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世界史 高校生

歴史なのですが、質問1と2のチェンバレンの政策を評価できる、できないの根拠となる資料はどれか を考えられず、なにかアドバイスや教えていただきたいです🙏🏻💦至急よろしくお願いします!!

じょうきょう 検証 C イギリス国内の状況 ふう し 資料④ | ミュンヘン会談の風刺画 チェンバレン Aish 35 ザール地方編入 再軍備宣言 36 ヴェルサイユ条約 ロカルノ条約破棄 かんしょう スペイン内乱に干渉 すうじく ベルリン-ローマ枢軸成立 37 日独伊防共協定成立 38 オーストリア併合 最終 課題 PEACE 資料5 | チェンバレンの考え けが 第一次世界大戦の恐ろしい4年間について考える とき,殺された 700万もの若者や,怪我をし,手足 を失った 1300万もの若者について考えるとき 私 は第一次世界大戦の再現を避けるために全ての神経 を集中する義務があると感じるのである。 保守党員への演説 1938年) 危機 ECHAOS ミュンヘン会談 ズデーテン地方併合 39 チェコスロヴァキア解体 ふかしん 独ソ不可侵条約成立 ポーランドに侵攻→第二次世界大戦始まる ヒトラー (独) 検証 D ドイツの動きとチェコスロヴァキアの立場 資料⑦ | ドイツの動き 資料③ ヒトラーの戦争計画 年 ドイツの動き(場所はp.1264 参照) 1920 国民社会主義ドイツ労働者党 ( ナチ党)成立 26 ドイツ, 国際連盟に加盟 きょう 29 世界恐慌, 始まる 32 ナチ党第1党になる 33 ヒトラー内閣成立 全権委任法成立 ドイツ, 国際連盟脱退を通告 34 ヒトラー総統に就任 チェコスロヴァキア チェンバレン (英) ダラディエ (仏) 資料⑥ チャーチルの考え なんと 私の席は ないのか きょうい 脅威されているのは、ひとりチェコスロヴァ キアのみではない。 すべての国の自由とデモク ラシーなのである。 ・・・ ドイツの戦力は英仏が防 衛に必要な対策を完成し得ることよりも, もっ と急速に短時日で増大するであろう。 < 「第二次世界大戦回顧録 (2)」 毎日新聞社) ドイツの民族集団は8500万人を超え ており、・・・より大きな生存圏への権利を, 他の諸民族以上に有するものである。 ・・・戦争勃発に備えて我が国の政治的・ じょうきょう 軍事的状況を改善すべきであり,そのた だとう めにはチェコスロヴァキアと,そして同 時にオーストリアを打倒することがわ れわれの第一の目標でなければならない。 ・・・ イギリスは,長期的ヨーロッパ戦争 に再び巻き込まれる可能性を恐れている。 <1937年11月5日 内閣官房での協議におけるヒトラーの演説〉 スターリン(ソ) 読み解き 資料④で左 の風刺画でチェンバ レンが渡っているの は,どのような橋だ ろうか。 右の風刺画ではス ターリンはどのよう えが、 に描かれているだろ うか。 また,どのよ うな理由からそのよ うに描かれたのだろ うか。 読み解き 資料を読んで正しいと思う方に○ をしよう。 ↑当時, ヴェルサイユ条約の厳しい内容から, 多くの人々がドイツに同情を示しており,ヒト ラーのこの後の行動を予測したヨーロッパの政 チェコスロヴァキアは、 直接会談に参加し意 見を言うことができなかったできた )。 イギリスやフランスは、 小国の意見を大切に 読み解き 資料7 8 から考えて, ミュンヘン 会談での決定は、ヒトラーが行動を見直すこと治家は,ほとんどいなかった。一方、この演説していたしていなかった)といえる。 につながったといえるだろうか。 は本気で言ったものではないとの説もある。 【読み解き 資料⑤・6で 二人の意見はどのよう あな違いがあるだろうか。 ちが 資料⑨ | 小国の立場 チェコスロヴァキアから, ヨーロッパ の平和のためにすべての犠牲を払ってほ ぎせい たの しいと頼まれていたにもかかわらず, 今 回の会談ではどの国も相談に乗ろうとは しなかった。 ・・・チェコスロヴァキアはヒトラーから ではなく, チェンバレンとダラディエの かつじょう 口から…割譲の話を聞かされたのだ! <ウィリアム=L=シャイラーのベルリン日記 こんきょ 質問1 あなたがチェンバレンの政策を「評価できる」と考える際の根拠となる資料はどれか。 質問2 質問3 1938年9月30日 > あなたがチェンバレンの政策を「評価できない」と考える際の根拠となる資料はどれか。 あなたはこのチェンバレンの政策をどのように評価するか。 チェンバレンの評価できる点と評価できない 点, それぞれの理由にも触れて、説明してみよう。

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世界史 高校生

第二次世界大戦後の中国について勉強しているのですが、こちらの文章の下3行が何を言っているのかいまいち理解できません。(なぜ孤立したからアメリカに接近したのでしょうか、、)教えてください!!

戦後の中国 1945年、日本の敗戦とともに, しょうかいせき 中国では国民党の蒋介石と共産 もうたくとう そうじゅう 党の毛沢東が双十協定を結んで,新たな国家建設を かいさい めざす政治協商会議の開催に合意した。 しかし翌 46年には全面的な国共内戦が始まり, 49年、つい しゅうおんらい に共産党の毛沢東を中央人民政府主席,周恩来を首 しょう ちゅうか 相とする中華人民共和国の建国で終結した。 これに じんえい よって,社会主義陣営に新たな大国が加わった。中 そうえんじょ 華人民共和国は,中ソ友好同盟相互援助条約を結ん ていけい でソ連と提携し,工業化の技術指導を目的として人 材交流も活発化した。 一方, 蒋介石の国民党政府は タイワン きょてん 台湾に中華民国の拠点をおき, アメリカと提携して はんこう 大陸反攻をめざしたため、中国は分断された。 中華人民共和国は、毛沢東の指導のもと、食料と だいやくしん 鉄鋼の増産をめざして大躍進運動を進めたが失敗に しょうとつ 終わった。 1960年代に入ると, ソ連との間に衝突 ふんそう こりつ を起こし, インドとも国境紛争が発生して孤立した ため, 70年代にアメリカに接近していった。 →P.111 >

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世界史 高校生

社会苦手なので教えて欲しいです よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

優しい方教えて欲しいです。 よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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世界史 高校生

どなたか優しい方この課題教えてもらえませんか? よろしくお願いします。

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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