【資料】 『民族とネイション一ナショナリズムという難問』
「国民の一体性」という観念は、現実にはそれほど広く分かちもたれたわけではない。しかし、それでもいっ
たん「国民国家」という自己意識をもった国家が登場すると、その国家が共通語(国家語)形成、公教育の整備、
国民皆兵制度などを推進し、「国民」意識を育成するようになる。そのような政策がとられ出した後も、「国民
の一体性」という観念は文字通り全国民に共有されるわけではなく、しばしば国民の中での亀裂が問題となるが、
そうした亀裂を出来るだけおおい隠し、あたかも一体性が存在するかの如き外観が整備されていく。このように
して成立するのが「国民国家」である。
今見たような流れは、ごく大まかに言えば多くのヨーロッパ諸国に共通のものと考えられるが、実際には一口
に「ヨーロッパ」といっても個別の状況の差違はかなり大きい。あたかもヨーロッパに「純粋かつ模範的な近
代」「純粋な国民国家」があったかのように想定し、非ヨーロッパ諸国の国民形成をそこからの「逸脱」「変
異」「遅れ」等々と見なす見解がしばしば見られるが、実際にはヨーロッパ諸国においても「純粋かつ模範的な
近代」「純粋な国民国家」が実在したわけではない。この点を確認しておくことは、非ョーロッパ諸国について
考える際に、裏在hない模鏡しに題らした「逸賊しを論じるといった側銭を避けるために不可欠である。