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日本史 高校生

鎌倉幕府の成立過程には7つの画期が存在するが、幕府の本質のとらえ方によって、成立時期は4つにまとめられる。古い順に4つの着眼点と時期を記しなさい。年については、西暦だけでも構いません。また、複数の説がある場合は、現在最も重要な画期とされているものを挙げればよいこととします。... 続きを読む

さがみ ③ | 和田義盛は相模国の武士, 大江 広元と三善康信は朝廷の下級官 一人だった。 ● | これにより、守護・地頭の設置 が広く認められることとなった。 82 | 将軍 中央 (鎌倉) 執権 連署 地方 ⑦ 鎌倉幕府の機構 公文所 1184 問注所 1184 侍所 1180 評定衆 京都守護 [1225 鎮西奉行 1185 九州の御家人統率 |幕府の成立 所が設けられ、和田義盛が長官に任じられた。 つづ まんどころ かいしょう、 おおえのひろ いて公文所と問注所が開かれた。 公文所(のちに政所と改称)は、 大江広 くもんじょ もんちゅうじょ もんちゅうじょ 問注所が設けられたとき 政所 1191 引付衆 1249 ちと、 元が長官に任じられ、政務や財政をとりあつかった。 問注所は、急通 1140-121 しゅうにん 信が長官に就任し、 裁判に関与した。 頼朝は当初、実力で関東の荘園公領を支配していたが, 1183 (寿永 しょうえん こうりょう よりも ごしらかわほう とうさん 2)年10月, 義仲と対立する後白河法皇との交渉によって、東海道・ 道諸国に対する支配権の公的な承認 (寿永二年十月宣旨)をえた。平氏滅 せんじ ついとう 亡後,法皇が義経に頼朝の追討を命じると、頼朝はこれに強く抗議し、 てっかい。 1185(文治元)年11月に追討令を撤回させ、全国に義経捜索のための軍事 態勢を構築することを承認させた (文治勅許)。 ちょっきょ これを機に、頼朝が挙兵以来, 国ごとに任命し ていった軍事指揮官が守護として定着した。 また、 味方になって所領を保証され (本領安堵),敵とな ほんりょうあんど ぼっしゅう った武士から没収した所領をあたえられ (新恩給te 与)ていた武士が地頭として定着していった。 とうごく 守護は、各国に1名ずつ, 主として東国出身の ごけ にん おおばんやく 有力御家人が任命され, その任務は京都大番役の募も知行国 (関東知 |六波羅探題 1221 1185 鎮西探題 1293 軍事・警察 奥州総奉行 1189 奥州の御家人統率、 幕府への訴訟取り次ぎ ・守護(諸国) 地頭(荘園・国衙領) へいし ちょうてい 鎌倉幕府の成立過程 平氏が朝廷の内部 しょうあく かまくらばくふ で成長して政権を掌握したのに対し, 鎌倉幕府は, 朝廷への反乱軍として登場した点に大きな特徴が ある。鎌倉幕府の成立過程には,いくつもの画期 かつき が存在する。 じ しょう よりも きょ ①1180 (治承4) 年末・・・・・・頼朝が鎌倉に居をかまえ, とうかいどう たいしょう 大将に任命されたとき 数字は設置年 さむらいどころ 侍所を設け, 南関東と東海道東部の実質的支配 に成功したとき じゅえい とうごく ②1183 (寿永2)年10月 頼朝の東国支配権が朝 廷から事実上の承認を受けたとき げんりゃく くもんじょまんどころ ③1184 (元暦元)年10月...... 鎌倉に公文所(政所)と ぶんじ ④1185(文治元)年11月・・・・・・ 頼朝が全国的な軍事態 勢の構築を朝廷から承認されたとき じょうらく このえ けんきゅう ⑤1190(建久元)年11月・・・・・・ 頼朝が上洛して右近衛 第2編 中世の日本と世界 かまくら ごけ にん じがわ 富士川の戦いのあと, 鎌倉には御家人を統制する さいそく む ほんにん おんげち 催促、謀叛人の逮捕, 殺害人の逮捕 (関東御下知三 6 箇条)にかぎられていた。 地頭は荘園や公領に置 ちあん ⑥1191 (建久2)年3月・・・・・・ 頼朝が全国の治安維持 の担い手として, 朝廷から位置づけられたとき ⑦1192(建久3)年7月・・・・・・ 頼朝が征夷大将軍に任 命されたとき せいい たいしょうぐん Fisk ⑤と⑦, 特に⑦は、幕府という語の意味(将軍の 政府) に着目したもので, 古くから幕府成立時期と して主張されている。 これに対して、①から④と ⑥は軍事政権としての幕府の成立過程を問題にし ており、現在では④を最も重要な画期とする研究 者が多い。しかし、東国の支配政権としての性格 を重視すれば ② が有力になり, 軍事力による実力 支配を重視すれば ① が主張されることになる。 頼朝をはじめ当時の人々に鎌倉幕府の「完成形」 のイメージがあったわけではない。 現在の私たち が幕府の本質をどうとらえるかによって,その成 立時期も変わってくるのである。 皇と対面し 白河法皇が亡く これこの職は江 となり、ここにのち 一 幕府の成立後も、東 主として、多くの しており、朝廷と幕府には による二元的な支配 かまくら もつけ 301601 女性の地頭鎌倉 の乳母で、下野の有 分を産んだ女性 (寒河 の寒羽郡と同志土郷の北 ちな地頭職をみずから と 氏の一族の女性は、地 人の妻であった女性は だいかん。

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日本史 高校生

自分なりに気づいたこと を書くという宿題があります! この表からわかることを 教えてください!

宿 中期後半 下) 前方 かったが、 形石棺 及 普及。 せんどう 美道 三んどう 幸つ 古墳,市野山 允恭天皇陵古墳,前の山=白鳥陵古墳、岡ミサンザイ=仲哀天皇陵古墳 だいおうぼ 大王墓 p.40, 地方首長墓との関係 p.41 群集墳・八角墳 p.41 前期の前半をとくに出現期, 後期の後半を終末期という。 *2 石室がわりに棺全体を粘土で囲んだもの。 *3 九州北部の有力豪族の古墳に登場。 中期(4世紀後半~5世紀) 後期 ( 6 世紀) 終末期(7世紀) 全国に分布 *2 世界遺産の登録名称/ 3 古墳の変遷と分布 時期 出現期 (3世紀後半) 前期 (4世紀~4世紀後半) 分布 大和東南部・瀬戸内中心 全国に広がる 丘陵や台地 立地 形態 箸墓型前方後円墳 内部 竪穴式石室と割竹 竪穴式石室・粘土柳 2 竪穴式石室と長持形石棺, 横穴式石室・横穴墓 ねんどく 主体形木棺 割竹形木棺 粘土槨, 横穴式石室の出現 *3 木棺・家形石棺 石塚山古墳 (福岡) いなり はAに元稲荷古墳 (京都) 記載 前方後円 (方) 墳・ 円 墳方墳 丘陵や平地 ふきいし 原則的には葺石でおおう 会津大塚山古墳 (福島) うなどんやま 行燈山古墳(奈良) 前方後円墳の巨大化 やま 佐紀陵山古墳(奈良) 古墳表面 つぼ 群集墳には葺石なし に、 埴輪 特殊器台と壺形埴輪 円筒埴輪,形象埴輪 形象埴輪の増加(家形,形象埴輪の隆盛(埴輪群 もしくはなし の登場 (家形, 器財) 人物など), 円筒埴輪 など) p.40 円筒埴輪 埴輪は原則なし さんかくぶちしんじゅうき かっちゅう かざり 副葬品 銅鏡(三角縁神獣鏡 銅鏡(三角縁神獣鏡 銅鏡,装身具,鉄製甲冑 金銅製装身具・馬具・干 中国鏡・玉類・飾大刀・ p.41 も) 鉄剣・が多数),鉄剣・刀, p.36. 43 刀, 玉類 (勾玉など) 玉類, 碧玉製腕飾類 金銅製馬具 きぎょく うでかざり 武器 p.40,鉄素材, 具, 日用品 (須恵器・土 装身具,四神・男女の 師器) p.42 官人群像などの壁画 被葬者 司祭者的首長 p.43 武人的首長 p.43 しぶたにもこうやま 箸墓古墳(奈良) p.37 渋谷向山古墳(奈良) 代表的 椿井大塚山古墳 (京都) 桜井茶臼山古墳(奈良) な古墳 浦間茶臼山古墳 (岡山) 新山古墳(奈良) うらまちゃうすやま とうしょ 限られた地域・階層 丘陵や平地、山間部や島嶼部 平地や丘陵の南斜面 関東および大王墓以外で前方後大王墓は八角墳に移行 円墳の縮小・消滅, 群集墳が急増 群集墳は急速に消滅 はっかくふん だいせんりょう 大仙陵古墳(大阪) 誉田御廟山古墳(大阪) 太田天神山古墳 (群馬) 稲荷山古墳 (埼玉) p.44 室宮山古墳(奈良) つくりやま 造山古墳(岡山) 切石積横穴式石室, 横 口式石槨, 漆塗りの棺 列石による区画など ・おおきみ 政治的首長(大規模墳), 渡来人・大王・ 中央貴族 工人・官人・有力農民(群集墳) 方有力者 (だいおう) つのづか くるまづか | 角塚古墳(岩手) 壬生車塚古墳 (栃木) <「日本国 A古 いわと 岩戸山古墳 (福岡) p.41 |新沢千塚古墳群(奈良) |岩橋千塚古墳群 (和歌山) 地 五条野(見瀬) 丸山古墳(奈良) 石舞台古墳(奈良)p.48 いましろづか 今城塚古墳(大阪) p.40 高松塚古墳(奈良) p.59 天武・持統天皇陵 (奈良) 中尾山古墳(奈良) 阿武山古墳(大阪) ご しき 五色 道当 埴 15

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日本史 高校生

自分なりに気づいたことを書く という宿題があります! この図からわかることを教えてください!

変遷 山背 五塚原 元稲荷 < 寺戸 2 大塚 わ 妙見山 おとくに 乙訓古墳群 恵解山 500m1 0 一部改変) 天皇陵古墳 B 畿内豪族の勢力範囲 上石津 ミサフザイ 10km 津 大仙陵 TIZE 現在の 海岸線 大和 内 河内山 津山 師ニサンザイ はじ 土師氏古市古墳群 ○有力な豪族 の勢力範囲 古墳群 平群氏 土師氏 藤八木法隆寺 物部氏 物部氏 ●誉田御廟山 和泉百舌鳥古墳群 大伴氏) 葛 出現期・ 生駒山 |前期 宝塚 後期 D 葛城氏 馬見古墳群 E 葛城山 はっかくふん 青・八角墳 p.41 * 前期の前半をとくに出現期, 背 椿井大塚山 五社神 佐紀古墳群 西殿塚 川台木塚山 行燈山 ウウナベ 和 王に EE 纒向石塚 新木山 耳成山 畝傍山 おおと 大伴氏(阿倍氏 香具山 高松塚 巨勢氏 大和 石上神宮 大和古墳群 柳本古墳群 渋谷向山 大王家 三輪山 箸墓 2 ●蘇我氏 あべ 石舞台 五条野(見瀬) キトラ 丸山 氏 桜井茶臼山 ■ ②1 有力豪族の 勢力範囲 (想定図) 5~6世紀の畿 内における有力豪 族の勢力範囲想定 やまと 図。 大和川水系の 支流ごとに大型前 <『日本歴史地図」 ほか〉 古墳の分布 方後円墳が分布す る。 ヤマト政権 (→ p.42) の盟主であ おお きみ る大王家は、大和 だいおう みわ 盆地の東側の三輪 山ろくを本拠地と していたと推定さ れている。

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