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世界史 高校生

世界史出来なさすぎて困ってます💦空欄箇所を教えて頂きたいです…泣

秦によって始まった中央集権的な官僚支配体制を完成したのは漢である。前202 部を征服した。しかし厳しい政治と遠征による重税に民衆は苦しみ, 彼の死後に |た。武帝の時代には実質的に(') 制に移行し, 中央集権体制が確立された。彼 は積極的な外交をすすめ, 北方の匂奴討伐など。四方に遠征軍をおくり領土を拡大 )制を全国に実施し, また。貨幣·度量衡を統一し, 思想文化の面で 30 秦·漢 )を都に,中国ではじめての統一国家を形成した。 秦王政 専制政治による中央集権国家の基礎をつくった。 成功し(' )と称し, は(? も( )を修築して何奴の侵入に対抗し,南は華南 ベトナム北 代以来の( 各地で反乱がおこり, 前206年に秦は滅んだ。 )を都として中国を統一したが,首都を中心に 年に漢の高祖は(6 統治制度を( めたため諸侯は反発し, 前154年には (° )制という。しかしその後諸侯の権力を削減する政策を進 )が起こった。この乱後即位し した。さらに西方の(° )と同盟して匂奴を挟撃しようと (10 を西域に派遣し, 同盟は成功しなかったが東西交通をさかんにする契機となっ た、一方国内では, 各地の特産物を徴収し不足地に転売して物価の調整を行う )や、物価低落時に買い込んだ物資を物価高騰時に売り出して物価を )を実施した。しかし武帝が死ぬと実権は皇帝から側近に 安定させる(12 移り(13 )や外戚が横暴をきわめ, また地方では広大な土地を所有し勢力 )が実権をにぎり,こうした情勢の中で漢は滅亡した。 )は,周の政治を理想として社会の実情を無視 大規模な農民反乱の混乱の中で新は滅んだ。 を伸ばした(4 漢を奪い新を建てた(15 したため(14 )の反発をまねき, 漢の一族にあたる劉秀は漢を復興して(16 年間は国内も安定し1世紀の後半には全盛期を迎えた。後漢は (17 域都護として派遣し西域50余国を支配下におき, また彼の部下の (18 を大秦国へ派遣するなど西域経営にも力を入れた。 2世紀に入ると政権争いが激し )を都と定めた。この後80 )を西 くなり,地方でも (14 張角が率いる(19 )が勢力を伸ばしていた。やがて宗教結社太平道の指導者 )が勃発すると国内は混乱し, 220年に後漢は滅んだ。

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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現代文 高校生

人間は「必然」「偶然」について、ポストモダニズム・現代科学の段階でどのようにとらえているか。 という問題を教えて頂きたいです。 よろしくお願いいたします。

十七世紀、ニュートンの物理学によって確立された近代科学は、世界観、宇宙観に大き |な転換をもたらした。 ニュートンは、力学の三つの基本法則と「万有引力の法則」によって、宇宙に存在する |すべての物体の運動を厳密に記述することに成功した。この宇宙に起こるすべての現象は |すべてこのような基本法則によって記述することができ、そうしてそのような基本法則が |不変である限り、現在の状態を厳密に観測すれば、いくらでも過去の状態をさかのぼって |知ることができ、また未来も正確に予測することができると考えられた。 ニュートンの宇宙では、すべては厳密に数学的に記述される基本法則によって、無限の |過去から無限の未来まで決定されており、それには「偶然」のようなものが入る余地はま ったくない。すべては必然である。 り盤N(o) am 二十世紀末にかけて出現した「ポストモダニズム」は、科学的必然性によって支配され |る世界を「脱構」しようとしている。しかし、「客観的必然性」の専制に対する反逆が |主観性の一方的な強調や、合理性そのものの否定、神秘主義や宿命論への逃避に通じてし |まうのでは、近代合理主義や近代科学の成果をすべて否定してしまうことになる。「偶然」 の問題をどう扱うかは、そこで一つの重要なポイントとなるはずである。 現代科学の示す宇宙像は、ニュートン流の機械的な必然性に貫かれたものではない。(必 |然と偶然が本質的に相互に絡み合ったダイナミックな世界である。それは本質的に予測不 可能な、したがって新しいものが生まれ、またあるものは永遠に消滅する世界である。 大は宇宙全体から、地球上の生物界、そして人間の作る社会の歴史まで、すべてそのよ |うなダイナミックな世界なのである。そうしてその中で、偶然は必然に対する邪魔物では S なく、世界を作り出す本質的な要素である。 偶然は一人一人の人間にとっても未知の未来を作り出す。それば「暗黒の未来」ではな 「魅惑に満ちた驚異の未来」であると期待してもよいのである。 偶然は多様であり、その多様なあり方をどのように理解し、それとどのように取り組む かが二十一世紀の大きな課題である。

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生物 高校生

分かる方教えてください。 5 密度管理と木材の形質です。2枚目の写真の語群から選ぶ形式です。 お願いします。

5.密度管理と木材の形質 木材の輸入自由化を契機として林業が衰退の道をたどる以前は日本各地に独自の林業が発達し、利 用目的にかなった形質の木材を生産するための密度管理体系が確立されていた。例えば人口が密集し、 建築用の(59)の需要の高かった東京近郊で発達した(60)林業では、植栽密度を(61)本/ha と多めにすると同時に、弱度の間伐によって高密度を維持しながら管理し、(62)年という短伐期で収穫 を繰り返していた。 これと対照的なのが造船用材生産に特化した鉄肥林業である。ここでは植栽密度を(6 3)本/ha 程度に抑えて単木の生長を促すと同時に、60 年以上という長伐期で充分太くなった木を収穫 していた。このような管理の違いはプリント@の多くの図に示したように両林業地で生産される木材の形 質に大きな違いをもたらしていた。例えば、形状比は(60) >低肥であるが、これは(60)では幹の 形が(64)で(59)に適しているのに対し、低肥では(65)であることを示す。また、年輪密度が (60)>妖肥であることは、 低密度管理の低肥において、 相対的に直径生長が速く、 その結果、 材の(6 6)が小さくなり、造船用に適した形質となっていることを示す。

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現代文 高校生

至急です! お願いします!! この問題が分かる方、分かるものだけで大丈夫なので教えてください!

41 ステップ2 随想 ステップ2 40 17 随想 40 25 速読 目標時間 6分 15分 本文 /50 *要約 /10 40 ステップ2 読解)作家にとっての「故郷」とは 七標 おくや ひかる 己を放り込む虚構 課題)筆者の観点をおさえて読み進める 問解 人が生まれ育った場所を故郷と呼ぶのなら、庄内は必ずしもぼくの故郷とは言えないだろう。生まれたのはた (要旨をつかむために 第理解を深めよう しかに山形県ではあるけれど、一年も経たぬうちに両親ともども東京に移ってしまったからである。とはいえ母 s 要約のための確認 【各1点】 の実家である、広々とした水田に点在する集落の家には、祖母と曾祖母が残って、毎年夏には必ず帰省して庄内一 ○細盟 平野の穏やかな風光のなかに長い時間を過ごした。 庄内…必ずしも故郷とは言えない 子どもにとって夏休みはそれだけでもう心弾む出来事であるが、ぼくにはさらに田舎での数週間という贈り物 5 がきっかけ (地一) があったわけである。すばやく身を翻し水底の泥に隠れるドジョウ、草いきれのなか息を殺して浮標を見つめた S- 用水路での魚釣り、蚊帳に置かれてあわく明滅する蛍、サエギるもののない広い夜空に横たわる銀河、集落のは 庄内…「故郷」として考え始める 0筆者の気づき(認識) がっさん ずれから繰り返し眺めた月山の姿||。これら子ども時分の貴重な記憶の数々は、一昨年に書いた「三つ目の銃」 「故郷」とはひとつの =D選びとられるもの 0筆者の所感·心境 作家である「ぼく」ー という作品となって一部結晶したのであるが、要するに大人になるまでのぼくにとっては、庄内はただ心楽しく エキサイティングな冒険の場所にすぎなかった。 故郷という言葉とともに山形の家のことを考え始めたのは、三十歳に近くなってから、小説を書き始めたころ を虚構に放り のことである。 込む ひとつのきっかけは父の死である。葬式が終わり、田んぼの真ん中の墓地で、白木の箱から父の骨灰を墓の底 →庄内 にばらばらとまいたとき、かつってない不思議に甘美な気分にぽくは捉えられた。それはどうゃら自分もいずれ死 を与え続けてくれる ねばこうなるのだとの思いであるらしく、そう思って周囲を見回してみれば、五月の水田は湖沼のように陽光を 5 ちょうかいさん」 りょうせん ひばり (通2 まとめてみよう 要約に向けて 所感を四十字以内で書こう。【6点] 映して輝き、月山と鳥海山が蒼くくっきりとした稜線を鮮やかにして墓地を遠くから見つめている。雲雀のさえ ずりが空の高いところできこえた。 自分の死に場所にここは悪くない。そのような声が、「故郷」という言葉とともに、初夏の平野をぼんやりと眺 めるぼくの心に、静かに立ちのぼってきたのである。 「故郷」とは言うまでもなく近代に発明されたひとつの虚構である。都会での生活スタイルが確立されるにつれ 2 生じてきた、だれとも連帯せずに浮遊している人の孤独感、あるいは根を断たれているとの不安感が、温かく己 を包み込んでくれる母胎のごときものとして、己の魂が穏やかに回帰すべき場所として、遠い憧れの地境として、 「故郷」のイメージを文学的に創造した。故郷の山河といった場合、山や河自体は当然昔からそこにあったはずだ けれど、それらが懐かしい風景として思い描かれるにいたったのは、明治以降の文学がそのように描いてきたか らである。 (出2) (型の) たとえば柳田国男の「常民」概念をここであげるなら、それが現実に生きてある人々を具体的にさすのではなく、 失われた何かを回復せんとする柳田のロマン派的文学の心情が作り出した虚構であることは、数多くの批評家が 指摘するとおりである。「常民」とは都会にある者の眼に映った、「故郷」に棲む人間の幻像である。 一方では、少なくとも近世以来、西欧的な都市団体をもたなかったわが国では、都会の生活者といえども地縁 血縁のしがらみからは逃れがたく、そうしたしがらみの象徴としての意味をもまた「故郷」は担うことになった。0 (地4) かくして故郷は両義的であり、だからこそ遠くにありて想うものなのである。 おも 虚構である「故郷」はつまり選びとられるものである。選んだおぼえなどないという人にしても、無意識のうち にそうしているのであり、人生の節目のあるとき、ここがやはり私の故郷なのだと、感慨にとらえられつつ風景 に眼をやった記憶がだれにも必ずあるはずである。 (注5)なか 虚構をこととする作家であるなら、当然この選択にはジカク的である。作家は「故郷」を発見する。たとえば中5 く。 上健次にとっての紀州がそうである。むろん作家は故郷にアンジュウしたり、ただ感傷にひたるために故郷を選 ぶのではない。何らかのかたちで「私」を問題にせざるをえない近代小説の伝統のなかで、己自身をひとつの虚構 に放り込むことで、多様な物語を「私」の内部に導き入れようと作家は企むのである。 ひとりの作家であるぼくは、庄内を自分の「故郷」として選んだ。これから小説を書き進めていくなかで、ぼく の「故郷」は途切れることなく、創造の活力を与え続けてくれるだろう。 (注) 1草いきれ- 2柳田国男- 3常民||柳田国男らによる造語で、柳田の民俗学の対象となった、伝統文化を担う人々のこと。 4遠くにありて…|室生犀星(一八八九~一九六二)の詩をふまえた表現 5中上健次||紀州(現在の和歌山県)生まれの小説家。一九四六~一九九二 -夏、生い茂った草が日光に照りつけられて発する熱気。 -日本の民俗学の創始者。一八七五~一九六二 「近代」(明治以降)において、人 は身分制度や家の概念から自由に なり、地方から都市部へと人口が 流出しはじめた。こうした変化を 背景に、本文での「故郷」のほか、 家」から離れた「個人」といった概 念も生み出された。 むろ う さいせい (ガイド- 従来の観点とは異なる、本文における筆者の認識が端的に示されている一文に線を引こう→問三を攻略

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世界史 高校生

このプリントの答えを教えてください!

9中国の古典文明0 中国文明のはじまり 動 p.65~70 p.18~19 つぎの文の( )に適語を入れ,下線部O~Oについての問いに答えよ。 1 東アジアとは,今日の中国を中心とするユーラシア大陸の東部地域をいう。 前6000年頃までに, 黄 河流域では(1)などの雑穀を中心として、また長江流域では( 2 )を中心として, 粗放な農耕が始 まり、前5千年紀には集落が発生した。黄河中流域では①素焼きの地に文様をほどこした土器を特色 とする文化がみられた。長江中· 下流域では, ②人工的な水田施設をともなう集落遺跡が発見されて いる。前3千年紀には地域間の交流がすすみ、 黄河下流域を中心に, 南は長江中·下流域, 北は遊東 半島にいたる(3)の分布がそれを示している。これは代表的な遺跡の名前から( 4 )文化と呼ばれ ている。交流にともなう集団相互の争いは地域の政治的統合をうながし,黄河中 下流域には城壁で かこまれた都市(邑)が発達し, やがてそれらを統合する③広域的な王朝が成立した。 現在確認されている最古の王朝は股(商)である。 20世紀初めのO段城の発掘により, 大規模な王墓」 と宮殿跡が発見された。段王朝は, ⑤王都である大邑(商)のもとに多くの邑が従属する形で成り立っ た国家であった。股王が直接統治する範囲は限られていたが、 6王は神の祭りをおこない。 また神意 を占って農事·戦争などおもな国事をすべて決定し、 強大な宗教的権威によって多数の邑を支配した。 祭紀用の酒器·食器として, 複雑な文様をもつ(5)がつくられ, さらに①占いの結果を記録するた めの文字が使われた。それが現在の漢字のもとになっている。 殿の支配領域の西部,(6)流域におこった周は,はじめ股に服属していたが, ®前11世紀頃殿を 滅ぼし、(7)に都をおいて華北地方を支配した。周王朝では, ①封土(領地)の分与による統治制度 がもちいられた。このような統治制度のもとでは, 同姓の父系親族集団のまとまりが重要であり, 親 族関係の秩序やそれに応じた祭記のしかたを定めた(8)がつくられた。 そうした分権的な統治体制 をひとつにまとめていたのが、天命をうけた( )と称する周王の権威であった。 問のあ この文化に特徴的な土器を何というか。 この文化の代表的な遺跡をひとつあげよ。 モンゴル高原 黄河 d) 問の 代表的な遺跡をひとつあげよ。 6 その位置を地図中~0から選べ。 問 伝説上の中国最初の王朝は何か。 問の 現在の地名を答えよ。 その位置を地図中~のから選べ。 日本海 東シナ海 太平洋 問6 このような国家組織を何というか。 問6 このような政治体制を何というか。 問の この文字を何というか。 問 儒家思想における王朝交替の理論は何か。 また そのうち武力での政権募奪を何というか。 問O これを何というか。 またのこれをつぎの語句をもちいて説明せよ。 【語句>封土 血縁] 5 4 3 2 11 9 8 7 6 の 6

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世界史 高校生

全部わかんないです

22 繁栄するアジア世界の変遷 次の地図「15世紀のアジア」「16世紀のアジア」について、下の問いに答えよ。 口問1. A DB Dc ID DE ロF 口問2 口問3.(1) 15世紀 |16世紀 口(2) 問1 地図中A~Fの国名·王朝名を答えよ。 口間4.(1) 間2 地図中Bについて,この王朝の首都であるaの都市名を答えよ。 D(2) 問3 地図中Cについて、 D(3) 口間5.(1) (1) 1533年に即位し中央集権化を進め,「雷帝」と言われた人物は誰か。 (2) この人物が正式に使用した,皇帝を表す称号を何というか。 D12) 間4 地図中Dについて、 D(3) (1) 1453年にビザンツ帝国を滅ぼし首都とされた都市b(コンスタンティ 口間6.(1). ノープル)の別称であり,現在の都市名は何か。 (2) 1520年にスルタンに即位し、最盛期となった写真 アの人物を答えよ。 (3) 彼がヨーロッパに侵攻し包囲した都市cを答えよ。 ア D(5) 問5 地図中Eについて、 (1) この王朝の国教であるイスラームの宗派は何か。 (2) 1587年に即位し,最盛期となった王は誰か。 (3) 1597年に遷都され,「世界の半分」と言われるほどの繁栄を誇ったdの都 市名を答えよ。 問6 地図中Fについて、 (1) この国の繁栄を確立した第3代皇帝は誰か。 (2) 彼がイスラーム·ヒンドゥー両教徒イ の融和を図り廃止したものは何か。 (3) 第5代皇帝シャー=ジャハーンが建て た,インド=イスラーム建築の代表であ る写真イを何というか。 (4) この国の領土を最大にした第6代皇 帝は誰か。 (5) 地図中Eの国とも共通するこの国の公用語は何か。

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