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英語 高校生

傍線Bの意味がわからないです、似ているものを嫌っていること以上に、その中に、自分自身を見出せることが嫌といことですか?

【②-5】[標準解答時間 15分] 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 漱石がロンドンの安下宿で「神経衰弱」になるまでに苦しんだのは、心細いほど金が なかったせいだけではない。自分がこれから、研究しようとしている「英文学」の存在 がきわめて頼りないものだったのだ。それは二一年間の留学期間で研究しなければならな い漱石自身のアイデンティティーをも脅かさずにはいない。自分がいっ さい何をして いるのかわからないというのは恐ろしいことだ。 やむなく漱石は、有名な作品、題名だけは知っているが、まだ読んでいない本を、こ の機会にとにかく手当たり次第、一冊でも余計に読破するという「検束なき読書法」で 読み進めていくことにした。だが、やがて一年後、読了した本は読んでない本と比較して、 ごくわずかな量にすぎなかった。漱石はこの事実に打ちのめされ、いわゆる「神経衰弱」 になるのである。 漱石のこの苦しみについて、英文学者であり作家でもある吉田健一が、たいへん「辛 辣なことを言っている。吉田健一によれば、まだ読んでいない本の数に悩まされるとい うのは、要するに一つの作品を読んで得られるものが少なく、つまり作品理解の程度が 10 27 5 別冊 実践編

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現代文 高校生

問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです

3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。

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現代文 高校生

リスク社会とは何か(大澤真幸)の問いで 再帰性が上昇するとなぜリスク社会がもたらさせるのか。「再帰性」と「リスク」がどのようなものかに触れながら130〜150字で説明せよ。 とあるのですがさっぱりわかりません、、 どなたか教えてください🙏🙇‍♀️

特定の経済政策は、経済学的な認識によって正当化されると考えてきた。あるいは、生 人と 死についての倫理的な決断は、医学的生理学的な知によって支持され得ると信じてき た。だが、リスク社会は、知と倫理的・政治的決定との間にある溝を、隠蔽し得ないも のとして露呈させざるを得ない。なぜか? 当たりと考えられてきた 科学に関して、長い間、当然のごとく自明視されてきたある想定が、 リスク社会では 成り立たないからだ。科学的な命題は、「真理」そのものではない。「真理の候補」、つま 仮説である。それゆえ、当然、科学者の間には、見解の相違やばらつきがある。だが、 我々は、十分な時間をかければ、すなわち知見の蓄積と科学者の間の十分な討論を経れ ば、見解の相違の幅は少しずつ小さくなり、一つの結論へと収束していく傾向があると 信じてきた。 収束していった見解が、いわゆる「通説」である。科学者共同体の見解が、 このように通説へと収束していくとき、我々は、その通説自体がいまだ真理ではな いにせよ真理へと漸近しているのではないかとの確信を持つことができる。そして、 このときには、有力な真理候補である通説と、政治的・倫理的な判断との間に、自然な 含意や推論の関係があると信ずることができたのである。だが、リスクに関しては、ご うしたことが成り立たない。 S 55 「科学に関して、長 い間、当然のごとく 自明視されてきたあ る想定」とは、どの ようなことか。 というのも、リスクをめぐる科学的な見解は、「通説」へと収束していかないいく しゅうえん 傾向すら見せないからである。たとえば、地球が本当に温暖化するのか、どの程度の期 間に何度くらい温暖化するのか、我々は通説を知らない。あるいは、人間の生殖系列の 遺伝子への操作が、大きな便益をもたらすのか、それとも「人間の終焉」にまで至る破 局に連なるのか、いかなる科学的な予想も確定的ではない。学者たちの時間をかけた討 論は、通説への収束の兆しを見せるどころか、全く逆である。時間をかけて討論をすれ ばするほど、見解はむしろ発散していくのだ。リスクをめぐる科学的な知の蓄積は、見 解の間の分散や悪隔を拡張していく傾向がある。このとき、人は、科学の展開が「真理」 への接近を意味しているとの幻想を、もはや、持つことができない。さらに、当然のこ とながら、こうした状況で下される政治的あるいは倫理的な決断が、科学的な知による 裏づけを持っているとの幻想も持つことができない。知から実践的な選択への移行は、 あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。 八たり ↑ 国以上の考察は、 リスク社会をもたらした究極の要因が何であるかを示唆している。リ スク社会論を唱える論者はウルリヒ・ベックやギデンズ、ルーマンらは、二つ の要因をあげるのが通例である。第一に、つまり近代社会が、自然を固定的なものと見 なさずに、自然を制御することを選んだことそして、よりいっそう重要なこととして、B 第二に、依拠すべき伝統が崩壊したこと これらの要因があげられてきた。要するに、 評論 リスク社会とは何か 40

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日本史 高校生

早稲田 2015 日本史 法学部 この選択問題の回答を教えてくださると嬉しいです よろしくお願いします😭😭😭😭

平城京と奈良時代の政治 2015 早大・法 次の文を読み、後の間に答えなさい。 710年、わずか16年で廃都された藤原京に代わり、唐 長安城の強い影響を受けた平城京が新たな都となった。 平城京に都が置かれた時代を奈良時代と呼ぶ。 遣唐使が もたらした唐の先進的な文物の流入や諸制度の導入、あ るいは新羅A との交流によって国際色豊かな都の 文化が花開くとともに、律令制度に基づく中央集権的な 国家体制が実現した時代である。以下では、平城京と奈 良時代の歴史を概観してみる。 人口10万人とも言われる平城京は、基盤目状の街区で 構成される条坊を持つ計画都市だった。 長年の発掘調査 によって確認された遺構, あるいは瓦・土器・木簡な ど様々な遺物の研究から、 平城京の様相が明らかになっ ている。都市空間は中央を南北に貫通する朱雀大路によ って左京と右京に分かれ、 中央北詰には宮城があった。 宮城には天皇の居住空間である内裏 国家的儀礼の場で あるB や政務の場である朝堂院が置かれた。 また、 二宮八省の中央官庁も宮城内に配置されていた。 宮城に 近い部分にあたる京内の北側には皇族や貴族 高位 の人が居住する面積の広い宅地があり、 南側には一般! 庶民の居住する小さく区切られた宅地が存在してい 内には巨大な寺院もを誇った。 都からは諸国へ向か う言道が敷かれ、中央と地方を結ぶ交通網が整備され た。 平城京遷都に尽力した藤原不比等は、 娘の宮子を文武 天皇の夫人とし、生まれた皇子が』 聖武天皇として即位 するなど藤原氏が天皇家の外戚となる基礎を築いた。 不 比等の四子も、政界の首班であった長屋王を謀略によっ て自殺に追い込み, 不比等の子の光明子を皇后に立てる など天皇家との結びつきを更に強めた。 その後、天然痘 によって藤原四子が相次いで死去すると、 光明皇后の 異父兄である橘諸兄が玄昉・ 吉備真備を顧問として政権 を掌握する。 しかし、Cの乱が起こると政権は動揺 し、740~744年の間, 聖武天皇は恭仁京, 難波京, 香 楽など遷都を繰り返した。 聖武天皇の娘である孝謙天皇の時代には、藤原仲麻呂 が台頭し、橘諸兄の子奈良麻呂を死に追い込んだ。 仲 麻呂は、舎人親王の子である淳仁天皇を擁立し、恵美押 勝の名を賜って太師(太政大臣)となった。 しかし、孝 太上天皇が道鏡を寵愛して淳仁天皇と対立すると, 仲麻 呂は道鏡排除のため兵をあげるが近江で敗死し、淳仁天 もされた。その後して再び即位した称徳天 皇が死去すると、天武の皇統は途切れ, 天智系の光仁天 皇が即位する。 光仁天皇は、道鏡をDに追放して 乱した政治を収拾し、財政再建をはかった。 そして、 光 ・仁天皇の皇子である桓武天皇は、天智系の新しい皇統の 基礎固めの一環として長岡京・平安京へと遷都を実施 し、平城京の時代は終わりを告げた。 (問) 1.空欄Aには、靺鞨族を中心に中国東北部に建国され た国名が入る。 日本とも交流があった,この国の名前 漢字2字で記入しなさい。 2.下線にある出土遺物の木簡に関連する次の記述の うち、誤っているものを1つ選びなさい。 あ、木とは文字を記した木札で、 古代においては紙 の文書と並ぶ一般的な情報伝達の手段だった。 木簡は都でのみ発見され、地方官衙では使用され なかった。 う、藤原宮から出土した木簡は,郡評論争決着の決め 手となった。 え 1961年の平城宮最初の木簡発見以来注目される ようになった。 お、平城京の長屋王邸からも発見され、王家の日常生 活や家政機関の様相が明らかになった。 3.空欄Bには、天皇が出御する朝政や即位大嘗祭・ 元日朝などの儀礼を行った建造物の名前が入る。 2010年に復原されたこの建物の名称を漢字3字で記 入しなさい。 4.下線bの皇族の宅地としては,左京三条二坊一・ 二・七・八の4坪という広大な面積を占める長屋王邸 が知られている。長屋王に関連する次の記述のうち, 誤っているものを1つ選びなさい。 あ. 藤原不比等の死後に左大臣となった。 い。妻は、草壁皇子の娘である吉備内親王である。 う. 祖父は、天武天皇である。 父は、壬申の乱で活躍した高市皇子である。 お. 仏教をあつく信仰し、法華寺を造営した。 5.下線cの古代の交通制度に関する次の記述のうち, 誤っているものを1つ選びなさい。 あ.官道には駅路と伝路があり、国家が管理した。 い。 駅路は東海・東山・北陸 山陰山陽南海・西 海の七道があった。 う. 平城京と国府を結ぶ駅路には、約16km ごとに駅 家が置かれた。 え、 駅家には、駅馬と駅子が配され、 駅長が統轄し た。 お伝路は大寺院間を結ぶ地方道だった。 6.下線dの聖武天皇の在位中 (724~749年) の出来事と して、誤っているものを1つ選びなさい。 あ 鑑真が東大寺に初めて戒壇を設けた。 い舎那仏の大仏造立を宣言した 「大仏造立の詔」 が出された。 う、貧窮者・孤児の救済施設である悲田院 病人への 薬治療施設である施薬院が設けられた。 え墾田の永久私有を認めた法令である「墾田永年私 財法」が発布された。 お、国ごとに国分寺・国分尼寺を設けさせる 「国分寺 建立の詔」 が出された。 7

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日本史 高校生

早稲田 2015年 法学部 日本史 過去問です 答えを教えていただけると嬉しいです😭😭

平城京と奈良時代の政治 2015 早大・法 天 次の文を読み、後の間に答えなさい。 710年、わずか16年で廃都された藤原京に代わり, 唐 長安城の強い影響を受けた平城京が新たな都となった。 平城京に都が置かれた時代を奈良時代と呼ぶ。 遣唐使が もたらした唐の先進的な文物の流入や諸制度の導入、あ るいは新羅Aとの交流によって国際色豊かな都の 文化が花開くとともに、律令制度に基づく中央集権的な 国家体制が実現した時代である。 以下では,平城京と 良時代の歴史を概観してみる。 人口10万人とも言われる平城京は、碁盤目状の街区で 構成される条坊を持つ計画都市だった。 長年の発掘調査 によって確認された遺構, あるいは 瓦・土器・木簡な ど様々な遺物の研究から, 平城京の様相が明らかになっ ている。 都市空間は中央を南北に貫通する朱雀大路によ って左京と右京に分かれ、 中央北詰には宮城があった。 宮城には天皇の居住空間である内 国家的儀礼の場で あるB や政務の場である朝堂院が置かれた。 また、 二宮八省の中央官庁も宮城内に配置されていた。 宮城に 近い部分にあたる京内の北側には 高位 族や貴族 の人が居住する面積の広い宅地があり、 南側には一般! 庶民の居住する小さく区切られた宅地が存在していた。 京内には巨大な寺院もを誇った。 都からは諸国へ向か う言道が敷かれ、中央と地方を結ぶ交通網が整備され た。 平城京遷都に尽力した藤原不比等は、 娘の宮子を文武 天皇の夫人とし、生まれた皇子が』聖武天皇として即位 するなど藤原氏が天皇家の外戚となる基礎を築いた。 不 比等の四子も、政界の首班であった長屋王を謀略によっ て自殺に追い込み, 不比等の子の光明子を皇后に立てる など天皇家との結びつきを更に強めた。 その後、天然痘 によって藤原四子が相次いで死去すると、 光明皇后の 異父兄である橘諸兄が玄昉・ 吉備真備を顧問として政権 を しかし,Cの乱が起こると政権は動揺 する。 し、740~744年の間、 聖武天皇は恭仁京, 難波京, 紫香 楽など遷都を繰り返した。 聖武天皇の娘である孝謙天皇の時代には、藤原仲麻呂 が台頭し、橘諸兄の子奈良麻呂を死に追い込んだ。 仲 麻呂は、舎人親王の子である淳仁天皇を擁立し, 恵美押 勝の名を賜って太師(太政大臣)となった。 しかし、孝謙 太上天皇が道鏡を寵愛して淳仁天皇と対立すると, 仲麻 呂は道鏡排除のため兵をあげるが近江敗死し、淳仁天 もされた。その後、重して再び即位した称徳天 皇が死去すると、天武の皇統は途切れ、天智系の光仁天 皇が即位する。 光仁天皇は、道鏡をDに追放して混 乱した政治を収拾し、財政再建をはかった。 そして、 光 ・仁天皇の皇子である桓武天皇は、天智系の新しい皇統の 基礎固めの一環として長岡京・平安京へと遷都を実施 し、平城京の時代は終わりを告げた。 (問) 1.空欄Aには、縞族を中心に中国東北部に建国され た国名が入る。日本とも交流があった,この国の名前 を漢字2字で記入しなさい。 2.下線aにある出土遺物の木簡に関連する次の記述の うち、誤っているものを1つ選びなさい。 あ、木筒とは文字を記した木札で, 古代においては紙 の文書と並ぶ一般的な情報伝達の手段だった。 い 水筒は都でのみ発見され、地方官衙では使用され なかった。 う、藤原宮から出土した木簡は,郡評論争決着の決め 手となった。 え、1961年の平城宮最初の木簡発見以来, 注目される ようになった。 お、平城京の長屋王邸からも発見され, 王家の日常生 活や家政機関の様相が明らかになった。 3.空欄Bには、天皇が出御する朝政や即位 大嘗祭・ 元日朝賀などの儀礼を行った建造物の名前が入る。 2010年に復原されたこの建物の名称を漢字3字で記 入しなさい。 4.下線bの皇族の宅地としては,左京三条二坊一・ 二・七人の4坪という広大な面積を占める長屋王邸 が知られている。長屋王に関連する次の記述のうち, 誤っているものを1つ選びなさい。 あ、藤原不比等の死後に左大臣となった。 い。妻は,草壁皇子の娘である吉備内親王である。 う. 祖父は、天武天皇である。 え、父は、壬申の乱で活躍した高市皇子である。 お仏教をあつく信仰し、法華寺を造営した。 5.下線cの古代の交通制度に関する次の記述のうち, 誤っているものを1つ選びなさい。 あ、官道には駅路と伝路があり、国家が管理した。 い。 駅路は東海・東山・北陸 山陰・山陽 南海 西 海の七道があった。 う. 平城京と国府を結ぶ路には、約16km ごとに駅 家が置かれた。 i え、 駅家には、駅馬と駅子が配され、 駅長が統轄し た。 お伝路は大寺院間を結ぶ地方道だった。 6.下線dの聖武天皇の在位中 (724~749年) の出来事と して、誤っているものを1つ選びなさい。 あ、 鑑真が東大寺に初めて戒壇を設けた。 い舎那仏の大仏造立を宣言した「大仏造立の詔」 が出された。 " う貧窮者孤児の救済施設である悲田院 病人への 薬治療施設である施薬院が設けられた。 え、堅田の永久私有を認めた法令である「墾田永年私 財法」 が発布された。 お、国ごとに国分寺・国分尼寺を設けさせる 国分寺 建立の詔」 が出された。 7.下線の藤原四子のうち、 南家を興し、藤原仲麻呂 の父として知られる人物は誰か。 正しいものを1つ選 びなさい。 あ、麻呂 武智麻呂う 房前え、種継 お字合 8.空欄Cには、大宰府に左遷されたことに強い不満を もち吉備真備 玄昉を排除しようと, 740年に九州 で挙兵した人物の名前が入る。 漢字4字で記入しなさ い。 9.下線fの称徳天皇が,765年に創建した寺院として 正しいものを1つ選びなさい。 あ 唐招提寺 い. 東大寺 西大寺 興福寺 お薬師寺 10. 空欄Dには,道鏡が別当として追放された古代寺院 の名称が入る。 東大寺 観世音寺とならぶ 「本朝三 壇」の1つとして知られるこの寺院の名称を, 漢字 5 字で記入しなさい。

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現代文 高校生

「いのちは誰のものか?」 1番最後の段落に「いのちの最も基礎的な場面で」とあり、「どのような場面か」という問題が出ました。 どなたかわかる方教えてください🙏🙏🙏

25 いのちは誰のものか? 平侖 わしだ きよかず いのちは誰のものか? 鷲田清一 からだは誰のものか。いのちは誰のものか。 2 安楽死の問題をめぐって、臓器移植をめぐって、人工中絶や出生前診断の是非をめぐ って、このことがいつも問題になる。 そのとき、その問いはいつも個人の自由の問題と絡めて論じられる。個人が自由であ るとは、個人がその存在、その行動のあり方を自らの意志で決定できる状態にあるとい うことである。わたしの身体もわたしの生命もほかならぬこのわたしのものであって、 この身体を本人の同意なしに他から傷つけられたり、その活動を強制されたりすること があってはならないというのは、「基本的人権」という理念の核にある考え方であると いってよい。 3 自殺の正当化にあたっても、献体の登録や臓器の提供にあたっても、その背景にある p のは同じ論理である。生きて死ぬのはほかならぬこの自分であるから死に方は当人が決 めることができる、自分の身体は自分のものだからそれをどう処分しようと(美容整形 5 安楽死 助かる見込み のない病人を、本人の 希望に従って、医師が 苦痛の少ない方法で死 なせること。 2 出生前診断 妊婦の血 液検査などによって、 胎児の先天的な異常の 有無を調べる診断。 3 献体 教育・研究目的 の解剖のために、自分 の死後の体を大学など に無償で提供すること。 是非理念

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現代文 高校生

問3の答えを教えてください! 見づらくてすみません💧

3 地球は丸いか 評論との違いを意識して読む 一随筆の読み方 ●随筆とは、筆者が自身の体験や見聞に基づき自由に書き綴った文章 を言う。評論のように客観的論理的にとらえられないことも多い。 ●筆者がその文章を書くきっかけとなった出来事から、特に筆者の心 をつかんだ事柄を把握し、それに対する筆者の感想を読み取る。 Cr 問傍線部①②において、「とかいう」「とやら」という表現が使われて いるのは、「引力」という語による説明に対して筆者がどのような思いを 抱いていたからか。その思いを最もあらわしている語句を、文中から十五 字程度で抜き出せ。 (ただし、句読点は含めない。) (8点 」という説に対する筆者の思いを読み 段落で述べられている「 取る。 幼いころ、地球が丸いということを覚えたが、心底から納得した わけではなかった。下側になった人間が落ちてしまわぬというのは、 どうしても不可解なことであった。大人たちは引力とかいう言葉を使 用したが、万一逆さになったなら、強力な鳥モチを足の裏に塗ってお いても落ちてしまうであろうし、目に見えぬ引力とやらでそれを食い とめられるとはなんだか怪しげであった。 といって、もし地球が平らであったとしたら、その果てはやはり 崖かなんかになっていなければならず、 そこのところがやはり不可解 で、自信がもてなかった。とにかく地球は丸く、その丸い地球がなお かつクルクルと回転しながら宙をとんでいる、と考えただけで、今に も何か悪いことが起こりそうな予感がした。 が、いつの間にか、私は 地球が丸いのだということを信じ、疑わぬようになったようだ。 それでも、先に船に乗っていたとき、私はどうやら本当に地球は 丸そうだということを確認した。 水平線に現れる船影はまずマストか ら見え始める。昔のギリシャ人はちゃんとこのことを知っていた。し かしもっと年代がたつと、地球はやはり平たいことになってしまい、 船乗りたちは海の果てに行くことを恐ろしがった。 また小学校のころ、私はたしかアサヒグラフかなにかで、ある天 文学者の奇妙な説の紹介を読んだ。それによると、空の星はばらばら に離れているように見えるが、これは光の屈折による目の錯覚で、 実 8 は数珠玉のように連なっているのだそうだ。 したがって極地まで行け ば、別の天体に乗り移れるのだそうで、二ページにわたる挿絵がつい ていたように覚えている。 この珍説は私を興奮させ、どんな具合につ ながっているのか、この説が真実であるならば歩いて月まで行けるわ けだと熱っぽい考えにふけったりした。 しこう ⑤いったいに私にはまっとうな説よりも、いかにも怪しげな、奇抜 な説のほうを好む嗜好があるらしい。もし私が中世の王様にでも生ま れていたなら、錬金術に国費の大半を注ぎ込み、魔女と占星術師を大 臣に登用したことであろう。それゆえ、 科学史などをひもとくと、ど も偉い利口な大学者たちが、やたらと大発見、大発明をジャンジャ ンと成し遂げてしまい、それがみんな正しいらしいので弱るが、たま に奇妙な珍説をみると心楽しくなる。 鳥モチモチノキなどの樹皮から作るゴ J 間二傍線部③と反対の意味で使われている語句を、文中から抜き出せ。 (6点〉 「珍説」= と対比して筆者がとらえているものを読 「奇妙な説」= み取る。 問傍線部とあるが、ここであげられている 「錬金術」 「魔女」 「占星術 「師」は、何を象徴的にあらわしているのか。適当な語句を、文中から十字 以内で抜き出せ。 (6点〉 」の「大発見、大発明」と対比して筆者がと らえているものを読み取る。 10点 ア筆者は、地球が丸いという事実を目の当たりにしても、なかなか受け 入れることができなかった。 問四本文の内容に合うものを、次からすべて選べ。 イ筆者は、地球が丸いという説と平らだという説のどちらにも、十分納 得できずにいた。 ウ 筆者は、船乗りだったときに、ギリシャ人と同じように地球が丸いと いう真理に気づいた。 エ筆者は、小学生のときに天文学者から聞いた話をきっかけに、奇妙な 説に熱中するようになった。 オ筆者は、偉い学者たちによって正しい発見ばかりが行われていること を面白くないと感じている。 みいだ カ筆者は、まっとうな科学史ではなく、錬金術や占星術などの怪しげな 説の中に真実を見出した。 理解度チェック も参考にしながら、選択肢の内容の正誤を丁寧

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現代文 高校生

写真の文章の黄色部分って、赤色部分の国家のことか青色部分の国家のことか、どちらでしょうか? どなたか教えてください。

もたない。 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 (配点 六十点) なぜ人類は首長や王といった政治リーダーを必要としてきたのか? ここまで南米先住民、 メラネシア、アフリカといった、 に集団から託されているにすぎない、ということだ。 さまざまな時代や地域に共通するリーダー像をたどってきた。 そこからみえてきたのは、リーダーは集団のために、集団に貢献 するかぎりにおいて、ある種の特権や権威を A ふくしゅう フランスの人類学者ピエール・クラストルは、アメリカ先住民アパッチの首長ジェロニモの物語を紹介している。 メキシコ軍 から襲撃され、ジェロニモの家族も皆殺しにされた。アパッチは、ギャクサツへの復讐を誓い、その戦いの指揮を勇敢な戦士 だったジェロニモに託す。戦いはアパッチの大勝利に終わった。映画や小説にとりあげられ、白人への抵抗戦争の英雄として知 られるジェロニモだが、話はそこで終わらない。 アパッチにとって「復讐」は勝利によって成し遂げられたが、ジェロニモは、さらなる復讐を欲し、あらたなエンセイに仲間 を誘う。しかし、さらなる復讐は、もはや集団の目標ではなく、ジェロニモの個人的目標に変わっていた。その欲望は人びとに 拒絶される。 クラストルは、戦士としての能力で民族の道具となったジェロニモが、今度は民族を彼の道具にしようとして失敗した、とい う。「北米最後の偉大なる戦争の首長」であるジェロニモが英雄になれたのは、集団の目的に貢献しうるあいだだけだったのだ。 首長のいうことにだれも服従の義務がない。権限をもたない政治リーダー。なぜそれが可能なのか、権限をもつことがリー ダーの条件だという常識にとらわれているぼくらには想像しがたい。 クラストルは、首長の役割についてこう説明する。 首長は、個人どうし、家族間、リニジ 〔出自集団]間に生じうる係争を解消することを任務としており、秩序と協調をとり もどすのに、社会が彼に認めている威信以外に手段をもっていない。だがもちろん威信は権力を意味するものではなく、首 長が調停者としての責を果すのに有する手段は、言葉の独占的使用に限られているのだ。 はた 首長は裁判官ではない。対立する陣営に調停案を示したり、どちらかに肩入れして擁護したりするわけでもない。そういう意 味では弁護士とも違う。首長はその弁舌で人びとに平静をとりもどし、非難の投げあいをやめるよう訴える。互いに理解しあい 平和に暮らしていた祖先をまねるよう説得する。 そこでの道具は「言葉」だけだ。 首長は社会のなかで生じるさまざまな問題を解決するための役割を担う。威信と言葉以外につかえる強制力をともなう手段は い。日本だと、白か黒か、はっきり決断を下すのがリーダーの役割だと考えられている」「決められる政治」が政治家の キャッチフレーズとしてもてはやされるくらいだ。 だが、リーダーが決断して意思決定するだけであれば、それは民主主義とはほど遠い。首長たちは弁舌によって人びとを説得 し、納得させようとする。つまり決断を下すのではなく、人びとの同意をえることがリーダーの仕事になる。 それは、みなが同 意できる状況をつくれなければ、集団としてのまとまりを維持できなくなるからだ。 政治家が主権者によって選ばれ、その同意の範囲で政治的な役割をはたす。それを真の意味で実践していたのは現代の民主主 義をかかげる国家ではなく、「未開社会」とされた国家なき社会だった。 人びとは、リーダーが集団の目標に貢献しているのか、つねに関心を寄せ、そこから道をはずれると、さっと同意をヒルガエ す。国家が人びとを監視する監視社会とは逆に、リーダーがつねに人びとから監視されているのだ。 なんのために国家があるのか。 クラストルは、「未開社会」が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからでは なく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったからだという。一部の者だけが権力をもち、人びとを支配するためにその権 力がつかわれることを拒絶したのだ、と。 国家ができると、その社会は支配する者と支配される者とに分かれてしまう。クラストルは、国家権力を生みだす根底には、 権力への欲望とともに、隷従への欲望があると指摘する。一度、権力関係が生まれ、社会が支配者と被支配者に分化してしまう と、もはやあともどりできなくなる。だから国家なき社会では、あえて首長に のようにふるまうことをソシしてきた。 B な権力をもたせないようにし、専制

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