人数B/A 1920年 408 34,605 84.8 1922年 1,578 125,750 79.7 1924年 1,532 110,920 72,4 1926 年 2,751 151,061 54.9 1928年 1,866 75,136 40.3 1930年 2,478 58,565 23.6 1932年 3,414 61,499 18.0 (安藤良雄編『近代日本経済史要覧(第2版)』より作成)

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