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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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地理 高校生

この問題の答えが分からないので教えてください🙇‍♀️ お願いします🙇‍♂️🙇‍♂️

並奈さんは, 依町時代末~江戸時代初めのおもなできごとを調べ。右の略年表を作 しました。 年代 (1)(基本」略年表中Aの[] は, 種 おがしま 学島に漂着したポルトガル人によって おもなできごと 1543 A( ]が日本に伝わる 伝えられました。[ る語句を答えなさい。 より 1573| B 織田信長が電町墓所をほろぼす をよとんりまし 1590 C 意臣秀吉が全国を統一する )にあてはま リ ッと。 1615 D 最初の武家諸法度が定められる 1639 E ポルトガル船の来航が禁止される (2) 略年表中Bの人物とかかわりが深いことがらとしてあてはまらないものを,次のアー エから1つ選び、記号で答えなさい。 あづちじょう ア 安土城の建設 ゥ 長篠の戦いでの勝利 ちくいち らくぎ イ楽市,楽座の政策 エ 朝鮮への出兵 (3)略年表中Cの人物は, 右の史料Iで表したような方 ながしの 史料I 法で、ある政策を行いました。 この政策によって,全 国の土地を( した。 を使って書きなさい。 )ことができるようにしま )にあてはまる内容を,「基準」の語句 ※江戸時代のようす ももやま (4) 略年表中BやCの人物が活躍した安土統山時代の文化について述べベた 文を,次のア~エから1つ選び, 記号で答えなさい。 ;きん かんあみ ゼあみ う ア「新古今和歌集」が編集された。 そん りきう ウ 千利休がわび茶を完成させた。 イ 観阿弥と世阿弥が能を大成した。 はらさかく うきよぞうし I 井原西鶴が浮世草子を書いた。 (5) 略年表中CとDの間に起こったできごとを, 次のア~エから1つ選び。 記号で答えなさい。 ア参動交代の制度が整えられる ウ キリスト教が日本に伝わる さんきん しまばら あまくさ イ 島原·天草(の)一奨が起こる I 関ヶ原の戦いが起こる (6)右のメモ中ア~エは,略年表中Eの政策などがみられた鎮国の体制 せきがほち メ モ さこく ア 長崎 のもとで開かれていた4つの窓口を表しています。 つま イ 薩摩 基本 右の史料Iで示した人工の島は,長崎につくられ,オラン つしま ウ 対馬 ダ商館が移されました。この島を まつまえ I 松前 何といいますか。 2 琉球王国との貿易の窓口を,メモ中ア~エから1つ選び、 記号で答えなさい。 『う34う 史料I とうかいどう なかせんどう (7) 基本」江戸幕府は,東海道や中山道などの主要な街道を整 備しました。一 を何とい いますか。

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現代文 高校生

急ぎです!!!!ーー➀について筆者はその理由を,どのように説明していますか。の問いに、 中2段落の要約と指摘されたのですが、 中2段落とは「その秘密こそ〜」と「土に染み込まず〜」の部分でしょうか。 2枚目) これは「中2段落」と書いているんですよね、、?

あなたは、川の水がなぜなくならないか、考えたことがありますか。 水は上から下へ流れています。( A )、いつかなくなってもよさそ うなものなのに、なくならないのはなぜでしょうか。日本のような急」 斜面の国土では、雨は一日で海へ行ってしまってよいはずです。それ なのに、晴れた日でも流れているのはなぜでしょうか。 その秘密こそ、森林にありました。森林は、そのふところ深く雨を 受け入れると、少しずつ地下へ送り込み、やがて下流へはき出してく」 れました。地下水の流れは非常にゆっくりとしています。降った雨が 地下にしみ込み、再び地表にわき出てくるには、三百年も五百年もか かっているほどです。ですから、私たちは江戸時代の水も飲んでいま 4 土にしみ込まず、地表をすべりおちる水は、洪水です。一日で海へ 捨てられてしまう水ですね。 ゆっくりと、地下をくぐってきたわき水は、集まって谷川になり、 小さな川になり、やがて大きな流れになって、平野をうるおしてくれ ました。日本では、少しぐらい日照りが続いても水が絶えなかったの は、国土の七割を占める大森林のおかげでした。 もう一つ、不思議なことがありました。森林の土はなぜ、水に溶け てなくなってしまわないのでしょう。 私たちが、ベラングやコンクリートの道の上に、植木鉢の土をひっ くり返したりして放っておくと、いつのまにか土はなくなってしまい ます。(B )山の斜面には、いつも士がありますね。不思議です。 それもまた、森林のおかげでした。森林の木の根がしっかりと土を一 かかえて、斜面にはりつけていたのです。土ばかりではありません。 土の下にある岩石も、木の根は抱きかかえてくれました。

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日本史 高校生

この解答を教えてください🙇‍♀️よろしくお願いします!

時国 H十H サ 0 ナ 時回 3)次の姫路の地図をみて, 下記の設問に答えよ。 問1 姫路のような都市を何というか。 生野街道 問2 中曲輪には家臣団らの屋敷が配置された。 この居住地域を何というか。 問3 問2に居住する人々について述べた次の各 文の正誤を判断し, ○×の記号を解答欄に記せ。 (7) 支配身分として苗字 帯刀の特権をもった。 (イ) 戸主の権限が強く, 家督は長子が相続する ことを原則とした。 (ウ) 町の支配のために町年寄に選ばれるものも 本 いた。 問4 外曲輪の南側には商人や手工業者が居住し た。この居住地域を何というか。 問5 問4に居住する人々には多様な階層が存在した。 次の①~③の階層の名称を記せ。 の町屋敷をもち, 町の運営に参加した。 の宅地を借りて自分で家屋を建てて住んだ。 の商家に住み込んで働いた。 問6 問4に居住する人々について述べた次の各文の正誤を判断し, ○×の記号を解答欄に記せ。 (7)屋敷地にかけられる地子を免除される特権をもった。 (イ)それぞれの職種ごとに仲間 組合などとよばれる集団をつくった。 (ウ) 町は代表であるかわたを中心に, 町法にもとづいて運営された。 問7. 都市の商業について述べた次の文章の空欄(②~) に適する語旬を記せ。 都市を根拠地とする(② )は, 生産地の( ③ )から商品を受託し, これを都市部の(① )に手数料を とって卸売した。都市部の( ③ )は, 仕入れた商品を武家や(② ) 商人などに売った。 (③ )は, 購 人した商品を消費者に売る商人で, 常設の店舗, 路上の店, もち歩いて販売する零細な(④ )など, さまざまな形で商売を営んだ。

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古文 高校生

食はしむるにと言ふの動作主を教えて欲しいです🙇 あと祐庵と奴僕は同一人物ですか?

aル明(a) = 次の文章は、江戸時代に琵琶湖畔に住んでいた食通、北村祐庵についてのエピソードである。これを読み、後の問に答えよ。 (祐庵は北村氏,つね阪僕をして、湖中の水を汲ましめて、茶の水に用ふるに、 某 の所と令す。其の指す所にあらざるを汲 み来たれば、必ず又其の所を知ること神のごとく、終に欺くことを得ず。魚鳥の得る所を知るも、またがくのごとし。しかのみ ならず、因る人豆腐の串に貫きたる)俗に田楽といふ。食はしむるに~此の串の竹は遠く来たれるもの也、といふ。主も知ら 祐に食はさセえ ず、厨下にとひしに、浪花より物を荷ひ来たる竹をもて削りがり、といひしなどは、奇といふも余あり。又或る家にて、砕菜の 美を出せしに、此の薬は男のたたきし也、といひしかば、厨四にとふに然り。是はいかにして知り給ふや、と問ひしに、男のた たきしはあらし。因力能是にかなへり。必ず依にせさせ給へ、といひしとぞ。かかれば人に物を饗すること必ずつっつしめり 所がら湖中の鯉鮒の類を調ずるに、魚板数枚を用ゆ。はじめ 鱗 をはなつより、肉を切るにいたるまで、次を追ふて板を転ず な ー 3B 3A 注二 たたき な る。 LG あへ さこ。 かくせざれば、うっり香ありて Eへ、といふに、さらばいくかに、と契りて帰る。其の日閥人の至る時、其の門鮒数十を取り入るるを見るに、食につきて出した といへり。一日京師にて、茶事の因にあひたるに、名にしおふ源五郎鮒食はせ繁 6A る所、はつかにして みたまふ所の源五郎助の真なるものば、数十の内にて一二を得がたし、といへりとなん。 8人あやしみ 30 さリもあまた取り入れ給ふと見しに、是はいかに、といへば、国笑ひて、望 6B (『近世崎人伝』より) 注 大阪 た 注1 案の黄語 野菜の吸い物 京都

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