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化学 高校生

2~4を教えてほしいです

目的 食酢に含まれている酢酸の濃度を、水酸化ナトリウム水溶液を使って求める。 1. 2. 薬品 * 0.10mol/L Na0H *フェノールフタレイン溶液 食酢を10倍に薄めたもの 3. 器具 * 三角フラスコ * ビュレット * ホールピペット * メスフラスコ 安全ピペッター *ろうと *ビュレット台· ろ紙 4. 方法 実験操作 安全ビベッターの使い方 を押しながら球部 を押し潰し、 球部の 空気を抜く。 ビーカーから、食酢を10倍に薄めた(=D濃度を1/10 にした)水溶液を安全ピペッターを付けたホール ピペットで 10mL 量り取り、三角フラスコに移す。 そしてそこにフェノールフタレイン溶液を数滴加 19. 2を押して標線より やや上まで濃体を吸 い上げる。 また、 先端 は液体の中に! える。 木切の元いら他③) 台に設置されたビュレットに漏斗を使ってメスフ ラスコに入っている 0.10mol/L の水酸化ナトリウム水溶液を加える。 一番上の目盛りのあ る部分より数センチ上まで入れたのち、下部の活栓(コック)を勢いよく開き、 下のガラス 部分に空気が残らないようにする。 3を押しながらメニスカスの下端を続に 合わせる。この際、 ビペットは垂直に立て ておく。また、先端は液体から出しておく。3 2) 3 ビュレットの目盛りを読み、プリントに記載する。 ②の三角フラ スコの下にろ紙を引き、 滴下を始める。軽く三角フラスコを振り ながらかき混ぜるとよい。 フェノールフタレインの赤色が消えに くくなったらゆっくりと滴下し、かき混ぜても溶液が薄い赤色 (桜の花びらのような色)から変わらなくなったときが終点(中和 が終わった点)なので、 ビュレットの目盛りを読み、プリントに 最小目盛りの/10まで読む。 27 27.76 28 液の湾部の接線にあたる部分を 記載する。 ビュレット この差が加えた NaOH水倉液 の体積 D 2~@を繰り返し、 食酢を中和するのに必要な 0.10mol/L の水酸化ナトリウム水溶液の体積の平均を求 める。

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化学 高校生

教えてください

161.酸化、還元の定義 酸化と還元の定義について、次の表中の空欄をうめよ。 問題 164-168 日、酸化調元原 95 原子が酸化され 基本間題 水南 電子 酸化数 酸化された 愛け取った 2H,0+S 失った 還元された 会減少 69.酸化、還元の定義 酸素原子、水素原子の授受に着目して、次の下線をつけた原子 が酸化されているものをすべて選べ。 (ア) CuO+H →Cu+H,0 (ウ) Ha+Cl → 2HCI れた (イ) 2H,S+SO, 3S+2H,0 の 170-171 (エ) 2Mg+0 一 2MgO 化 163 酸化数次の下線をつけた原子の酸化数を求めよ。 (3) HCIO。 (7)K,Cr,O, (8) NH* (13) Na,CO (1) HCI (2) HCIO (4) HCIO。 (5) HCIO。 (6)HNO。 (11) HO。 TNE (9) CrO- (14) CaSO。 (10) MnO 001 t。 (12) NaH 164. 酸化数と酸化 還元 次の化学反応式中の下線部の原子それぞれについて、 酸化数 の変化から酸化されたか、 還元されたかを答えよ。 (1) CuO+H。 (3) So+2H,S (5) MnO+4HCI Cu+H,O 2H,0+3S MnCla+2H,O+Clg D (2) Fe+H,SO, → FeSO+Hz (4) 2KI+H:O;+H.SO, →K,sO、+la+2H,0 O こり、② がって、 165. 水溶液の色 次の文中の( )に、適当な語旬を入れよ。 過マンガン酸カリウム水溶液の色は(ア )で、 ニクロム酸カリウ ム水溶液の色は( イ)である。 シュウ酸水溶液の色は( ウ )で、 過マンガン 過酸化水素水は無色である。 硫酸酸性のシュウ酸水溶液を試験管に入 れ、これを温めながら過マンガン酸カリウム水溶液を少量ずつ加えて いくと、反応が完了する前後で、 試験管の水溶液の色が(エ)から (オ )に変化する。 酸カリウム 水溶液 コ74 硫酸酸性 シュウ酸 水溶液 に 166.酸化還元反応 次の反応のうちから, 酸化還元反応を2つ選び、 酸化剤および還元 剤を化学式で示せ。 0 NaCI+AgN03 Cu+2HSO』 3 MnO+4HCI CaO+2HCI AgCI+NANO」 CuSO,+2H,0+S0 MnCla+2H,0+Clh CaCle+H,0 ト

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化学 高校生

化学の溶解の範囲の浸透圧の問題です。 ⑵がなぜΠV一定なのかわかりません。 どなたか教えてください。

ーの法則が成 Imolであり、気体の二酸化炭素の量は、気体の状態方程式を用 d、 いると(イ)molとなるから、Pは(ゥ )Paと求められる。 わけみやめ 200 ア 22:4×0.05 2 040 160 半透膜を固定した,断面が2cm*のU字管に, 純 水 100mL と1gのデンプンが溶けている水溶液 100mL を,図Aのように, それぞれ左側と右側に 入れて,27℃で長時間放置したところ,図Bのよ うに波面差10cm のところで平衡状態となった。 た だし、純水とデンプン水溶液の密度は1.0g/mL, 1g重/cm?= 98Pa とする。 (1) デンプンの分子量はいくらか。 (2) 図Bの状態から左右の水面を同じ高さに揃えるためには,右側に何gのおもりを のせる必要があるか。 次の文章を読み, 密度:水銀は 13.6g 圧力:1.0×10®Pa= 右図のようにU学 した。この半透膜は 分子物質は通過させ 容器Aにはあるう 溶液を,容器Bには 静置したところ,没 高さに27.2cm の差 アンプン 水溶徹 紀水 A 10cm 100 mL デンプン 半透胞 静置後の容器A側 ファトホッ7の T = CxA、: / → 90aに相当 漫透丘に 相当 液価差 10com 断面後 2.0cm 室度10g/cn よソ 10×2.0.(o %え。 20g 10cm 水銀圧力 との. Tl a 10×/0° Pa 5cm 204 2-0c * (o / → ?o Rに相当…の また水は 5cm分移動したので、危側溶流復剣)水の量は 5cmx 2cm/0cn →10mLhehy、 10mLとなる。 よ、て デンプン溶流濃度は、 13 ml he O.2 よツ Kox27.2 100 13.6x 76 7/M (600 0,2 り、T= CRT に代となと 980- x8.3x (0°× 300 M= 2、309x(o*=2、3×10% IM 水が移動お前の濃時の浸造圧を求われば良い。 TTV=-定よ)。 かり、 9P0x !10 - で メ 7000 メ ニ 7o00 TT'= 1078R Wre] 2.0 cm 196:98h Q :/078a . W-22g 29 o ロ 2021/10/16 Q国 Pツ v ● 33°C 15:51 く:ジ る >

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英語 高校生

SDGSの英語長文問題です。 答えが配られなくて困っています、、 どなたか問題を解いていただきたいです

Before World War II, Japanese Consul-General Chiune Sugihara was sent to Kaunas to open a consulate service. Kaunas was the temporary capital of Lithuania at the time Reading Refugees in Recent Years J次の英文は第2次世界大戦当時、ナチスに迫害されていた多くのユタヤ人を救った杉原干動。 ついて書かれたものです。英文を読んで、問いに答えなさい。 For Chiune Sugihara u入 boobi 30 signi follim . Ba wrot be o chos. and was strategically situated between Germany and the Soviet Union. After Hitler.。 invasion of Poland on September 1, 1939, a wave of Jewish refugees living in Poland streamed into Lithuania. They escaped from Poland without possessions or money. By 1940, most of Western Europe had been conquered by the Nazis. Most free countries barred the immigration of Jewish refugees from Poland or anywhere in Nazi- occupied Europe. Germany and Soviets were approaching Lithuania rapidly. In July 1940, the Soviet authorities instructed all foreign embassies day to g 35 Lith the Ko all left immediately, but Sugihara managed to obtain permission to extend his Kaunas. Almost a 40 the STTOS stay. in 0quion as taqe On a summer morning in late July 1940, Consul Sugihara and his family awakened to a crowd of Polish-Jewish refugees gathered outside the consulate. Desperate to flee the q ynem CH approaching Nazis and Soviets, the refugees knew that their only path lay to the east. If Consul Sugihara them Japanese transit visas, they could race to possible re freedom. Sugihara was moved by their plight, but he did not have the authority to issue hundreds of visas without permission from the Foreign Ministry in Tokyo. Sugihara wired his government three times for permission to issue visas to the Jewish refugees. Three times he was denied. 45 u d 1 MOLIG- KOinE After repeatedly receiving negative responses from Tokyo, the Consul had a dificult decision to make. He was a man who was brought up in the strict and traditional : discipline of the Japanese. He was a career diplomat, who suddenly had to make a very difficult choice. On the one hand, he was bound by the traditional obedience he c all his life. On the other hand, he thought that he had to help those who were in need. He knew that if he defied the orders of his superiors, he might be fired and disgraced, and would probably never work for the Japanese government again. This # would result in extreme financial hardship for his family in the future. Sugihara even feared for the lives of himself, his wife and children, but in the end he just followed his conscience. The visas would be signed. 72

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