学年

教科

質問の種類

日本史 高校生

至急です 日本史の問題で 『棄捐令とはどのようなものか教科書から30字程度で抜き出しなさい』 という問題があるのですが どこを抜き出したらいいのかわからないので教えていただきたいです。 よろしくお願いします

866 一正 ic 15 幕藩体制の立て直し てい とくがわいえなり 1787 (天明7)年、 徳川家斉が11代将軍となったころ、 1773-1841 寛政の改革 江戸で天明の打ちこわしがおこり、 幕府に衝撃をあ よしむね しらかわはんしゅ まつだいらさだのぶろうじゅう たえた。そのため, 8代将軍吉宗の孫で白河藩主の松平定信が老中にな 家斉を補佐した。 17. 革を進めた。 けんやくれい かび しゃれ p.171 定信は, 華美な生活をおさえるために倹約令を出すとともに、洒落本 1758-1829 定信は,吉宗の政治改革を理想として、寛政の改 を摘発するなど、風俗の取り締まりを強化した。 武士には学問と武芸を てきはつ 質実剛健な気風をとりもどそうとする一方、困窮した旗本・ 励して、 炭人を救済するために乗損査を出し、札差などからの借金を軽減した。 このころ、関東の農村から貧しい農民が江戸へ流入し、武家や町家の ぎょうしょう 奉公人になったり, 行商などを行ったりしてその日暮らしの生活をして でかせ きゅうり きのうれい いた。 定信は,出稼ぎを制限し, 旧里帰農令を出して江戸で定職を持た しゅそう ない者を故郷に帰し, 農業人口の確保につとめた。 また、各地に社倉や ぺいこく き きん きょうしゅつ かこい 義倉を設け, 飢饉に備えるために米穀を供出させてたくわえさせた ( まちにゅうよう 米)。 江戸市中でも, 町入用(町費)の節約分の7割を積み立て, 災害や飢 しちぶ つみきん、 いしかわじま にんそくよせば に備えさせた (七分積金)。 さらに, 江戸の石川島に人足寄場を設けた。 ゆしま せいどう りん しじゅく かんがく 学問を重視した定信は, 湯島の聖堂に付属した林家の私塾に官学とし しょうへいざか しての性格を持たせた (のち昌平坂学問所)。 そのうえで, 昌平坂学問所に しゅしがく かんせい いがく おいて朱子学以外の学問を講ずることを禁じ(寛政異学の禁) 学問吟味 がくもんぎんみ とうよう という試験によって役人を登用する新しい制度もつくった。 定信の厳しい政治は,しだいに江戸の民衆の不評をかうようになり, 一件などをめぐって家斉と対立した定信は,老中在職6年余りで退 陣した。しかし,七分積金制度など,定信の政策のなかにはその後も維 持されたものがあり、幕藩体制がつづくうえで大きな意味を持った。 はんせい 諸藩でも18世紀なかごろから藩政改革が行われ,特産物の増産と専売 制度によって財政の再建を ➡p.167 はかり,藩校を設立して有 ➡p.170 能な人材を育てるなど, 大 きな成果をあげる藩もあっ よねざわ た。 改革を主導した米沢藩 うえすぎはるのり ようざん の上杉治憲 (鷹山) 秋田藩 1751-1822 さたけよしまさ ほそかわ の佐竹義和, 熊本藩の細川 __1775-1815 1720-85 しげかた ◎めいくん 重賢らは名君と称された。 松平定信( おしすす せきでん D ③ 籍田の碑(山形県米沢市) 上杉鷹山が,自ら田を耕 さんこうぎょう 産興業をはかるなどの藩政改革を行った。 すことで農業の尊さを示した「籍田の礼」を伝える碑。 こうじょうかん しょく また, 鷹山は藩校 (興譲館)を創設し、 絹織物業の殖 ① ① 江 ② ら 45 た 第3

解決済み 回答数: 1
日本史 高校生

すみません、他の解答がわかりません。教えてもらいたいです。お願いします

【重要用語】 げこくじょう (守護大名) 在京した守護が領国を統治させた代官。下剋上 □60 ① 戦国大名はどのような情勢のもとで登場したか。 ② 戦国大名の分国支配はどのようなものであったか。 ③戦国時代の都市にみられる特徴にはどのようなものがあったか。 の風潮の中で戦国大名に成長する者が多かった。 □12(貫高制) 土地の広さを貢の銭篇(質)で表す方法。戦 じざむらい ぐんやく 国大名は国人や地 侍を家臣とし, 貫高に応じて軍役を課した。 より 3( 〕 戦国大名の家臣団統制の方法。 有力な家臣を寄 親, 地侍を寄子として軍事力を編成した。 より □14 (分国法) 戦国大名が領国支配のために独自に発布した法 じょうえいしきもく 令。 貞永式目の影響が強く, 家臣団統制 民政関係などを規定。 5 〕 戦国大名が領国内で実施した土地調査で, 家臣 さくにん しんこく に領有する土地の面積作人収入額などを自己申告させた。 24. 戦国大名の登場 じょうかく 城郭を中心として成立した都市。 領国内の政治経済の中心。 〕 戦国大名が家臣団・ 商工業者を城下に集住させ, 70 けい やどや 詣の流行で宿屋商店が発生・発達し, 都市が形成された。 180 中世末期、浄土真宗の寺院や道場を中心に、 そ けいだい ほり の境内に発達した都市。 周囲に濠をめぐらして自衛した。 さん 〕 中世以降, 寺社の門前に発達した都市。 寺社参 大内氏 大内家書 (大内家壁書) 1439-1529 ・ 9( 除と座の特権の廃止によって, 自由な商品流通をはかった。 にちミン ○制定地(居城) 数字は制定年 領国は制定当時の推定範囲 100 貿易の根拠地として栄えた港町。会合衆 とよばれる36人の豪商の合議によって自治的市政が行われた。 室町時代、大内氏が領有し対明貿易港として繁 きつかい 吉川氏 吉川氏法 1617 いちば ) 戦国大名による商業政策。 市場税 商業税の免 11( ねんぎょうじ 栄。 12人の年行司とよばれる豪商が自治的市政を行った。 12( まちぐみ つきぎょうじ 工業者。 町組を組織し、 月行司とよばれる代表が市政を運営。 戦国大名のおもな家訓分国法 どそう さかや 京都で自治を行った土倉酒屋を中心とする商 (どくら) 一六角氏 六角氏式目 (式目) 1567 RO ・朝倉氏 朝倉孝景条々 (朝倉敏景) 【十七条/ 1471-? 武田氏 甲州法度之次第 ( 信玄家法) 1547 「凛氏) 塵芥集 1536 ◆下剋上 伝統的権威を否定し、下の者の力 が上の者の勢力をしのいでいく社 会的風潮で、一揆の高揚や戦国 大名の台頭がその例。 ◆鉱山の開発 いわみ ●石見大森銀山一大内・麗子・ もうり。 毛利 「たじまいくの ●但馬生野銀山山名・織田 かい。 ●甲斐金山一武田 けんか りょうせいばい ◆喧嘩両成敗法 家臣相互の紛争を実力による私闘 (喧嘩)で解決することを禁止し, すべての紛争を大名の裁判にゆだ ねさせることを目的に規定した。 ◆文化の地方普及 こう 応仁の乱による京都の荒廃は、公 家などの文化人を地方へ下向さ せ 京都の文化が地方に普及しな 足利学校 軍役 のりざね 1439年, 上杉憲実が再興し発展 戦国時代に「坂東の大学」とよ ばんどう ◆代表的な小京都 ●山口一大内氏の城下町。応仁 乱後,戦火を避けた公家 禅僧・学者などが来訪 文化の中心地となった。 のりふさ ●中村一関白一条教房が応仁 を避け、土佐国の荘園 向し居住して以来発展 戦国大名家臣団の構成 大名 一門・一家一族 (寄親) (寄 直 代宿老 臣老 軍 197 外と 19 そ 武将 t

解決済み 回答数: 1
日本史 高校生

問2が分からないです。なんで油座は含まれないのですか?

90. 【田沼時代】 次の文章を読み、 下の問いに答えよ。 10代将軍家治の ( ① ) から老中になった田沼意次は,幕府財政再建のために商業資本を利用した。 仲間を積極的に公認することによって, 運上・(-②)などの営業税の増収を目指した。 さらに特定の 人に座を作らせ, 幕府による専売制を強化した。 また, 初の計数銀貨である(③) を鋳造して貨幣 度を金貨中心にしようと試みた。 意次は貿易にも熱心に取り組み, 長崎貿易においては (④) や依物の輸出を奨励した。 さらに (b)= 平助の意見に影響を受け, 蝦夷地の開発やロシアとの交易を計画し、(⑤)らに蝦夷地を探検させ ロシアとの交易は実現しなかった。 このほかに新田開発も試み, 商人の力を借りて( ⑥ ) 手賀沼 拓に着手したが, 完成することはできなかった。 問1 空欄 (①)~(⑥) に適する語句を答えよ。 一問2 下線部(a)について, この座に含まれないものを次から一つ選べ。 ア. 真鍮座 イ. 油座 ウ. 銅座 工. 朝鮮人参座 問3 下線部(b) について, 蝦夷地開発とロシアとの交易を主張した工藤平助の著作物を次から一つ ア. 三国通覧図説 イ. 赤蝦夷風説考 ウ. 華夷通商考 工. 経世秘策 みょうが

解決済み 回答数: 1