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世界史 高校生

世界史の基礎問題精講を使って勉強しているのですがこういう「精講」って書かれた部分も覚えた方がいいですか?

キュロス2世 アケメネス朝ペルシアの国王と事績 カンビュセス2世 ダレイオス1世 アケメネス朝を創始した初代国王。 スサに首都を置き、 メディア・リディア・新バビロニア (カルデア)を征服 第2代の王。高525年にエジプトを征服してオリエン 統一を達成。 「王の耳」 アケメネス朝最盛期の工場 新鮮ベルセポリスを遺 地の州にサトラップ (知事)を置き, 「王の目」 | を派遣して監視する中央集権体制を確立。「王の道」と呼 ばれる幹線道路上に駅伝制を整備し, 度量衡の統一も実 でんせい 施。 対外的にはペルシア戦争を始めた。 どりょうこう ダレイオス3世 アケメネス朝最後の王。 アレクサンドロス大王にイッソ スの戦い (前333), アルベラの戦い (前331)で敗北。 部下に暗殺される(前330)。 [13] パルティア・ササン朝ペルシアの国王と事績 アルサケス パルティアの初代国王 (アルサケス朝)。 中国名である安 そく 息の名の由来。 アルダシール1世 ササン朝の初代国王。 ゾロアスター教の国教化。 シャープール1世 ササン朝第2代の王。エデッサの戦い (260)でローマ皇 帝ウァレリアヌスを捕虜とし,東方では西北インドのク シャーナ朝を攻撃。 とうほう ースロー1世 ササン朝最盛期の王。 ビザンツ皇帝ユスティニアヌス とっつ 世と抗争し, 中央アジアでは突厥と同盟してエフタルを 滅ぼす。

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世界史 高校生

梁啓超は中国の弱体化についてどこに原因があると考えていたのか、という問題を教えてほしいです🙇

梁啓超 「中国積弱の根源について」 (「清議報」 1901年4~7月掲載) 合格 ( 国家と朝廷の区別を知らないこと。 我が中国には奇 異なことが一つある。 それは、数億の人間が数千年に わたって国を建てていながら、今日まで国名がないこ とである。 中国人の脳にある理想は、立派で尊ぶべきものももと(国家と天下の区別を知らないこと 中国人はこれま で自分の国が国であることを知らなかった。 より少なくないが、改むべきものもまたたいへん多い。 西洋や日本では、中国人は愛国心がない、 としばしばい われる。私はもとよりこのことばを愛する者ではない が、要するにわが国民の愛国心が西洋や日本にくらべて 薄弱なのは、まぎれもない事実である。 愛国心の薄弱な ことこそ、わが国の積弱の最大の根源にほかならない。 私はかつて思考の及ぶかぎり、愛国心の薄弱な理由を研 究し、その源は理想の誤りから発しているという結論を えた。その誤りは次の三点である。 国家と国民の関係を知らないこと。 国というものは 民を集めてつくられている。 国家の主人はだれかとい えば、その国の国民にほかならない。 (村田雄二郎責任編集「新編 原典中国近代思想史2」) Q. 梁啓超は中国の弱体化についてどこに原因があると考えていたのだろうか。 血 Key Person 西太后 (1815~1908) 同治と光の時代以上にわたって っていたのは大だった。 光 を始めるといったんは引したが、 中心となった おこし を 反発して して政権のに した。 しかし 団事件で敵すると一 らった 1901~)をした。 西大 ○有為 11856-1927) こうゆうい 康有為 『日本政変考」 「もし中国が維新を実行するならば、これを以て鏡とすることができる。 ……我々は、日本の人の改革の成功したものだけを収穫し、失敗は捨てて ゆく。 日本は困難な道を歩んだのであるが、我々は容易な道を歩むことが できる。日本は創始の仕事を行ったのであるが、我々はそれを模範として ゆけばよい。 足跡に従って描けば図面ができあがるのである。 更に中国の 人口と国土と産物はどれも日本の10倍もあり、これをもってすれば半分の 労力で倍もある効果が得られることにとどまらないであろう。」 (吉田寅「世界史資料 下 東京法令出版より) 3 清末の改革 改革洋運動 15500〜94 同治帝 45-495 ●清末期の動向 の ヒント [1894~95 1895-98 1098 [1900~01 1901-08 [1911~12] 1896~98) 新政 (1901~08) 光帝 西太后世町 変法運動 日清戦争 辛亥革命 光新政 義和団事件 2.3252 推進者 国李鴻章 左京菜 有為、啓 「中体西用」 「変法自強 政治は伝統 内容 を えず工業・軍事は 明治維新をモデルとした 立君主制をめざす戊戌 法(1898) を実施 主をめざす ・科挙の廃止(1905) ・大橋の発表 (1908) 国会話の公的 (1908) 日清戦争(1895) 戊戌の改変(保守派のクー効果が出る前に辛亥革命 限界が デタ)で失敗(1898) が発生(1911) 洋運動 の失敗 主 をめざす 夏法運動 の折 保守派の 再び立憲君 清朝の滅亡 北 主をめざ す

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世界史 高校生

穴埋め問題です 分かる方回答お願いします😭😭

"T 1800 10 (2) アヘン戦争 ①経緯 ・ [4 20 30 1790 40 ○清朝はアヘンを取り締まるため、 [ 1 ○イギリスが艦隊を派遣 →→ (2 [3 〕 の締結 (1842) ]の割譲、5港の開港 (上海、広州など)、 自由貿易の実施、賠償金 ※ロシアには沿海州割譲 (3) 太平天国と洋務運動 ① [8 ②戦後 ○領事裁判権、 協定関税 (関税自主権ナシ)、 一方的な [5 ○アメリカ、フランスとも同様の条約 ○イギリスがフランスとともに清と戦い、勝利 ○天津条約 (1858) ○ [7 1800 50 →対清外交に大きな変化がなく、 貿易も思うように伸びず・ (第2次アヘン戦争)〕 (1856) ③ [6 10 60 ) (1860) ・天津など11港開港、 外国公使の北京常駐、 キリスト教布教の自由、アヘン貿易の公 認 九龍半島の南部のイギリスへの割譲 20 70 30 (背景) 増税等の負担に対する民衆の不満 [9 O "10 ○曽国藩・李鴻章が組織した郷勇が外国軍と協力して鎮圧 [11 ] ( 欧米の技術を導入した近代化運動) [12 ]の理念 (技術は欧米より、政治体制 ・ 思想は中国伝統のまま) 総理各国事務衙門の設置 (外交・技術導入担当) . 十分な効果上がらず (4) 日本への通商の要求と対応 18世紀末 1792 1804 80 〕 (キリスト教的宗教結社) の反乱 ( 1851~64) 40 90 1900 [] が広西省で挙兵し太平天国を樹立 (1851) 南京占領(1853) (清朝打倒をめざすスローガン) 50 〕を広州に派遣→アヘンの没収・処分 〕 (1840) 60 天保の [14 ※国内で尊王攘夷論の高まり 70 歴史総合14-① 教p59~60 80 ロシアが毛皮獲得などのために蝦夷地周辺に進出 ラクスマン(ロシア) が根室に来航・ 通商要求 レザノフ(ロシア) が長崎に来航・ ・・・通商要求 ・幕府は拒否→ ロシアは樺太択捉島を襲撃 1820年代~ アメリカの捕鯨船が日本近海で活動、 水・食料を要求 1825 幕府による [13 1842 ] ( 幕府の方針転換) 90 太平洋岸に到達したアメリカは、 中国への往復の途中にある日本に、 石炭・水の補給を認めさせようとして・... 教p61~62 背景にあったのは

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世界史 高校生

ここの読み解きが分かりません!解説お願いします!

資料から読み解く 諸子百家の思想 文献 「孟子」浩子章句上 ( 前4世紀頃) 隠の心[他者の苦難を放置できない同情心]、 しゅう 人、皆えれ有り。 羞悪の心 [悪を恥じる心]、 人、 きょうけい 皆され有り。 恭敬の心 [尊敬の念]、 人、 皆之 ぜひ れ有り。 是非の心[善悪を見分ける心]、人、 皆之れ有り。 側隠の心は仁なり。 羞悪の心は 義なり。 恭敬の心は礼なり、 是非の心は智な り。仁・義・礼・智は、外由り我をする [磨 き上げられる] に非ざるなり。 我、これを固有 するなり。 ろうし 文献3 『老子』 下篇 (前4~前3世紀) 学を為せば、日に益す (日々知が増す)。 道を 為せば日に損す(知欲は日々損せられる)。 之 れを損して又たこれを損し(損に損を重ね) て為すこと無き(無為)に至る。 為すこと無く して、為さずということ無し。 故に天下を取 るには、常に事無きを以てす(無為をもってす る)。 其の事有るに及びては(人為をもって有 意であると) 以て天下を取るに足りず。 *文献の出典はいずれも歴史学研 究会編 「世界史史料3』 岩波書店 文献② 「荀子」 性悪篇(前3世紀) いつわり しつ 人の性は悪なり。 その善なる者は偽[後天 的につくられたもの] なり。 今、 人の性、 生 まれて利を好むこと有り。 是れに順う。 に争奪生じて辞譲 [互いに譲る] 亡ぶ。 生ま れて疾悪[憎む心] 有り。 是れに順う。故に 残賊 [傷つけ合う] 生じて忠信ぶ。・・・・・故 に必ず将に師法の化 [教師によって教化さ れ]、礼義の道有りて、然る後に辞譲に出で、 文理に合して [道徳や秩序にかない] 治に 帰せんとす [世の中は平和に治まる] 。 かんび にへい 文献 4 『韓非子』二柄(前3世紀) 明主の導りて其の臣の制する所の者は二柄 のみ [賢明な君主が臣下を制御する拠り所は 二つの権力だけである]。 二柄とは、刑・徳 なり。 何をか刑・ 徳と言う。 甘く、 「殺戮を きつりく ほうび これ刑と謂い、 慶賞 [褒美を与えること] を これ徳と謂う」、と。 人臣為る者は、罰を ちゅうばつ れて慶賞を利 [喜ぶ] とす。 故に人主[君 [主]、 自らその刑徳を用いば、 則ち群臣其の 威を畏れて其の利に帰す。 読み解き 1各文献は、それぞれの思想家のどのような概念に関係するものだろう。 2 諸子百家が登場した時代背景は何だろう。 儒を的 0

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