学年

教科

質問の種類

日本史 高校生

教えてください🥲

(6)りなさんは歴史ドラマを見て, 近世と近代の家や家族について興味を持ち, 近世社会の家制度と明治政府が 導入した戸籍制度について、調べました。 近世と近代の家・戸籍制度についてまとめた文として,最も適切な ものを1つ選びなさい。 ア 近世社会では,氏を一つのまとまりとして,各氏族に将軍が姓を与える氏姓制度が行われてきた。 しか し,明治政府は氏でなく家を基礎にした戸籍制度に変更したため,氏は急速に解体に向かった。 イ近世社会では、夫が妻の下に通う妻問婚が一般的であり,子どもは一般的に妻の家で育てられた。しか し, 明治政府は家父長制を重視し, 戸籍は夫の家を基礎として登録し, 夫の家で子どもを育てることが義 務化された。 ウ 近世社会では,農業も商業も家を単位として営まれているのが基本的な形で, 明治政府の導入した戸籍 制度もこうした家を基礎にして一定範囲の同じ場所に住む人間全員を、家を単位に戸籍簿に登録させた。 しかし, 人の移動が激しくなるにつれ, 戸籍に登録されている場所と実際に住んでいる場所が異なるなど 実態と合わないものになって行く側面もあった。 エ 近世社会では,分割相続が主流で, 嫡子だけでなく庶子にも相続する権利が認められていた。 しかし, 明治政府は,家を基礎にした戸籍制度に変更し, 嫡子だけに相続させる家督相続が一般的になった。 家督 相続は,日本国憲法によって否定されるまで存続した。

解決済み 回答数: 1
日本史 高校生

大至急です! 日本史でわからない箇所があるので教えていただきたいです 【問】当時貿易を認めていたオランダと中国船以外の外国船が日本近海に現れ、薪や要求したり通商を要求するようになって、幕府がたどり着いたのがこの打払い、つまり攻撃するという方針であった。1837年、アメリカ... 続きを読む

水野忠邦は, なぜ天保の改革を おしすすめたのだろうか。 海辺の村 ②お咎め 一体いきりすニ限 らず、 候処、専要の事に候条、油断無申し付けらるべく候。 察度。ハ之有間敷候間、 二念無、 打払を心掛、図を失わざる様取計 等差出すに及ばず、其分二差置、若押て上陸致し候ハゞ、搦取、又 二有合候人夫を以、有無に及ばず、一図二打払、逃延候ハゞ、追船 打留候ても苦しからず候。...…. 右等の船万一見損、打誤候共、御 間、以来何れの浦方二おても、異国船乗寄候を見受候ハゞ、 其所 南蛮、西洋の儀は、御制禁邪教 (『御触書天保集成』) の国二候 候察は等間 処度と打差 有吉 以体 に候す候来い までに人に何いき 180 るも及夫ぷれり をす ず以浦 ① 異国船打払令D] 追其 計御又船所 候 4. 幕藩体制の動揺 ぐんかん ぶんか 10 |海防体制の強化 1808 (文化5)年には,イギリス軍艦フェートン号が、 交戦国であったオランダ商船を追って, 長崎に入港 と蛮社の獄 30 する事件がおこった。その後も,イギリス船やアメリカ船が日本近海を 航行していたので,幕府は,1825 (文政8)年に異国船打払令を出して、 海防体制を強化した。そのため,1837(天保8)年,日本人漂流民を護送 するとともに,通商を求めて浦賀に来航したアメリカ合衆国の商船モリ うらが ソン号は,打払令によって砲撃を受けた。こうしたできごとに対し、簡 がく ぼじゅつゆめものがたり わたなべかざん たかのちょうえい _しんきろん 学者の渡辺崋山は「慎機論」 を,高野長英は『戊戌夢物語』をあらわし、打 ばんしゃ ごく ち払いの不当を論じたため、 幕府によって処罰された ( 蛮社の獄)。 てんもん はん 19世紀になると,幕府も洋書の翻訳を開始して, 美・地理・軍事な どに関する新知識の吸収につとめ, 多くの諸藩もならった。江戸と長崎 で始まった蘭学は,京都, 大坂, さらに全国各地に広まった。 オランダ 商館の医師として長崎に来たシーボルトは, 鳴滝塾を開いて, 医療とと らんがく しょうかん なるたきじゅく 1796~1866 たかのちょうえい もに西洋の学問を教え, 高野長英らを育てた。 1828年, シーボルトは、 帰 国の際、持ち出し禁止であった日本地図の所持が発覚して国外追放の処 たかはしかげやす 分を受け, 地図を渡した幕府天文方の高橋景保らも処罰された。 1785-1829 p.184 おおしおへいはちろう ちょっかつ 大塩平八郎が幕府の直轄都市 内憂外患 ほうき てんぽう き きん 大坂で武力蜂起したのは、天保の飢饉で市中の米 が不足しているさなかの1837年3月 (天保8年2 ちんあつ 月) であった。 蜂起はすぐに鎮圧されたが, 大塩は まちぶぎょうしょ よりき もともと, 大坂町奉行所の与力という重要な役職 にあり、著名な学者でもあったため, 人々は彼の 行動を知って衝撃を受けた。 蜂起の情報は,噂も うわさ まじ もんてい 交えながら全国に広がり, 各地で「大塩門弟」 「大塩 「残党」を名のる武力蜂起や一揆を誘発し, 幕府に動 いっき ゆうはつ 揺をあたえた。 そもそも前年からこの年にかけて 全国で150件以上の百姓一揆が発生していた。 飢 ひゃくしょう ないゆう 饉に起因するこれらの出来事は、 国内における深 刻な事態, すなわち 「内憂」 として受けとめられた。 ちょうどこのころ, 外国船がひんぱんに日本近 辺に接近していた。 18世紀末から19世紀初頭まで は、ロシア船の蝦夷地への接近がおもな問題だっ たが,1810年代以降は,太平洋側で,イギリスを 先頭に欧米諸国の船の動きがみられるようになっ た。当時,これらの国々は,産業革命を成しとげ えぞち 第3編 近世の日本と世界 sto + wo きょてん て資本主義市場を拡大し、 世界各地に貿易の拠点 ほげい を求めつつあった。 捕鯨船の活動もさかんとなり 日本近海でめだち始めていた。 こうした動きは, 外国勢力が日本にあたえる脅威,すなわち「外患」 として受けとめられた。 きょうい がいかん 江戸幕府は,将軍が武力で日本列島の内部や周 辺海域の平和を維持し、 邪教としてのキリスト教 から人々を守ることで、社会秩序を安定させてい るという建前をとっていた。 このまま外患を放置 すると、将軍の権威は低下し、そのことが内憂を いっそう誘発することにもなりかねない。このよ うに外患が内憂と結びつくことを、幕府は非常に おそれていた。 こうした事態を打開するためには、将軍のもと で軍事力を強化して集中させ、海防体制をととの えつつ,将軍の権威を維持することが必要だと幕 この考えが、天保の改革の基本的な 府は考えた。 姿勢となっていったのである。

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

7、8、10段落目の内容がよくわかりません。例などを挙げてわかりやすい言葉で説明して欲しいです。

ひかる おいずみ 奥泉光 己を放り込む虚構 人が生まれ育った場所を故郷と呼ぶのなら、 庄内は必ずしもぼくの故郷とは言えないだろう。 生まれたのはた しかに山形県ではあるけれど、一年も経たぬうちに両親ともども東京に移ってしまったからである。とはいえ母 の実家である、広々とした水田に点在する集落の家には、祖母と曾祖母が残って、毎年夏には必ず帰省して庄内 平野の穏やかな風光のなかに長い時間を過ごした。 ② 子どもにとって夏休みはそれだけでもう心弾む出来事であるが、ぼくにはさらに田舎での数週間という贈り物 があったわけである。 すばやく身を翻し水底の泥に隠れるドジョウ、草いきれのなか息を殺して浮標を見つめた 用水路での魚釣り、蚊帳に置かれてあわく明滅する蛍、サエギるもののない広い夜空に横たわる銀河、集落のは ずれから繰り返し眺めた月山の姿――。 これら子ども時分の貴重な記憶の数々は、一昨年に書いた「三つ目の鯰」 という作品となって一部結晶したのであるが、要するに大人になるまでのぼくにとっては、庄内はただ心楽しく エキサイティングな冒険の場所にすぎなかった。 ○筆 ③ 故郷という言葉とともに山形の家のことを考え始めたのは、三十歳に近くなってから、小説を書き始めたころ のことである。 ④ ひとつのきっかけは父の死である。葬式が終わり、田んぼの真ん中の墓地で、白木の箱から父の骨灰を墓の底 にばらばらとまいたとき、かつてない不思議に甘美な気分にぼくは捉えられた。それはどうやら自分もいずれ死 ねばこうなるのだとの思いであるらしく、そう思って周囲を見回してみれば、五月の水田は湖沼のように陽光を 映して輝き、月山と鳥海山が蒼くくっきりとした稜線を鮮やかにして墓地を遠くから見つめている。雲雀のさえ ずりが空の高いところできこえた。 ⑤ 自分の死に場所にここは悪くない。そのような声が、 「故郷」という言葉とともに、初夏の平野をぼんやりと眺 めるぼくの心に、静かに立ちのぼってきたのである。 ⑥ 「故郷」とは言うまでもなく近代に発明されたひとつの虚構である。都会での生活スタイルが確立されるにつれ 生じてきた、だれとも連帯せずに浮遊している人の孤独感、あるいは根を断たれているとの不安感が、 温かく己 を包み込んでくれる母胎のごときものとして、己の魂が穏やかに回帰すべき場所として、遠い憧れの地境として、 「故郷」のイメージを文学的に創造した。故郷の山河といった場合、山や河自体は当然昔からそこにあったはずだ けれど、それらが懐かしい風景として思い描かれるにいたったのは、明治以降の文学がそのように描いてきたか らである。 ⑦ たとえば柳田国男の「常民」概念をここであげるなら、それが現実に生きてある人々を具体的にさすのではなく、 失われた何かを回復せんとする柳田のロマン派的文学の心情が作り出した虚構であることは、数多くの批評家が 指摘するとおりである。「常民」とは都会にある者の眼に映った、 「故郷」に棲む人間の幻像である。 一方では、少なくとも近世以来、西欧的な都市団体をもたなかったわが国では、都会の生活者といえども地縁 血縁のしがらみからは逃れがたく、そうしたしがらみの象徴としての意味をもまた「故郷」は担うことになった。 かくして故郷は両義的であり、だからこそ遠くにありて想うものなのである。 ⑨ 虚構である「故郷」はつまり選びとられるものである。選んだおぼえなどないという人にしても、無意識のうち にそうしているのであり、人生の節目のあるとき、ここがやはり私の故郷なのだと、感慨にとらえられつつ風景 に良をやった記憶がだれにも必ずあるはずである。 ⑩ 虚構をこととする作家であるなら、当然この選択にはジカク的である。作家は「故郷」を発見する。たとえば中 上健次にとっての紀州がそうである。むろん作家は故郷にアンジュウしたり、ただ感傷にひたるために故郷を選 ぶのではない。何らかのかたちで「私」を問題にせざるをえない近代小説の伝統のなかで、 己自身をひとつの虚構 に放り込むことで、多様な物語を「私」の内部に導き入れようと作家は企むのである。 ⑩ ひとりの作家であるぼくは、庄内を自分の「故郷」として選んだ。 これから小説を書き進めていくなかで、ぼく の「故郷」は途切れることなく、創造の活力を与え続けてくれるだろう。 32 [⑧] ① 14 筆る 2-1 5-3 7~6

回答募集中 回答数: 0
世界史 高校生

模範解答がないので答えを教えていただきたいです! 教科書から出題されているわけでもないので調べても何もわからなくて、、 1問でもいいので回答いただけると助かります!

DIAM B ヨーロッパ人の海外進出とその後の影響についての授業 先生: 今日は、16世紀頃からヨーロッパ人が海外に進出した背景、 その後の影響につい して、地図も活用しながら話し合いをしてください。 まずは、ヨーロッパの人々が海外進出し た背景について学んだことをそれぞれ答えてください。 生徒A 14世紀にイタリア人のマルコポーロが中国から帰国し、口述で残した(5 )』が影響を与えた。 (6) の国ジパングの内容が書かれていて、 人々の意欲を大い にかき立てたんだよね。 生徒B:アジア産の ( 7 ) が重宝され、 当時は銀1gと (7) 1gが同等の価値をもったら しいよ。 (7) がはやった背景には、保存用食肉の味付けや医薬品として価値があった。 14世紀頃からヨーロッパを震撼させたペストに効くといううわさが当時は広まっていたん だ。 (7) の価格をつり上げていたことで、 生徒C 現在のトルコにあった ( 8 ) 帝国が、 ヨーロッパにとっては対抗すべく新たな植民地拡大の必要性にせまられていたんだよね。 生徒D:( 9 )半島では、この地に建国されたスペインなどによりキリスト教の布教活 (10) 教勢力を挟み撃 動が活発になり、 アフリカ大陸にキリスト教徒の国を探して、 ちにしようとも考えていたんだよ。 先生:みなさん、素晴らしい。 ただし、事実とは異なった内容がありました。 どこだと思い ますか? 生徒E : 生徒 「x」さんの「Y」の部分だと思います。 正しくは 「 Z 」 です。 生徒「X」 : そうだった。 この時代は、まだそこまで進んでいなかった。 勘違いしていまし た。 先生: つぎは、海外進出の過程や、その後の影響について話し合ってみてください。 テノチティトラン 3000km マゼラン コロンブス パナマ カボット サンサルバドル キト カルティエ ヴェスプッチ クスコ ブラジル カナリア諸 スペイン ポルトガルー ガマ イギリス ヴェルデ カブラル オランダ フランス 喜望峰 リスボン パロス ディアス ロシア オスマン 帝国 マリンディ モンバ ソファラ トルデシリャス条約分界線 (1494年) ムガル帝国 ゴア。 カリカット マダガスカル セイロン鳥 明 マカオ マラッカ 朝鮮 日本 VA ・・・・ カボット (1497、98年) ガマ (1497~99年) フィリピン アンボイナ マルク(モルッカ諸島 ディアス (1487~88年) ヴェスプッチ (1499~1500,1502年) コロンプス第1回 ・ カブラル (1500年) (1492~93年) マゼラン (1519~22年) ※マゼラン死後の部下の航路を含む。 カルティエ (1534~42年)

回答募集中 回答数: 0