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地理 高校生

進研模試の過去問です。4が答えだったんですが、なぜそうなるのかわからないので教えてください。 私は1だと思いました 人口増加しているところと1の図の色が濃いところが一致しているからです

問5 カズミさんは,地理の授業のなかで GIS (地理情報システム) を利用すれば, データ 資料 1 地図として可視化できることを学んだ。 そこで, 「奈良県の人口の実態を知る!」を テーマに,公開されているデータをもとに GIS で作成した主題図を取り入れた資料1 のポスターを作成した。 資料1中の 【仮説】 を検証するために,人口増加率を示した主 題図のほかにカズミさんが作成した図Cに該当する主題図として最も適当なものを、 【考察】を参考にして、後の図11中の1~4のうちから一つ選び、番号で答えよ。 奈良県の人口の実態を知る! 【目的】人口に影響を与えるものの一つに鉄道網の発達があるが,鉄道網がどれだけ地域 人口に影響を与えるのかを知る。 【仮説】 鉄道網が発達することで, 沿線の人口が増加する。 【方法】 公開されているデータをもとにGISソフトを使って主題図を作成し、人口と鉄道 網に関連性があるかを検証する。 【検証】 2 奈良 N 120 (%) +20 0 <-40 JR線(新幹線を除く) ・JR線以外 人口増加率 (1980年~2015年) 図 C 【考察】奈良県では鉄道網が発達している市町村において人口増加率が高い。また,人口 増加率が高い市町村に居住している人のなかには,鉄道網を利用して居住地外へ と通勤・通学をしている人が見受けられる。このことから,人口増加率が高い市 町村は、大阪との鉄道による結びつきで,大阪のベッドタウンとなっているので はないかと考えられる。 【課題】人口増加率の高い市町村を大阪のベッドタウンと結論づけていいのか。 京都市や 神戸市などへの通勤・通学者がどれだけいるかを詳しく調査し、 奈良県と京都市 や神戸市とのつながりと鉄道網の発達の広がりについて調査する必要がある。 -102-

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日本史 高校生

9番がわかりません

大戦景気 教 p.294~ (1):第一次世界大戦による好景気→日露戦争後の不況 財政難を解決 1) 連合国(英・仏・露など)への軍需品 食料品などの輸出急増 →現地生産を目指し、中国の上海などへ紡績工場が進出 = ( 3 ) 2) 欧米からの輸出が後退したアジア市場へ ( 2 ) の輸出拡大 ほうせき コ) 大戦ブームによる好景気に沸くアメリカに ( 4 ) 輸出が急拡大 ) 造船・海運業: 世界的な船舶不足により空前の活況 a 日本は世界第3位の海運国に (保有船舶の総トン数) b 造船 海運ブームに乗じ巨額の利益を得た( 5 )の誕生 やはた ≡) 鉄鋼需要の急増→八幡製鉄所の拡張、 満鉄の( 6 ) 製鉄所の設立 (1918) ) 化学工業の勃興→ ( 7 )からの輸入途絶で薬品 ・ 染料・ 肥料など国産化へ 一) 電力業:( 8 ) 東京間の長距離送電に成功 (1915) →工業原動力が蒸気力から電力へ転換、電灯の農村部への普及 大戦景気の影響 )輸出の増大により、貿易収支は大幅な ( 9 )に転じる さい む | 財政危機からの脱却: 長年の債務国から( 10 )に転換 各種工業の躍進で、 工業生産額が ( 11 ) 生産額を上回る ] 工場労働者数→大戦前の1.5倍=150万人余に急増 (とくに男性労働者の増加) *ただし労働人口全体では、依然として工業人口は農業人口の半数以下 好景気の光と影 1大戦景気 2 織物 3 左事坊 在華坊 4 生系 5 船成金 6 八幡 ドイツ 3 猪苗代 8 9 10 債権国 11 農業生産額 成金 ■ 急激な富裕者= ( 12 ) 誕生の一方、物価高騰で多くの民衆が生活困窮 こうとう 12 億円 第一次 25 世界大戦 輸入 ■ 農村から都市部への顕著な人口流出、 農産物と工業製品の価格差 の拡大 探究コーナー 問右のグラフは、大正期から昭和初期の日本の貿易額の推移 20 輸出 と、物価・賃金の変化を示したものである。 この2つグラフを もとに、第一次世界大戦およびそれ以後の日本経済や労働者 15 10 10 5 0 1912 14 16 18 20 22 日本の貿易額の推 第一次 賃金 1300 世界大戦 18年

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日本史 高校生

写真の内容が、何度読んでも全然意味がとれないです。どなたか短く内容をまとめてくれないでしょうか。

になった。 10世紀後半には、任地に土着した国司の子孫たちゃ 荘園の発達 こくが 地方豪族の中に、国衙から臨時雑役などを免除され かいはつりょうしゅ て一定の領域を開発する者が現れ、11世紀に彼らは開発領主と呼ば ○れるようになった。 かんしょう 開発領主の中には、国衙からの干渉を免れるために、所領を含む きしん 広大な土地を貴族や大寺社に寄進し、その権威を背景に政府から官物 ふ ゆ かんしょう ふしょう や臨時雑役の免除 (不輸)を認めてもらう荘園 (官省符荘 6 ) にして、 あずかりどころ げし しょうかん みずからは預所や下司などの荘官となる者も現れた。 寄進を受け せっかんけ た荘園の領主は領家と呼ばれ、この荘園がさらに摂関家や天皇家な ほんけ どに重ねて寄進された時、上級の領主は本家と呼ばれた。 こうして できた荘園を寄進地系荘園と呼ぶ。 やがて、 荘園内での開発が進展するにともない、 不輪の範囲や対象 をめぐる荘園側と国衙との対立が激しくなると、 荘園領主の権威を利 けんでんし ふにゅう ○用して、 検田使など国衙の使者の立入りを認めない不入の特権を しょうえん る荘園も多くなっていった。 受領は荘園を整理しようとしたが効

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