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日本史 高校生

見づらくてすみません🙇‍♀️ 江戸時代の交通網は、どのように広がっているだろうか。 この問いを教えてほしいです

4 江戸時代の交通と主な特産品 かんきん ねん 米や商品作物、特産品の換金や大消費地へ の輸送のため、海運が発達した。 陸上でも、 ごかいどう 五街道など多くの街道が各地をつないだ。 もう 読み解き 江戸時代の交通網は、どのように 広がっているだろうか。 まつまえ 江差 松前 はこだて 箱館 昆布 はちのへ 青森 八戸 日本海 秋田 1000 ちょうせん 朝鮮 つしま 対馬 -朝鮮通信使の 通った航路 しものせき 下関 「はかた ○ はぎ 8 べにばな 金 佐渡 [紅花」 せんだい お 仙台 小和 「新潟 しらかわ とうじき 陶磁器 [綿織物] 輪島 白河 日光 おき 隠岐 富山 |薬 みや 宮古 けせんぬま 気仙沼 いしのま 宇都宮 |銀 ふくやま 銀 府 京都 広島 広島 福山 岡山 大坂 さい やま ちょうど 獅子 博多 和歌山 陶磁器 長崎 大 平 洋 かつお かつお ご かいどう とうかいどう 五街道/東海道 & 鹿児島 こうしゅう 清・オランダ からの航路 りゅうきゅう 琉球からの たねがしま 0 200km 節の航路 7種子島 甲州道中 にしまわ ・西廻り航路 ひがき たる ・菱垣廻船・樽廻船の航路 奥州道中 日光道中 東廻り航路 その他の航路 ちかせんどう にっこうどうちゅう 中山道 おうしゅう 主な特産物

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日本史 高校生

写真の内容が、何度読んでも全然意味がとれないです。どなたか短く内容をまとめてくれないでしょうか。

になった。 10世紀後半には、任地に土着した国司の子孫たちゃ 荘園の発達 こくが 地方豪族の中に、国衙から臨時雑役などを免除され かいはつりょうしゅ て一定の領域を開発する者が現れ、11世紀に彼らは開発領主と呼ば ○れるようになった。 かんしょう 開発領主の中には、国衙からの干渉を免れるために、所領を含む きしん 広大な土地を貴族や大寺社に寄進し、その権威を背景に政府から官物 ふ ゆ かんしょう ふしょう や臨時雑役の免除 (不輸)を認めてもらう荘園 (官省符荘 6 ) にして、 あずかりどころ げし しょうかん みずからは預所や下司などの荘官となる者も現れた。 寄進を受け せっかんけ た荘園の領主は領家と呼ばれ、この荘園がさらに摂関家や天皇家な ほんけ どに重ねて寄進された時、上級の領主は本家と呼ばれた。 こうして できた荘園を寄進地系荘園と呼ぶ。 やがて、 荘園内での開発が進展するにともない、 不輪の範囲や対象 をめぐる荘園側と国衙との対立が激しくなると、 荘園領主の権威を利 けんでんし ふにゅう ○用して、 検田使など国衙の使者の立入りを認めない不入の特権を しょうえん る荘園も多くなっていった。 受領は荘園を整理しようとしたが効

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日本史 高校生

黄色で囲んだ②の文章の意味が分かりません 

政期から荘園が増 や収益の豊かな国を与えられた。 とくに鳥羽上皇の時代になると,院の周辺 る。 に荘園の寄進が集中したばかりでなく, 有力貴族や大寺院への荘園の寄進も ふゆふ にゅう 増加した。また,不輪・不入の権をもつ荘園が一般化し, 不入の権の内 容も警察権の排除にまで拡大されて, 荘園の独立性が強まった。 ちぎょうこく いんぶんこく またこの頃には知行国の制度 ② や,上皇自身が国の収益を握る院分国の こくしゅ 制度が広まって, 公領は上皇や知行国主・国司の私領のようになり,院政を 支える経済的基盤となった。 そうへい 大寺院も多くの荘園を所有し,下級僧侶を憎兵として組織し、国司と争い, しんほく しん よ にょいん 神木や神輿を先頭に立てて朝廷に強訴して要求を通そうとした。 神仏の威 ● 上皇は, 近親の女性を院と同じく待遇 (女院) して大量の荘園を与えたり, 寺院に多くの荘 園を寄進したりした。 たとえば, 鳥羽上皇が皇女八条院に伝えた荘園群 (八条院領)は平安時代 ちょうこうどう だいかくじとう じみょういんとう 末に約100カ所, 後白河上皇が長講堂に寄進した荘園群 (長講堂領)は鎌倉時代初めに約90カ所 という多数にのぼり それぞれ鎌倉時代の末期には大覚寺統 持明院統 (p.120) に継承され, その経済的基盤となった。 ② 上級貴族に知行国主として一国の支配権を与え、その国からの収益を取得させる制度。知 もくだい 行国主は子弟や近親者を国守に任じ、現地には目代を派遣して国の支配をおこなったが,これ ほうろく は貴族の俸禄支給が有名無実化したため、その経済的収益を確保する目的で生み出された。 こうふくじ ③ 興福寺の僧兵は奈良法師と呼ばれ、春日神社の神木の榊をささげて京都に入って強訴し, えんりゃくじ なん やまほうし 延暦寺の僧兵は山法師と呼ばれ, 日吉神社の神輿をかついで強訴した。 興福寺・延暦寺を南 と ほくれい 都・北嶺という。鎮護国家をとなえていた大寺院のこうした行動は、法によらずに実力で争う という院政期の社会の特色をよく表わしている。 1. 院政と平氏の台頭 89

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